「いま辞めたら何者でもない…」解散危機を乗り越えたガクテンソクが掴んだ優勝

5月に開催された『THE SECOND~漫才トーナメント~2024』で優勝したガクテンソク。『M-1』チャンピオンを目指して漫才を始めたという二人だが、今回の優勝には“M-1を卒業したこと”が大きく関係しているという。ニュースクランチのインタビューでは、ガクテンソクがチャンピオンの肩書きを手にするまでの道のりを聞いた。

▲ガクテンソク(よじょう / 奥田修二)【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-INTERVIEW】

今回の単独に向けて新ネタを作ってます

――7月に単独ライブ『ふるべのかむわざ』を開催するとのことですが、賞レースで優勝したことで、昨年までとは違った内容になるのでしょうか。

奥田修二(以下、奥田):いや、僕らは2022、23年も、『M-1グランプリ』に出てたときほど賞レースを意識して新ネタのテーマ選びをしてなかったので、今年もそこまでは変わらないと思います。

――『SECOND』で披露したネタも、そこに向けて作った漫才という感じではなかったんですか?

奥田:そうですね。SECONDは、そのへんを意識しなくてもOKな大会なんで。だって、ザ・パンチさんとか、テーマ「雷おやじ」でしたからね(笑)。もう、この世界にはいないやろって思うんですけど、漫才に人間が乗ってるから面白いし、OKなんですよ。

とはいえ、僕らはSECONDで普段やってるタイプのネタに、普段使ってるワードなどをふんだんに入れさしてもらったんで……。今、弾を撃ち尽くしてしまった状態で弾倉が空っぽ(笑)。なので、今回の単独では、寄席や営業で誰にでも笑っていただけるようなネタを大量に作りたいなと思ってます。

――では、単独では新ネタが見れるんですね。

奥田:そうですね。全部、新ネタです!

――ちなみに、これまでも何度か『キングオブコント』にも挑戦されていますが、コントをやる予定は?

奥田:M-1を卒業してから、せっかく良いテーマを思いついても、“このテーマを漫才にするのムズいな”と思ったとき、漫才にせんでええやん、もうM-1終わってるやんって気がついたんです。それで“これ、コントやったら成立するな”と思ってコントにしたんですよ。なので、おもしろいかなっていう設定が出れば、またやりたいなくらいの感じです。

――では、今後コントを見れる可能性もあるんですね。改めて、THE SECONDを終えての話を聞きたいのですが、優勝の実感はいかがですか?

奥田:こうやって取材がいっぱい入ったりとかして、徐々に実感してきました……。(よじょうに)ここで喋らんと、取材におらんようになるけど、いいの?

よじょう:(笑)。いやいや……。

――(笑)。周りの方の反応はいかがでしたか?

奥田:いろんな方から祝福していただいたんですけど、やっぱり(博多)大吉さんからの祝福がうれしかったです。現場でも声をかけてくださったんですけど、2日後ぐらいに祝勝会を開いてくださって。インスタにもアップしたんですが、あれはうれしかったですね。

よじょう:僕は(ダイアン)津田軍団なんです。津田さん、普段のLINEは記号とかが一切なし、みたいな感じなんですけど、優勝のときだけは「おめでとう!!!!」って来て、テンション上がってる感じが伝わってきてうれしかったですね。

そのあと、津田さんと市川(女と男)と呑んだとき、津田さんが普段はあんまそんなことせえへんタイプの人なのに、「優勝おめでとう」って、ええ肉のケーキみたいなのもサプライズで出してくれて。

奥田:たしかに、津田さんがそうしてくださったらグッと来るよね。

M-1に賭けてる芸人の気持ちがわかるから…

――新しい仕事も増えたんじゃないでしょうか?

奥田:そうですね。大食いしたりしてます。新しい仕事ということで考えると、例えばこれから、フジテレビさんの『逃走中』のオファーが来たら……。いや、ありがたいんですよ、ありがたいんですけど、いくら賞レースのチャンピオンと言っても、THE SECONDのチャンピオンに大食いと『逃走中』はちゃうやろ、40超えたオッサンですよ? と、フジテレビさんにはあらかじめお伝えしておきたいです。

よじょう:若くして賞レースを制した芸人が受けるオファーやもんな。

奥田:しかも、よじょうって、ほんま食べへんのですよ。

よじょう:僕は大食いは無理ですね。

奥田:だから、それも僕の役割なんです……。でも、いただいた仕事は楽しくやらせてもらってます。

――これから挑戦してみたい仕事はありますか?

奥田:基本的に、いただいたお仕事は全部受けたいなと思ってます。一生懸命がんばってみて、 違った場合はあちら側が判断してくれると思うんで。だから、まずは一生懸命やって、また呼ばれたらいいなと。僕らは持ってるもんしか出ないんですよ。

よじょう:伸びしろはMAXぐらいまでいってるもんな。

奥田:そうなんです。求めていただいたところで、現状あるものを全力で出すという感じです。だけど、もしかしたら僕ら気づいてなかった部分で、「おもしろい」と判断されることもあると思うんですよ。オジサンなので、新たな発見をしてもらえるなんてラッキーすぎるじゃないですか。そういうのも、ちょっとは期待してます。

――そういった部分でも、M-1に挑んでいたときと心境が違うんでしょうか。

奥田:そうですね。SECONDは、これで生活を変えるというよりは、生活の途中にある大会という感じなので。普段やっていることを出す大会だと思います。

――ネタ時間6分という点でも、M-1よりは普段の寄席でのステージに近いですよね。

奥田:そうなんですよ、いい尺です。M-1の時期、そこに賭けてるメンバーは、劇場のネタ時間が5分でも、4分ぐらいで帰ってくるんすよ。でも、その気持ちは痛いほどわかる。だから、“わかった! じゃあ、その1分はこっちが引き受けよう!”と、僕らのように、M-1を卒業した世代が6分やるんです(笑)。SECONDはそれと同じ感覚でやれるのがありがたいです。

解散危機を救った『THE MANZAI』

――お二人は解散危機もあったとのことですが、改めてここまでの道のりを教えていただけますでしょうか。

奥田:2010年に第一期のM-1が終わったのと、僕らがモチベーションにしていたbaseよしもとが同時に終わって、一度、解散危機を迎えました。でも、そこで「いま辞めたら何者でもないから、漫才がんばろうか」となって、そしたら2011年に『THE MANZAI』※で決勝に出ることができたんで、“僕らって頑張ったらなんとかなんねんな”って。

※2011年から2014年まで開催されていた、フジテレビで放送されていた漫才賞レース

――再びモチベーションができた。

奥田:ですね。でも、THE MANZAIってお祭りの要素が強い大会だったので、僕らみたいなタイプのネタって評価されるのが難しくて。「M-1やったら評価されたのにな」とか、よく言われてたんですよ。

よじょう:そしたら、2015年にM-1がまた始まったんです。

奥田:たぶん、僕らも優勝候補だったと思うんですよ。密着のカメラも多かったし。でも、2015年は準決勝で落ちて、2016年も準決勝で落ちて、2017年は準々決勝で落ちて。そのくらいのときに、僕は“自分のアイデアが枯れた”と思って、よじょうと、あと一緒にやっていた作家さん2人に「アイデアの種がすべて刈り取られてしまったので、新ネタ作りを休ませてくれ」と伝えたんです。

「漫才への熱が消えたわけじゃないけど、インプットの期間をくれ」と。その期間は、よじょうと作家さんに新ネタ作りをお願いしてました。

▲あの頃はちょっとしんどかったです

――かなりの危機ですよね。そう伝えられたとき、よじょうさんはどう思ったんですか。

よじょう:もう、やるしかなかったです。作家さんと一緒に考えてましたよ。でも、わりと僕もネタ作りに参加するタイプなんで、そのときも僕と作家さんが書いたネタを、二人で直しながらやっていってたんで、周りからは変わったようには見えてないんじゃないですかね。

奥田:僕は“書けない”と言ってるくせに、書いてもらったネタに「なんやねん、これ!」「ここはこうやろ!」とか言って、めっちゃ直してましたから(笑)。

刺激になったミルクボーイの優勝

――奥田さんのインプット期間はどのくらい続いたんですか?

奥田:1年くらいですね。今も寄席とかでやる漫才で、クリケットのルールを説明するだけ、みたいなネタがあるんですけど、あれを初めに作ったんです。それをM-1の3回戦でやったらめちゃくちゃウケて、“こういうのもありなんや!”と手応えをつかめました。ただ、そのネタが4分だとハマらなかったので、準々決勝は違うネタをやったら落ちちゃったんですけど。

――でも、いい刺激になったんですね。

奥田:はい。あと、そのくらいから徐々に寄席の10分、15分の漫才出番が増えていたんです。そういう長尺の漫才って、スロースタートで、徐々にワーと上がっていくネタの構成なんですよ。例えば、同じ陸上競技でも短距離走の選手はムキムキだけど、マラソン選手はガリガリじゃないですか。僕らもちょっと痩せつつあったんですよ、使ってる筋肉が違うから。

――M-1とは違う漫才になってきていたんですね。

奥田:“これからも普通に飯を食っていくんやったら、そっちだよな”みたいには思っていて。だから2019年は、まだあと1年出られたんですけど「もう今年でM-1に出るのは終わりでいいかな」と言ってたんです。でも、その年に完全な同期であるミルクボーイが優勝したんです。

よじょう:圧勝やったよな。

奥田:これで出えへんとか言ったら、来年めっちゃ周りの人に言われんねやろうな、みたいな。“やらなしゃあないか……”みたいな感じになって。そう思った矢先に2020年はコロナ禍になって、M-1の開催も危うかったんですけど、「旅行」をテーマにしたネタを1本だけ、M-1に向けて作ったんです。

――旅行のネタ、大好きでした。だからこそ、敗者復活でやらなかったのが“なんでだろう?”と思ってしまいました。

奥田:ありがとうございます。このネタはギャンブル性を極力減らして、絶対ウケるだろうっていう形にしたんです。最後に15年の経験を出せたんで、準決勝で負けた時点で、自分の中では悔いはなかったんで、敗者復活は別のネタで挑もうと思って。いま思い返すと、準決勝で死ぬほど緊張してたのが恥ずかしいぐらいでね。

――そのお話が聞けてうれしいです、ということは、M-1の出場資格がなくなってからも、漫才に対してのモチベーションはあったんですね。

奥田:そうですね。M-1を目指して芸人を始めたわりには、“さあ、今からM-1と関係ない漫才作っていきますか!”っていう感じに、すぐ切り替えられましたね。

――SECONDの優勝会見で「(NGKのトリを取る人を)銀シャリさんだけにしたくない」との発言もありました。

奥田:もちろん、劇場に立ち続けたいというのはあるんですけど、あの言葉はそれ以上の意味はないんです。ただ、劇場のトリを取るのって、僕は“ちゃんとお客さんを呼べる人”だと思ってるんです。僕の中で“この人が出るなら、見に行こうと思ってもらえる人”がトリだと。

そこで言うと、僕らはこれまで吉本の扶養家族だったんで、売れてる皆さまが劇場に立つから、ライブに出られている。これまでの僕らは、ライブを成立はさせてるけど、お金はそこまで生んでないんですよ。

でも、この年になったら、さすがに実家に仕送りせんとじゃないですか。テレビにも出て、知ってもらって、“ガクテンソクを見られるんやったら劇場に行ってみよう”ってなる存在にならないと。

よじょう:そうですね、そこは僕も一緒の考えです。知名度がないと、本当の意味でトリにはなれない。

『THE SECOND』優勝の一因は“上京したこと”

――昨年4月に東京に拠点を移しました。

奥田:タイミングに関しては本当にいろいろあって……。もともと、M-1のラストイヤーが終わったタイミングで、東京には行きたいなと思ったんです。だけど、使い勝手がよかったのか、会社にやんわり引き止められました。引き止められたんかな?ってくらい、やんわりと。

それも「単独ライブやりましょう」って2月に言われて、その話はうれしかったんで「ほな、やりましょか?」って返して。で、「お客さんは入ると思うんですけど、もっと増やすために、もうちょっと大阪の出番を増やしていきましょう」みたいな感じで、徐々に11月ぐらいまで予定が立っていったので、“なるほど、そういうことか!”と。

――大阪もお二人を手放したくはなかった。

奥田:そうなんですかね? で、その単独が終わったタイミングで「来年は上京してもいいですかね?」って社員さんに聞いたら、“じつはここだけの話なんですけど……”みたいな感じで「2022年の4月に『伝説の1日』っていうライブがあって、そこでもうNGKの出番でガクテンソクさんの名前も入ってるんですよ。それがもう入っちゃってるんで……」って。

おいおい、会社も大勝負に出たな。たった1日のために上京を待てって言うんか……と思ったんですけど。

――(笑)。

奥田:僕らもあまり歓迎されないまま上京するのも不本意なんで、そこはわかりましたと。ただ、次の年には東京に行くので、そこはよろしくお願いしますと。それで昨年の4月になったんです。

よじょう:「別にわざわざ東京に行かんでもええんちゃう?」ってみんなが言ってるなか、メッセンジャーのあいはらさんだけは、「いいタイミングやと思うで」と言ってくれました。でも、「1回行ったら、もう帰ってこれないよ」とは言われましたけど(笑)。

奥田:「東京に行くんやったら、裏切り者やと思うからな」とはっきり言われて、あいはらさんのそれは冗談やと思うんですけど、ほんまに上京してから1年間は、大阪の番組に呼ばれなかったですね。まあ、僕らの往復の交通費を出すくらいなら、未知の東京の芸人さんを呼んだほうがチャレンジできるわけやし、僕が使う側でもそう思うでしょうし。

いつまでも吉本の扶養家族じゃいられない

――大阪から東京に、環境を変えたことでネタに変化はありましたか?

奥田:メッセンジャーの黒田(有)さんとか、笑い飯の哲夫さんには「東京に行く前とはめっちゃ変わった」って言われました。「よじょうのパワーが上がっていて、これまでは奥田が強すぎたのが、優しい感じになってる」と言ってくださいました。

「これまで9:1ぐらいで見えてたけど、奥田が6.5あって、よじょうが3.5かと思いきや、4.5くらいある、めっちゃいいやん!」って。結果10を超えるくらいに見えてるなら、それはスゴくええことやなと思いました。

よじょう:自分ではわかんないんですけど、黒田さんには「なんか、めっちゃ自信をもってボケるようになったな」って言われました。真顔で「変な薬でもやったんか?」って(笑)。

奥田:それでも、そんな変わるんか?って思いますけど(笑)。

よじょう:でも、いい感じの影響があったんだと思います。

▲東京に行って変わったと黒田さんに褒めてもらいました

――客席の雰囲気とかも違うんですか。

奥田:お客さまの笑うポイントは違いますね。体感なんですけど、大阪はツッコんだあとに笑うので、ツッコミが強くなりがちなんです。東京のお客さんは、それぞれが好きなところで笑うんですよね。だから、ツッコミを待たずに笑いが起きる。ボケでウケてるのに、そのあとヤイヤイ怒ってたら“あいつ、なんやねん! うるさいわ”ってなるじゃないですか。それで、たしなめるようなツッコミに変わりました。

――最後に、これからのガクテンソクとしての目標を教えてください。

奥田 今はいろんな仕事をさせていただいてるんですけど、2周目で呼んでいただけるところは、たぶん「チャンピオン」じゃなく「ガクテンソク」として呼んでもらえると思うので。僕一人だったり、よじょうだけだったり、というのも増えてくると思うんです。というか、増えていかなあかんと思いますし。

それぞれ立場を作りながら、劇場出番もあったらいいですね。“さあ、今日は何しましょうか”みたいな感じになれたらいいなと思います。まあ、なんせ、この1年ががんばりどころって感じですね。

よじょう 本当にそれが全てですね。知名度を上げる作業って、やっぱテレビが一番なんで。テレビで見た“この人たちを見たい”から劇場に行きたいって人を増やさないと。いつまでも吉本の扶養家族じゃいられないので。

奥田 たしかに、もう来年20年目で、お笑い芸人としても成人式ですから、そろそろ扶養から外れないとな。

(取材:梅山 織愛)


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