麻木久仁子、乳がん発症を機に薬膳に目覚める「誰だって病気になる。いざという時に闘える体を整えておくことが大事」

タレント、国際薬膳師、学生として充実した生活を送る麻木久仁子(カメラ・頓所 美代子)

 タレントの麻木久仁子(62)は、48歳で脳梗塞(こうそく)、50歳で乳がんを発症した。数多くのクイズ番組で活躍した知性派タレントは経験を踏まえて「誰でも、どんなに気をつけても病気になる。それなら、いざという時に闘えるように日頃から体を整えよう」と薬膳に目覚めた。還暦を迎えてからは漠然とした将来の不安にさいなまれたが、「知識が高齢化社会を生き抜く武器になる」と、生涯学習を実践している。(有野 博幸)

 クイズ女王でタレントキャスターの草分け的存在の麻木。好きな科目だけを選ぶ「選科履修生」として放送大学で学ぶ62歳の女子大生に企画の趣旨を伝えると「『七転八起』か~。私の場合は『八転七起』かもしれないけどね。ハハハ…」と朗らかに笑った。

 人生で最初の大きな病気は2010年、48歳の時だった。「何の前触れもなく、右半身がしびれたんですよ。畳で正座すると足がしびれますよね。あの感覚が右手、右足にきた。1分くらいしびれて、ピタッと止まる。道を歩いている時とか、ご飯を食べている時に度々、そんなことがあった」。違和感を感じながらも、決して強い痛みではなく、変わらぬ日常生活を送っていた。

 病院に行ったのは、しびれが出始めて3日後。「クイズ番組の途中、正解が分かっているのに手がしびれて答えを書けなかった。『これはマズイ』と思いましたね」。医師の診察とMRI(磁気共鳴画像)検査を受け、「軽度の脳梗塞」と診断された。「命に別条はないということで、血液をサラサラにする薬をもらいました。手術はなし。動脈硬化とか、血栓ができる病気の可能性も探ったけど、原因不明。何か原因があるとすれば、ストレスかな。あと、当時はたばこを吸って、お酒も飲んでいました」

 脳梗塞を機に「50歳の節目になるから、これからは人間ドックに通うようにしよう」と思い、受診したところ乳がんが見つかった。「早期発見で転移がなかった。左右両方だったけど、おとなしめなタイプのがんで、自覚症状は全くなかった。自分で触っても、しこりがあるとは思えない。脳梗塞になって、人間ドックに行ってなかったら、見つかってなかったでしょうね」

 「乳がん」の診断にショックを受け、不安な日々が続いた。「『影がある』と言われてから、検査をしても確定診断がなかなか出ない。進行具合がどれくらいか、どんな性質のがんなのか、分かるまで2か月近くかかった。その期間が一番、嫌でしたね」。診断は早期発見のステージ1だった。「転移もなかったから、両胸の部分切除で入院は4日間。放射線治療は通院で2か月間。抗がん剤は必要なかった。ホルモン治療は服薬だから、5年間継続的に薬を飲みました」

 がん患者の治療効果を判定する指標である「5年生存率」は97%だった。冗談で「がんのことより通院する時の交通事故を心配した方がいい」と言われた。それを聞いて、前向きになれた。「50歳でがんになったから、60歳で10年経過。再発することなく健康に過ごすことができました」。診察で医師に「これで無罪放免ですね!」と言うと、「60歳を過ぎたら、あらゆるがんのリスクがありますから、油断しないでください」とたしなめられた。

 がんを公表したことで、パネルディスカッションなどの出演オファーを受け、医師やがんサバイバーの知り合いが増えた。「クイズ好き、情報収集好きですから、いろいろと病気のことを調べました。がん治療は日進月歩だということが分かりました。治療法や薬によって、数年前に助からなかったがんの生存率が上がったり、乳がんの場合だと、全摘ではなく、部分切除で治るようになったり、進んでいるんですよね」

 病気の経験や専門家との会話で気づいたことがある。「どんなに気をつけていても、誰だって病気にはなる。だから、いざという時に闘える体を整えておくことが大事」ということ。「がんは誰でもなるけど、がん治療はできる人、できない人がいる。若いうちから内臓に負担をかけていると、手術に耐えられない。強い抗がん剤も使えない。基礎疾患はない方がいいし、快食、快眠、快便、ストレスをためないことが大事」と実感した。

 5年ほど勉強して国際薬膳師の資格を取得し、生活を見直した。「薬膳というと基本は食事のことだけど、生活習慣、ライフスタイル、生き方なんです。いざという時に治療を受けられるように、不調が起きた時に気がつきやすい体を目指す」。日頃の食事は基本的に自炊で外食はめったにしない。「鶏肉を食べるなら唐揚げではなく、バンバンジーに。生野菜は体を冷やすから温野菜に、冷水ではなく白湯(さゆ)を飲むとか、ちょっとした心掛けが大事なんです」

 世間では知性派タレントとして知られているが、原点は20代で出演した紀行番組のリポーターだった。「1浪して学習院大学に入りましたけど、母子家庭だから自分で学費を払っていたこともあって中退したんです。学生時代は大して勉強しなかったけど、ロケに行くと、各地の歴史、文化、交通事情、農作物とか雑学に触れる。それで学ぶ楽しさを知りましたね」。その後、TBSの「オールスター感謝祭」で優勝したことで、クイズ番組に出演する機会が増えた。

 芸能生活は約40年。「何か大ヒットを飛ばしたことはないけど、細く長く続けてくることができた。運と縁に恵まれました」。昨年からは放送大学で学んでいる。「還暦を迎えて漠然とした不安がある。死への恐怖があるし、平均寿命の87歳まで生きると考えると、あと25年もあるから『寝たきりになったらどうしよう』とか違う意味の不安も芽生える。それを乗り越えるために必要なのは、やっぱり知識なんですよね」。心身共に充実し、日々の生活を楽しんでいる。

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