みずき舞が新曲『わかれざけ』で魅せる演歌の力。ヤケ酒がつないだ小橋建太との縁

1992年のデビュー以来、みずき舞は歌手として活動を続けてきたが、2年1か月ぶりとなる新曲『わかれざけ』を6月にリリースした。

伝統を重んじる演歌界において、新たな表現を模索し完成した新曲となる。8月23日には都内でライブを控えるなか、どのような思いで歌と向き合っているのか。6月の能登半島地震被災地復興応援コンサートでの感動秘話、さらには夫で元プロレスラーの小橋建太氏とのお酒にまつわるエピソードも含め語ってもらった。

▲みずき舞【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-INTERVIEW】

新曲のテーマは“お酒”

――新曲『わかれざけ』が6月19日にリリースされました。カップリング曲が『酒連々』(さけれんれん)と、“お酒”でテーマが統一されていますよね。

みずき舞(以下、みずき):シングル曲とカップリング曲、テーマが同じというのは初めての試みですね。ディレクターさんとも、まず何をテーマにするかお話をしたとき、“新たなみずき舞を出したい”をという気持ちが強くありまして、そのなかで2曲どちらも“お酒をテーマにしよう”と。

『わかれざけ』の作曲をしてくださったのは杉本眞人先生です。じつは、杉本先生とはデビューしてすぐの10代の頃からご縁があったので、今回は念願叶って曲を作っていただきました。お酒って、祝い酒のように楽しむものもあれば、人を想って偲ぶお酒もありますよね。『わかれざけ』は文字どおり別れをしっとりと歌い、『酒連々』は仲間と一緒に楽しく飲む曲になっています。

――今回が14曲目のリリースとなりますが、あえて新しい挑戦に踏み込んだのはなぜでしょうか?

みずき:普段、周りの皆さんと話しているなかで、自分たちがいる演歌の世界だけに限らず、どのジャンルにもルールのようなものがあるのだと感じていました。ただ、それを否定するのではなく、「新たなものに少しずつチャレンジしていく時期なのかな」という思いもありました。

ここ何年かで本当に世界中でいろんなことがありましたよね。今まで当たり前だったことが、いったん立ち止まったり、考えさせられたりするなかで、この『わかれざけ』が誕生しました。つまり、今だからこそ歌える曲だと思っています。

――歌声についてもお聞きしたいのですが、みずきさんは普段の雰囲気と比べると、歌っているときはハスキーな印象があります。

みずき:私は1992年に「細江真由子」の名前でデビューしたのですが、そのときのキャッチコピーが「シルキー・オン・ハスキー」だったんです(笑)。それは会社の方が考えてくださったものなのですが、やっぱりこの声でなければここまで歌ってこられなかったと思います。

▲デビュー当時のキャッチコピーを教えてくれた

――そのハスキーな声が『わかれざけ』の悲哀、物悲しさを表現しているという印象です。

みずき:ありがとうございます。そこは作曲の杉本先生のメロディーによるところが大きいのだと思います。私自身がこの曲をこういう声で歌おうとしているというより、メロディーと私の声の相性ですよね。そこに作詞家の森坂とも先生の言葉一つひとつの持つ力が加わって……演歌で「莫迦(ばか)やろう」という言葉はなかなか使われないですし、タイトルがなぜ平仮名なのかも含めて、すべてが“あえて”なんですよね。

――みずきさんのお子さんも順調に育って、家族と幸せな生活を送るなかで、別れがテーマの歌をうたうわけですが、気持ちの込め方に関して心掛けていることはありますか?

みずき:その歌詞の世界に身を置くというよりは、私が“主人公になる”。それがこの歌を表現するイメージです。たとえるなら、女優さんが演じるのに近い感覚ですね。この作品を歌うときは、目の前にお酒があって、その場所に自分がいるという意識でいます。

あと、世の中にはいろいろな別れがありますが、言葉にできない思いによって別れることもあるじゃないですか。そうした思いを歌で表現したいと考えているのですが、入り込みすぎてしまうことがあるぐらい。実際に『わかれざけ』の最後に「莫迦やろう」という歌詞が出てきますが、収録のときに気持ちが入りすぎました(笑)。

ヤケ酒が小橋建太さんとの縁を結びつけた!?

――『酒連々』には「浮かれ酒 けんか酒 詫び酒 泣き酒 笑い酒」という歌詞が出てきますが、これらのお酒はすべて経験されていますか?

みずき:私、お酒を飲んでも普段とほとんど一緒なので、浮かれ酒がちょっとあるぐらいです。泣き酒はないですね。それは一緒にいて楽しい人としか飲まないからというのもあると思うんですけど、お酒に頼ることがないというか。深酒は……ちょっとありますかね(笑)。

――旦那さんの小橋建太氏(元プロレスラー)と初めて会ったときに、大喧嘩をしたという逸話を聞いたことがあるんですが、本当の話ですか?

みずき:あれは小橋さんがヤケ酒をしていて、飲んだこともない分量を飲んだときが(二人が会った)最初で、もちろん私はヤケ酒の背景も知りませんし、“この方はそういう方なんだな、二度と関わりたくないな”と強く思いました(笑)。

それが、連絡先も伝えていなかったのに後日、お詫びの電話が来たんです。“なんで、あの人から電話が!?”とビックリしつつ、早く切りたかったので「ほかに何かございますか?」と言って1分ほどで切ったという、いま思うと大変失礼なことをしちゃいまして(笑)。

でも、それから小橋さんを知っていくなかで、普段は全然飲まないですし、ヤケ酒はその初対面のときだけだったので、よほどつらいことがあったのでしょうね。

――ある意味、みずきさんと小橋さんを結びつけたのが“ヤケ酒”だったことになりますね。

みずき:それがよかったのかもしれないですね。楽しいお酒だったら、その場は楽しかっただけで終わって、点のままだったかもしれません。そこからお詫びの電話をいただいたことで線になったのですから。

――6月29日に能登半島地震被災地復興応援コンサートとして現地を訪れ、伍代夏子さんをはじめとする7人の女性演歌歌手の皆さんで歌いました。

みずき:今回は石川県珠洲(すず)市を訪問しました。その道中でも家が全壊しているところがたくさんあって……どれほど心を痛めていらっしゃるのだろう、自分に何ができるのだろう、と考えながら向かったんです。

でも、会場に着いたら、すごい暑さにもかかわらず大勢の皆さんが笑顔で待ってくださっていて……1曲目の『能登半島』が始まった瞬間に、出演者はみんな泣いて歌ってました。

――元気になってもらうために行ったのに……。

みずき:逆にいろいろな想いをいただきました。聴いていただける方との距離感の近さも、演歌ならではと改めて感じましたし、演歌にしかできないことがあると再確認もしました。それは人に寄り添ったり、気持ちを汲み取ったりという役割だと思っています。そこは忘れてはいけないですよね。

こういう機会にずっと巡り会えていることでが、私自身のモチベーションにつながっていて、83歳になった父は今も変わらず会場にも応援に来てくれるのですが、その喜んでくれる表情も励みになっています。

▲ずっと会場に応援に来てくれる父親への感謝も

――8月23日には目黒(東京都)の「BLUES ALLEY JAPAN」で、新曲を引っ提げてのライブがあります。

みずき:お酒がテーマの曲を披露するということで、ライブ開始前にお食事とお酒を楽しんでいただく、普段の疲れを取っていただく、あるいは逆に力をチャージしていただく……そんなステージにしたいと思っています。

「みずき舞プロデュース“お酒に合う1プレート”」付きの席も用意されていて、新しいと思っていただけることをやっていきたいです。ライブハウスで演歌のライブをやるのも、今まではあまりなかったことです。

これからも、たくさんの新しい魅力を表現して発信していけたらと思っています。皆さんにも、ご自身のお酒にまつわる出来事を思い出しながら、新曲を聴いていただけたらうれしいです。

(取材:鈴木 健.txt)


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