身近な人と別れても渡米した村本大輔の信念「アメリカでは思想のないヤツが浮いてた」
ニューヨークに活動拠点を置き、本場のスタンダップコメディに挑戦している村本大輔(ウーマンラッシュアワー)。現在、彼は日本で残した『第32回 ABCお笑い新人グランプリ』最優秀新人賞、『THE MANZAI 2013』優勝といった輝かしい成績が通じない異国の地で、アメリカ人を笑わせている。海外での挑戦を決めた村本に訪れた土壇場とは。
アメリカに行ったら仲間がたくさんいた
ハイテンポでパンチ力の強い漫才を武器に、劇場やテレビで笑いをかっさらっていたウーマンラッシュアワー。数年前、彼らが漫才番組『THE MANZAI』(フジテレビ系)で披露した社会問題を題材にしたネタが、物議を醸したことがあった。村本がアメリカに目を向けたのは、この頃だったという。
「4~5年前に僕の漫才を見たアメリカ人が、Twitter(現X)で『ウーマンラッシュアワーの漫才を見た。ジョージ・カーリンみたいだった』と書いていたのを見つけたんです。どこかで聞いた名前だなと思ったら、お世話になっていた秋元康さんから、アメリカには、地球温暖化の話だけで1時間喋って爆笑をとるジョージ・カーリンという、すごいコメディアンがいると教えていただいたのを思い出して。“あの人か”と」
それからというものの、意識してアメリカのスタンダップコメディを見るようになった。すると、ほとんどのコメディアンが、社会問題に対する自分の意見をネタに取り入れていた。
「『アメリカ中に存在する全ての意見は、誰かが(ニューヨークにある)コメディクラブで代弁している』というカッコイイ言葉があるんですけど、それぐらいアメリカのコメディは意見であふれているんですよ。
日本で僕の周りでは、そういうこと(社会問題を取り入れるネタ)をしているのが僕だけで浮いてる感じがあったし、そういったことをネタにすると“思想家だ”とか“お笑いにそういうのは持ち込んでほしくないと”か意見があって、寂しさもあったんです。でも、アメリカに行くと、逆に思想がないヤツのほうが浮いていて、本当に仲間みたいな感覚になりました」
ガンの父を置いてまでアメリカに行くべきか?
そのあと、アメリカ行きを決意した村本だったが、ここで究極の選択を迫られる。
「アメリカに行くと決まったとき、ちょうど“父親がガンになった”という話を聞いたんです。これがすごい選択でした。福井という故郷を出て、(芸人になるため)大阪に行って、東京に行って……どんどん福井との距離が遠ざかっているじゃないですか。
親とは電話やLINEでつながってはいますけど、アメリカに行くとなると、すぐには帰れないし、“温度”を感じられなくなる。そこで、あと何回、実家に帰れるんだろう。いま行くべきなのかな……って、すごく葛藤しましたね」
その迷いのなかで、村本はアメリカ行きを決断した。
「僕も40代になったし、早く勝負して早く言葉を覚えたい。アメリカに行っているあいだに、お父さんが亡くなってもしょうがない、と自分自身に強く言い聞かせました。たとえば、お父さんが亡くなってからアメリカに行くと決めた場合、“意外と死なへんやんけ”みたいになる可能性もあるし、日本で年をとって、いざ自分が病院に行って“村本さんの肺に影が……”とか言われても最悪やし(笑)。
ただ、アメリカに行くということは、相方を置いていくことになるじゃないですか。漫才師として行くのは違うかな、とも。そもそも、相方には相方の生活がある。そんなことも含めて、“いろんな人を巻き込んでいるな”とは思っていました。だいぶ迷いました」
そんな村本を追ったのが、ドキュメンタリー映画『アイアム・ア・コメディアン』である。独演会で日本各地を回る姿、相方や家族との対峙など、村本の3年間に密着している。
「最初のうちはカメラを意識して、面白いことを言おうとしていたんですけど、時間が経つと、すごくナチュラルになってきたんです。それが(日向史有)監督の狙いだったみたいですね。(密着中に)コロナと父親が亡くなる、という2つのクライシスがあったんですが、今回、出来上がったものを見ると、当時の不安定な感情を思い出して、最後のほうは直視できなかったシーンもありました」
映画では、生前の父親と喧嘩をするシーンがあった。相方の中川パラダイスからは「お父さんやお母さんへの想いも見えて、あれこそがまさに村本の真骨頂だ」と言われたという。土壇場にいた彼のすべてをカメラが撮っていた。
「(映画では)もう何年もカメラを回されたあとだったので、カメラの意識なく父親と喧嘩しちゃいました。当初は家族との喧嘩をエンターテインメントに消費してほしくなかったんですけど、監督が“すごく良い親子の関係に見えました”と言ってくれたので、もし共感する人がいたら……と思って、流すことをOKしました」
映画では、独演会のステージに立ち、思いの丈をネタにこめて爆笑をかっさらうシーンがあった。ネタの根源について村本は「どうしようもなく、いたたまれない気持ちになったときに、たまたまネタになってしまう。そこで救いができるというか」と語った。
ひるんだらお客さんにバレてしまう
ネタができた例として、沖縄で活動する芸人に巻き起こった、ある話を語ってくれた。
「その芸人は基地のことをネタにしているんです。沖縄の人は、基地や米軍に対していろんなモヤモヤがあるので、そのネタがウケるんですよ。笑いは安心ですから。共感して、笑って、安心するみたいな」
そんななか、その芸人が本州にあるケーブルテレビでネタをすることになった。そこでも、基地のネタを披露しようとしたところ、スタッフに止められたという。
「その話を聞いたとき、僕の中でなんとも言えない気持ちになったんですよね。沖縄に基地があるということは、ミサイルや戦闘機を持ち込まれているということ。それなのに、沖縄の芸人はジョーク1つも外に持ち込めないのか、と。
よく、沖縄にとっては日常でも、それ以外の人にとっては非日常だから、ネタにされると不安な気持ちになる、と言われるんです。でも、それって沖縄を切り離して考えているような冷たい感じがして……。そういうときに“ライブでこれを言ってやる!”という気持ちになるんですよね」
村本にネタづくりにおいてルールはあるのか。質問を投げかけてみた。
「媚びず、ひるまないことですね。例えば、吉本の寄席とか漫才番組のお客さんの前でも、絶対にひるまないです。ジョージ・カーリンが言っていたんです。『自分の意見をコメディにするんだったら、絶対にひるんではいけない。ちょっとでもひるんだらお客さんにバレてしまう』。その言葉を守っている感じですね」
この映画を見た人に感じてほしいこと。それは「職業にとらわれてほしくない」ということだ。
「例えば、“将来、お笑い芸人になりたい”と言う人がいるけど、お笑い芸人になりたいんじゃなくて、(その先には)“笑わせたい”という気持ちがあるはずですよね? “英語を覚えたい”もそうです。“いやいや、英語を覚えて何がしたいんだ”と。
どんな職業でもそうですが、みんなカテゴライズされたものになろうとしているけど、それってすごく退屈でくだらないというか。もっと枠を飛び出すことが大事だと思うんです。
今回の映画は、僕の純粋な好奇心で全て動いていると思うんです。なんでも職業的になりすぎると、どんどんくだらないものになる気がするので、そのあたりの思いを感じてもらえたら」
もっとお笑いに真摯に向き合ったら先に進める
紆余曲折を経て、今年アメリカへ飛び立った村本。現在は「コメディクラブ」を回って、1日数ステージをこなしているという。
村本いわく、アメリカにはオープンマイクという文化があり、小さなバーやカフェにいるホストに数ドルを払うと、ステージに立てるシステムがあるとのことだ。そんなアメリカ生活について、村本は「夢の中にいるような感覚」と例える。
「コメディのネタを作って、社会への皮肉でドカンと笑いを取れたときや、さっきまで僕と目も合わせなかった人たちが、ウケた瞬間に“Instagram教えて!”と集まるときは、なんとも言えない夢のような時間に感じますね」
ただ、英語は完璧ではなく、片言で奮闘中。日本のように、スラスラと言葉を生み出せるわけではない。
「日本では、言葉を自由に操って、いかにお客さんにオチがバレないか、感情を込めながら持っていくんですけど、英語は片言だから、日本と同じ文字数で喋っていたら、遅くてオチがバレちゃうんですよね。だから、中盤ぐらいで笑いが起きちゃう。よりフリを短く、よりオチを強くしていかないと……とは思っています。
あと“これが絶対に面白い”と思っても、それを言葉にできないのがツラいです。言いたいことはあるのに、言葉がついてこない。若いときのジャッキー・チェンが、おじいちゃんの体に乗り移ったみたいな。そんな状態でやっているけども、その体でウケたときはうれしいです」
そうして言葉の壁に阻まれながらも、アメリカのステージでは覚醒する瞬間がある。20年以上も日本の舞台に立っていたことが、血となり肉となっているのだ。
「バッとウケはじめたら、日本語と同じモードに入るときがあって、不思議なんですよね。アメリカ人から、お前は変だ。言葉はボロボロで、発音もめちゃくちゃなのに、舞台に立った瞬間、間(ま)とかオチとか演技とか、プロの芸人に見えるって驚かれるんです」
着実に階段を登っている村本。最後に、アメリカでどんな景色が見たいのかを問うてみた。村本は、タネを採って野菜を育て、その野菜からできたタネをまた植えて野菜を作る……を10年繰り返すことで、ようやく野菜がその土地の土に馴染むと言う、雲仙の農家・岩崎政利さんの話を例に出しつつこう語った。
「自分が、あのジョージ・カーリンという野菜を育てたアメリカの土に10年いて、50~60歳になったとき、すごく魅力的なネタをやっていそうな気がするんですよね。その自分への期待みたいなものがあります。
多くの芸人は、東京に住んだら東京だけでやっていきますけど、料理人は、イタリアンを作りたくなったらイタリアに行くし、逆にイタリアのシェフが和食を勉強することもある。お笑いには、そういうのがないのが疑問でした。もっとお笑いに真摯に向き合ったら、もうちょっと上に行けそうな気がするんですよね」
(取材:浜瀬 将樹)
07/28 12:00
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