タレント兼実業家・矢部美穂が語るバー「YABEKE」の現状「あと5年は続けたい」「矢部家の人間が1人は居ないとダメ」

矢部美穂と母の矢部文子さん

「私……中山美穂さんの顔になりたくて芸能界に入ったんです」──。9月26日に放送された『アウト×デラックス2024世界中の誰よりアウト集結SP』(フジテレビ系)のなかで、小学校の頃から憧れていたという女優・中山美穂(54)と対面し、感極まって涙を流したタレントの矢部美穂(47)。矢部は自身のインスタグラムでも中山とのツーショット画像を投稿、「夢が叶って良かったね!」など温かいコメントが寄せられた。

【写真】自分が経営するバー「YABEKE」で接客するゴージャスな衣装の矢部美穂、「店の看板娘」矢部の母・文子さん

 矢部は1992年、アイドル雑誌『Momoco』の美少女発掘コンテストに応募し、見事グランプリを受賞して芸能界入り。デビュー直後は、ぬいぐるみを抱きしめながら登場する“不思議キャラ”だったが、47歳となった現在は、自身でバーを経営するなど実業家としての顔も見せている。今回は矢部に激動の芸能人生と最近の私生活についてインタビューした。【前後編の前編】

 番組放送から少し経ったある日、世田谷区・池尻大橋にある矢部が経営するバー「YABEKE」に顔を出すと、矢部本人が出迎えてくれた。

「来てくださってありがとうございます。今日、暑くないですか? すぐにドリンクお作りしますね」(矢部、以下同)

「願いは口に出して言えば叶う」

 そうおしぼりを渡す姿は、番組で憧れの女優と対面し、まるで少女のようにはしゃいでいたときと同一人物には思えない。番組出演時のことを聞くと、途端に嬉しそうな笑顔を見せ、こう答えた。

「ミポリンと共演できたこと、いろんなメディアさんがニュースにしてくださったおかげで、会う人会う人に『番組見たよ!』『最初から泣いてたね』『夢が叶ってよかったね!』と、言われちゃいました。小学生の頃からずっと、ミポリンに憧れていたので……。

 あ、番組で『ミポリンって呼んでいいよ』ってご本人から許可をいただいたので、今日はあだ名で呼んじゃいますね。番組でも話しましたが、本当に中山美穂さんの顔になりたくて芸能界に入ったんですよ。もともとアイドルが好きで、あの頃は工藤静香さんや南野陽子さん、キョンキョン(小泉今日子さん)、のりピー(酒井法子さん)と、今で言う『推し』がたくさんいました」

 憧れの人との共演で涙を流していた矢部だが、実は中山とは今回が初対面ではなかったという。

「若い頃に私のマネージャーをしていた方が、たまたまミポリンのマネージャーになったんです。その縁でミポリンのライブが終わった後、楽屋に呼んでくださった。その時はハタチくらいだったかな。突然のことだったし、まさかお会いできるとは思っていなかったので、緊張しすぎて当時のことはまったく覚えていないんです。

 ほかにもたくさんの方が楽屋に挨拶にいらしていたようなので、多分ミポリンには『タレントの矢部美穂』と認識はされていなかったかもしれません。だけどまたこうしてお仕事でお会いすることができて、本当に嬉しかったです。これはいつも私が話していることですが、願いは口に出して言えば叶うんです」

「75歳の母」が協力してくれている

 そんな矢部だが、私生活でも2022年に嬉しい出来事があった。川崎競馬場所属の山林堂信彦騎手と結婚。地方競馬の馬主資格を持つ矢部さんの所有馬に山林堂さんが騎乗したことがきっかけで交際がスタートし、ゴールインしたのだ。

「実は、婚姻届を書くところからの様子を私のYouTubeチャンネルに投稿しているんです。どうやってお付き合いに至ったかと、奇跡的なエピソードなども載せているので、動画を見て知ってもらえたら嬉しいです(笑)。キューピッドになってくれた所有馬には、会いに行って結婚報告もしました」

「YABEKE」での取材だったからか、芸能人というよりも気さくなオーナーという印象だ。取材中も客がひっきりなしに来店する。その客層は、若い女性やカップル、年配の男性までさまざま。

「現実的な話をすると、お店はあと5年できたらいいな、と思っています。オーナーは私ですが、毎日お店に立ってくれているのは75歳になる母(文子さん)なんです。私も結婚し、タレントの仕事もあるので、毎日はお店に立てないんですよね。『スタッフに任せたら?』と言われることもありますが、店名が『YABEKE』なのに、矢部家の人間がお店に1人もいないのはちょっと違うかなと。

 芸能人のお店ってご本人がいないことが多いですが、ウチは矢部家の人が誰かしらお店にいる状態で15年やってきているので。10月29日から3日間、ハロウィンイベントを予定していて、仮装した来店した方には1500円以内のドリンク1杯サービスなので、お店があるうちにみなさんいらしてくださいね」

「店名に恥じない接客を」という姿勢に経営者としての一面が見えた気がした。だが、かつて矢部は自身が受けたいじめを告白したエッセイ『学校拒否』(1998年)を出版して世間を驚かせた過去がある。当時の想い、そしてSNSが発達した時代の悪質な「いじめ」についてどう考えているのか──。

後編に続く

◆取材・文/佐藤ちひろ(ライター)

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