「今くるよ師匠の隠し子?」漫才師サカイストが今では珍しい弟子生活で学んだこと

福岡を拠点に活動する兄弟漫才師・サカイスト。彼らは「今いくよ・くるよ」の弟子としても知られている。惜しくも、いくよさんが2015年、くるよさんが今年の5月に亡くなられてしまったが、二人にとってはどういう存在だったのか。

8月25日(日)に、よしもと福岡劇場で単独ライブ『弟子de兄弟』を開催する二人に、師匠とのエピソードから、漫才に賭ける思いについてニュースクランチ編集部が聞いた。

▲サカイスト(伝ペー / マサヨシ)【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-INTERVIEW】

16歳の直感で弟子入りすると決めた弟・マサヨシ

――まずは、8月25日に開催される単独ライブ『弟子de兄弟』のタイトルにあるように、サカイストの弟子時代についてお聞きしたいのですが、今いくよ・くるよ師匠に弟子入りを決めた経緯について教えてください。

マサヨシ:16歳のとき、なんばグランド花月(以下、NGK)を、一人で見に行ったんです。客席はパンパン、通路にも人が立っているなかで、僕は後ろのほうで見ていたんですけど、その日の大トリを務めたのが、今いくよ・くるよ師匠だったんです。

スクリーンに名前が映し出され、出囃子が鳴った瞬間、沸き起こった大歓声。その瞬間に“この人たちに弟子入りしよう”と決めました。出てきた瞬間に、何千人ものお客さんが一気にドカーンと沸く光景が、衝撃的すぎたんです。

――伝ペーさんは、当時、写真関係の専門学校に通われていたそうですが、マサヨシさんから芸人になろうと言われたとき、どんなお気持ちだったんですか?

伝ペー:芸能界に行きたいな、とは思っていたんですよ。けど、成長していく過程で、やはり無理なんじゃないか……と思い始めて。母が編集の仕事をしていたので、自分も母のようになりたいと思い、カメラの専門学校に通い始めたんです。ある日、モデルを撮る授業があったんですけど、俺があっち側に立ったほうがいいじゃないかと思って(笑)。そんなときに、ちょうど弟から誘われたんです。

――ずっと表舞台に立ってみたかった。

伝ペー:モテたいって気持ちが一番ですかね。当時は、浜田さんが歌を出したりドラマに出たり、松本さんも本を出したり、俺が憧れていた芸能人って、芸人でもなれるんじゃん?って。周りからワーキャー言われる存在になれるんだなと気づいて、すぐに「いいよ」と返事をしました。芸人というよりは、芸能人になりたいという気持ちが強かったです。

――なぜ、弟子同士ではなく、兄弟でコンビを組もうと思われたんですか?

マサヨシ:師匠によっては3年〜5年とかあるんですけど、うちの師匠って弟子の期間が1年と決まっているんです。16歳で入ってから1年後、まだまだ自分は若造で、周りの兄弟子は30代のオジサンばかり。当時の自分からすると、話も合わないし、感覚も違った。となると、芸能界に行きたい兄ちゃんと組んだほうがいいのではと思って、電話を掛けました。

▲僕からお兄ちゃんに「芸人にならない?」と声をかけました

師匠との初対面でやらかした兄・伝ペー

――ちなみに、弟子入りってポピュラーな選択肢ではないですよね?

マサヨシ:NSCがありましたからね。だから、師匠からは「珍しいよ」と言われていました。

――初めて、伝ペーさんを師匠に紹介されたときのことは覚えていますか?

マサヨシ:伝ちゃんを紹介したときは、一人で挨拶に行ったんだよね?

伝ペー:弟から「師匠が待っているから、挨拶をしてこい」と言われて、右も左もわからないなかで、教えられた住所を頼りに挨拶に行きました。インターフォンを押すと、ノーメイクのいくよ師匠が出てこられて。

自分は、バッチリメイクの いくよ師匠しか知らなかったから、お手伝いさんが出てきたと思って、「いくよ・くるよ師匠はどちらですか?」って聞いちゃって、「私や!」って言われました(笑)。最悪なスタートですよね。

――(笑)。そのあと、うまくいったんですか?

伝ペー:うーん、弟が先に弟子入りしていて、年齢も16歳とか17歳、やっぱり可愛らしいし、お笑いがやりたくて頑張っている弟。一方、兄は20歳だけど弟と比べると何もできない(笑)。そりゃあ、師匠からすると「弟に比べてなんや、お前は!」ってなりますよね(笑)。

マサヨシ:弟子は脱ぎやすい靴を履いておかないといけないんです。師匠より先に出なきゃいけないし、師匠より先に楽屋に入って掃除しないといけない。だけど、兄ちゃんはドクターマーチンのどんだけ結ぶんだよ! みたいな靴を履いていたから、そりゃ師匠も怒りますって!

伝ペー:いや、それは流行ってたから!

マサヨシ:だから、師匠からすると真逆の二人やなと思っていたんじゃないかなと。

伝ペー:兄弟って一番近いだけに共有し合わないんです。他人であれば、師匠の好みも聞けたと思うんですけど、弟には聞きたくない兄である自分もいるんです。“俺だってできるし”という感覚でやっているから、わざわざ聞かない。でも、やっぱりできないんですよ。それで「また怒られたわ」って弟に話す日々でした。

M-1ラストイヤーが終わって響いた師匠の言葉

――師匠からどんなことを教わったんでしょうか?

伝ペー:この世界に入って何年も経つと、師匠は当たり前のことを教えてくれていたんだなと思います。でも、当時の僕からしたら、なんでこんなことで怒られるんだろうと思ってた。でも、今は後輩に言っちゃいますもん。「先輩とご飯を食べているときに、時計を見ちゃいけないよ」とかね。

マサヨシ:うちの師匠は「三歩先を読みなさい」とよく言うんですよ。例えば、お相手がタバコを吸う人とわかっていれば、まず灰皿を用意したり、ビールがお好きであれば、頼んである状況にしておく。そういったことを叩き込まれました。

相手のことを考えて行動するというのは、どの社会においても大事なことじゃないですか。それを一番最初に教えていただいた。それが染み付いているのは、すごくありがたいなと思います。

伝ペー:僕らが今でも現役で漫才をできているのは、師匠からの「とにかく、お客さんを一番に考えて漫才をしなさい」という教えがあったからです。あんなに人生を賭けていた『M-1グランプリ』のラストイヤーが終わったとき「M-1だけが漫才師じゃない」と言ってもらえて、すごく気が楽になったんです。

「自分らが面白いと思っていること、お客さんが喜んでもらうことを常にやりなさい」と言われなかったら、もしかしたら漫才を続けていないかもしれません。

――いくよ師匠が2015年に、くるよ師匠が今年お亡くなりになられました。改めて、お二人にとって、今いくよ・くるよ師匠はどんな存在ですか?

伝ペー:師匠がいなかったから今の僕はいない。本当にやればやるほどですけど、めちゃくちゃ遠いんです。最初は、漫才師としてめちゃくちゃ近くに見えたんです。でも、やればやるほど、遠い、絶対にあそこまで行けない。正直、今は見えなくなっているんです。あんなにも飽きずに、初めてやってる雰囲気を出せるんだろうって、いつも思います。

――マサヨシさんはいかがですか?

マサヨシ:最初に「芸のことは教えへんで」と言われてから、人に愛される芸人になるために、いろんな教えをもらいました。16歳で弟子入りしたとき、師匠が言ったのは「今日からあんたのことを弟子として見るけど、あんたは私らのことを師匠であり、母と思いなさい」という言葉。

もちろん師匠です。兄ちゃんが言うように、いつまで経ってもスゴい師匠。でも、それと同時に自分は、母親としての部分を感じます。すごく気を遣って面倒を見ていただけたので。

――すごいお言葉ですね。弟子といえど、赤の他人に向かって、そうそう言える言葉じゃないと思います。

マサヨシ:うちの師匠は結婚もされず、お子さんもいらっしゃらなかったんですが、僕らの苗字が酒井で……じつは、くるよ師匠も酒井なんですよ。だから当初は、くるよ師匠の隠し子だと言われていました(笑)。成長期で乳首が痒くなってしまったとき、誰に相談していいのかもわからず師匠に相談すると、くるよ師匠が「どやさ!」って(笑)。「どやさ」って万能なんだなと思いました(笑)。

二人だけが見れた「いくよ・くるよ」のカッコイイ姿

――お二人から見て、いくよ師匠はこんな人、くるよ師匠はこんな人を教えてください。

マサヨシ:くるよ師匠のほうが、どちらかというとお母さん。

伝ペー:先に注意するのは、くるよ師匠ですね。

マサヨシ:細かく言うのは、くるよ師匠。それを聞きながら、いくよ師匠が「そうやな」と聞いている。ただ、いくよ師匠が怒ると一番怖いです。

伝ペー:そう! 1個1個が重いんだよ!

マサヨシ:いくよ師匠に怒られると、“やっちまった”と思いますね(笑)。

伝ペー:でも、劇場でのカッコいい くるよ師匠を見れたのは財産ですね。くるよ師匠は一つ前の出番が終わったら袖まで降りて、前の出番の方が、どんな空気で漫才をしていたかを確認するんですよ。そしてギリギリ1分前くらいに、いくよ師匠が降りてこられて、どんな空気だったかをパッと打ち合わせをして舞台に出ていく。あの姿は、憧れる瞬間。

マサヨシ:お兄ちゃんは くるよ師匠についてたけど、僕がついてた いくよ師匠の出番前もカッコいいんです。楽屋の鏡の前でずっと立って、何も喋らない。ゆっくりタバコを吸って、鏡で自分を見て、ゆっくりタバコを消して、時間になったら「ほな、行こか」と袖へ向かうんです。

▲「ほな、行こか」の瞬間を再現してくれた

――それはシビれます。先ほど、いくよ師匠が怒ると怖いと話されていましたけど、怒られた記憶はありますか?

マサヨシ:僕は怒られたことがなくて。

伝ペー:いやあ、マジで優秀。だって、プライベートでハワイに連れて行ってもらっているんですから! なかなか弟子をハワイには連れて行きませんって!

マサヨシ:(笑)。でも、一度だけ遅刻をしたことがあって。当時、KBS京都のラジオを師匠がやられていたんですが、その集合時間が8時半で、僕が起きたのも8時半。大阪の西成に住んでいたので、どう頑張っても1時間は掛かってしまう。急いで現場に行って、10時前くらいに到着すると、師匠は「もうええから」とひと言だけ言われて、収録後、改めて謝ったんですけど、くるよ師匠がボソッと「破門や」と……。

後日、再び謝罪に行くと、いくよ師匠が静かな声で「わかったか」と、「こういうことや、1回の遅刻で全部なくなるんやで」と言われたとき、怖いと思いながらもズーンっと心に響いたんですね。そこから僕は26年、芸人をやらせてもらっていますけど、二日酔いであっても絶対に遅刻はしないです。

吉本の劇場がない頃に華大に誘われ福岡へ

――サカイストは2017年11月をもって福岡吉本へ完全移籍しました。こちらの経緯についても教えてください。

マサヨシ:芸歴20年目のとき、東京時代すごく可愛がっていただいた博多華丸・大吉の大吉さんに、「漫才の土壌がない福岡には、15分漫才ができるコンビがいない。サカイストがやってくれないか?」とお言葉をいただいたので、「ぜひやらせてください」と福岡行きを決めました。

伝ペー:今でこそ福岡にも劇場ができましたけど、当時はまだなかったので、初心に戻れる。解散まで行かないにしても、もう漫才じゃ食えないんじゃないか……という場面は10年目の節目とかでありましたけど、もし東京に残っていたら芸人を続けてないかもしれないです。芸歴が上がって劇場で出番がなくなって、漫才というものを奪われてしまったら、僕らはたまにしか漫才をしないみたいなコンビになっていたかもしれない。

――福岡に劇場ができたというのが大きいですよね。お二人は、その前から福岡での土壌を作っていたわけで。

マサヨシ:何もなかった頃は、ビブレホールという施設のライブハウスでやっていたんですが、楽屋が細長くて(笑)。そもそもライブハウスの楽屋ですし、奥が従業員休憩室なので、ビブレのアパレル関係の人たちがタバコ吸いに来たりとか。今は劇場がドンっとできたので、よかったなと思います。

▲きっと何年経っても俺らは漫才を続けてます

――8月25日には、単独公演『弟子de兄弟』が開催されます。こちらのタイトルに込めた思い、そしてどんな公演にしたいですか?

マサヨシ:僕らは、いくよ・くるよの弟子であって、兄弟。このタイトルで東京時代もルミネでやっていたんですけど、今回はくるよ師匠が亡くなったタイミングでもありますし、ここで初心に返るために、このタイトルと漫才をしっかりできたらと思いを込めました。

伝ペー:師匠があっての僕ら、ということを再確認というか。師匠に恩返しが少しでもできるように、師匠のことを考えながら漫才をやる単独ライブだと思います。僕らは“いくよ・くるよ”の弟子なので、誇りを持って漫才したいですね。

――新ネタも披露されるのでしょうか?

マサヨシ:4本くらいできたらとは思っています。でも、1時間なのでフルで漫才をやってもいいんですけど、どうしても弟子というのがあるので、少し師匠との思い出話をしようかなと。お客さんと一緒に、師匠といた空間を感じられたらいいなって。

前半はしっかり漫才をやって、後半をしんみりするわけではなく、いろんなものを見ながら「あのときはこうだった、ああだった」と話ができて、さらに師匠のことを皆さんに知っていただけたらなと思っています。

――最後になりますが、今後の展望や目標も教えてください。

伝ペー:僕がいつも思っているのは、福岡に行ってからそうなんですけど、福岡の街に染まりたくないんです。福岡の街を染めたいんですよ! だから、何年後かに福岡空港や博多駅とかに「ようこそ福岡へ」の看板になれていればいいなと思います。「福岡を代表する芸人さんだね」と言われたい。福岡に行ったからには叶えたい夢です。

マサヨシ:本当にそうです。そのために行っていると思いますし、師匠のように息の長い芸人で漫才が続けられたらなって。だから、きっと僕らは何年経っても漫才を続けていると思います。

(取材:笹谷 淳介)


▲サカイスト単独ライブ『弟子de兄弟』

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