「事務所を退所、朝起きたら女房がいない」玉袋筋太郎、ここ数年の土壇場を語る

たった数年間で、人生にそう何度も訪れることはない「土壇場」と対峙してきた芸人・玉袋筋太郎​​(浅草キッド)。オフィス北野​​(現・株式会社TAP​)を退所したこと、それに伴い、コンビとしての活動は休止状態であること、彼がオーナーを務める「スナック玉ちゃん」がコロナ禍により大打撃を受けたこと、そして長年連れ添った妻が家を出ていったこと……。

2024年3月に発表した著書『美しく枯れる。』(KADOKAWA)では、これら自身の周りで巻き起こった出来事を赤裸々に綴っている。今回、その土壇場について話を聞くべく、ニュースクランチ編集部は彼がオーナーを務める「スナック玉ちゃん 赤坂本店​​」へと向かった。

▲俺のクランチ 第54回-玉袋筋太郎-

休止中の浅草キッドは“やめるはずねえ”

「常に土壇場ですよ。でも、仰るとおり、直近の5~6年が一番の土壇場。土俵際いっぱいですよ」

そうつぶやいた玉袋は、オフィス北野を離れた2020年当時を回顧する。師匠であるビートたけしが事務所を離れ、玉袋もフリーになることを決意したときは、まさに「人生の土壇場」だった。

「自分がこれまでやってきたことなんて大したことないんだけど、もうこの歳だし、“(フリーで)やってみようかな”という気持ちがあったんです。平静を装っていたかもしれないけど、心の中じゃドタバタしていましたよ。そのドタバタのなかで、朝起きたら女房が消えていた……とか、そんな立て続けにあったら、落ち込むじゃないですか。

例えると、家族と暮らしているときは雑居房で、女房に家を出られて独房に入ったって感じ。刑務所の独房と比べりゃ、酒も飲めるし、AVも見れるし、でっけえテレビもあるし、自由度は高い!

でも、やっぱり独房は寂しいよね。人の土壇場を見ているときは、なんとも思わねえんだけど、自分に降りかかると、“やっぱり土壇場って大変だな”って感じましたよ」

事務所騒動で揺れるなか、共演した内山信二​​が「スナック玉ちゃん」に顔を出してくれたことがあった。玉袋の異変を察知して、アポなしでやってきたのだ。

「自分ではそんな顔を見せたつもりはなかったんだけど、たぶん顔に書いてあったんだろうね。内山くんも会社から独立して苦労しているから、そこを見抜かれちゃったのかな。あんなにうれしい夜はなかった。そこで少し暗闇から抜けたって感じがしましたよ」

相方である水道橋博士が事務所に残ったことで、浅草キッドは所属先が違うコンビとなった。現在は活動休止状態である。もうサンパチマイクの前に立って、漫才をする二人を見ることはできないのであろうか。

「“俺たちの漫才を見たい”って人は少数かもしれないけど、確かに今は見られねえじゃん。でも、それは“もしかしたら、ずっと見られねえんじゃねえか”って思わせる俺のアングル(想い・狙い)だから。俺は前からそれでいるつもり。

博士が“そうじゃねえよ”って言うんだったら、俺のアングルは通らなかったんだなって思うだけだね。殿(=ビートたけし)にあんなこと言ってもらって、やめるはずねえんだから。だけど、“今の状況じゃできないな”と思っているというかね」

“殿から言われたこと”というのは、著書『美しく枯れる。』に記載されている。玉袋がフリーになると決めて、挨拶に行った際に言われた“ある言葉”だ。やはり、芸人・玉袋筋太郎を語るうえで外せないのは、師匠・ビートたけしの存在である。そんな師匠を見上げるなかで、気づかされることがあった。

「中1の多感な時期にラジオを聴いて、18歳で一門に入れてもらっているからさ、俺の『ビートたけし血中濃度』は高いよ。たださ、殿がグッと(芸能界での地位などが)上がっていく姿を間近で見させてもらって感銘を受けた反面、“俺がたけしになれるわけねえ”っていうのも同時に気づくわけですよ。

例えば、今の子どもにさ、“将来、何になりたい?”と聞いたら“大谷翔平になりたい”って言う子がいるのは当たり前じゃん。だけど、年を重ねたら“俺、大谷じゃねえんだ”って気づくわけだよ。

これも言ってしまえば土壇場じゃない? だって、“自分は憧れの人にはなれない”って気づいたわけだから。俺は才能もねえし、ルックスも知恵もねえけど、逆に言えば、選択肢が無限にあるってことだよな。ただ、なれないことに悲観するんじゃなくて、他の選択肢が増えたんだって思うほうがいい。希望校は1校だけじゃないというかさ」

▲殿にはなれないけど選択肢は無限だよね

コロナ直撃で「スナック玉ちゃん」の危機

事務所騒動のなかで、もうひとつやって来た土壇場があった。コロナだ。芸人以外にも「全日本スナック連盟」会長​​で「スナック玉ちゃん​​」のオーナーとしての顔も持つ玉袋。コロナが直撃したことで、窮地に追い込まれた。

「スナック連盟の会長をやっている限り、スナック玉ちゃんは旗艦店。コロナで店を畳んだら負けだし、スナック連盟の目的でもある『スナックの文化を絶やしてはいけない』にも反するから、そこは頑張ったよね。売り上げがゼロになっちゃったから、従業員の給料を払って、家賃払ったら赤字。協力金はもらったけど、俺なんかずっと無給だったよ。

それに、俺はずっと貯金ゼロなんだよ(笑)。コロナになって一番怖ぇのが、手金がねえことじゃん。当時、テレビの仕事も激減しているから、収入も減っちゃってさ。言うのも恥ずかしいんだけど、ウチの会社、国からお金を借りたからね。

住宅ローンも残っているのに、またローンが増えちゃった。“じゃあ今が一番ドタバタしてんじゃねえか”って話だけど(笑)。でも、動いてりゃ絶対返せる。絶対大丈夫だと思ってるよ」

コロナ前は常連も多く繁盛していた「スナック玉ちゃん」。現在も、当時の常連は30%ほどしか帰ってきていないという。しかし、玉袋のレギュラー番組『町中華で飲ろうぜ』(BS-TBS)や、登録者数が13万人以上いるYouTubeチャンネル『玉ちゃんねる』などで彼を知った新規のお客さんが急増。満卓となっている。

「新しい発見をした」と話す玉袋。経営側に回ってみて気づくことが多々あった。

「ずっとスナックに通ってはいたけどさ、内側にいる人の気持ちなんてわからないわけよ。俺なんて経営者ごっこだけど、いざやってみるといろいろ見えてくるわけ。(両方の視点を持てるのは)貴重な体験だよね。

人材は宝だってことがわかったしさ、景気よく来てくれるお客さまのところには、お返しに行かなきゃいけねえとかさ。当たり前のことなんだけど、そういうことがわかってなかったからさ、非常に勉強になっていますよ」

うれしかった『町中華で飲ろうぜ』スタッフの言葉

土壇場を何度も経験するなかで、逆流性食道炎になって体重が落ちたこともあった。俺も人並みに神経すり減るんだなって冗談ぽく話してくれたが、その頃のテレビやラジオでは“いつもの玉ちゃん”がそこにいた。玉袋はプライベートで何があろうと“プロの芸人”を貫き通したのだ。

「そのほうがいいじゃないですか。もともと病気自慢とか好きじゃないからさ。みんな花粉症でも腰痛でも自慢するじゃない? 別にそれ、威張れることじゃないからね(笑)。同情してほしくて言ってんのかわからないけど、俺はあまりそういうことは言わねえようにしていたんですよ。

この年つったって、まだ60歳手前のガキ(現在56歳)なんだけど、それなりのキャリアもあるなかで、どう痛みを見せないで、プロレスを見せるか? 怪我して包帯ぐるぐる巻きのレスラーよりも、本当は怪我してんだけど見せないレスラー。俺はそっちが好きなんだよね。……そんなこと言ってても、俺はこの本で随分と愚痴ってるんだけどさ(笑)​」

そうして土壇場で負った心の傷を癒してくれたのは、仕事やプライベートで出会った仲間たちだった。

「『町中華〜』のスタッフさんや、ラジオのスタッフは、“事務所と付き合っていたんじゃなくて、玉さんと仕事をしてきたから”って、後ろ盾がなくなった俺を使い続けてくれているんだよ。もしあの番組がなかったら、俺、いま何にもないと思うよ。それぐらいの出会いだったね。

もちろん、ほかの仕事仲間とか、スナックで知り合った仲間とか、手伝ってくれているマネージャーもそうだけど、そういったみんなの支えで傷は癒えていったよ」

仲間と酒を酌み交わすなかで、いろいろと教えてもらうこと、気づくこともあった。

「ツッパってた20代、30代の時代もあったんだけどさ、どう考えたってもう年なんだよ。みんなと飲んでるとさ“マウントとるのはやめたほうがいいよ”“玉ちゃんはイジられたほうがいい”って話になるわけですよ。そういうのって人から教わるよね。

レースから降りてるわけじゃねえんだけど、イジられて勝つみたいなさ。それをイチ早く、一番やってたのって、ダチョウ倶楽部の竜さん(上島竜兵さん)だと思うんだよね」

▲土壇場で負った傷を癒してくれた仲間たちへの感謝を口にした

玉袋筋太郎​​って名前で生きてみろ(笑)

彼の著書『美しく枯れる。』では、玉ちゃん流の人生後半の歩き方について書かれている。この本について宇多丸​​(RHYMESTER)と話す機会があったようだ。

「50歳で出した本『粋な男たち』も読んでくれた宇多丸さんが、“(玉袋が)50歳で言っていたことも確かにその通りだと思ったし、いま出ている本も確かにそうだと思うんだけどさ、俺たち54歳(宇多丸)と56歳(玉袋)じゃん。60~70歳の先輩が見たら、いまだに俺たちのこと鼻ったらしだと思うんだろうね”って言うんだよ。

俺も、いま自分で前の本を読むと“コイツ鼻ったらしだな(笑)”って思うわけよ。上には上がいるというかさ、永遠の鼻ったらしなんだよな」

年相応、身の丈にあった生き方、自分本来の生き方などの思いをこめた「アンチ・アンチエイジング」を提唱している玉袋。アンチ・アンチエイジングの筆頭は、現在88歳の毒蝮三太夫だという。

「俺は(映画『スター・ウォーズ』に出てくる)ジェダイの騎士​​じゃないかもしれないし、フォース(目に見えないエネルギー)を使えないかもしれない。だけど、やっぱりマムシさんみたいなフォースを出せる人になりたいんだよね。そうなるためには、やっぱり『アンチ・アンチエイジング』じゃないといけねえなと思うわけ」

まさしく『美しく枯れる。』というわけか。

「笑っちゃうのがさ、“『美しく枯れる。』でいくぞ!”って本を発売した次の日が、桜の開花宣言だったの。ズッコケたね。ある意味、持ってんなと思ったよ(笑)。

どんな人がこの本を読むかはわからないけど、(玉袋より年齢が)上の方には、背中を見せていただきたいし、下の方には“こいつ今こうなってんのか”と思ってくれたら、たぶん、いま負っている傷は浅くなると思うよ。

これを言っちゃおしまいなんだけど、一度『玉袋筋太郎』​​で生きてみろって思うんだよ。こんな十字架背負って生きているヤツいないんだから! 誰もそこを褒めてくれねえから、もう自分で褒めるよ(笑)」

▲自分のために乾杯!

現在56歳の玉袋。50代の折り返し地点にいるが、これまでの50代の道のりをどう感じているのか。最後に問いかけた。

「道中キツいね。もう向かい風。競輪で言うと、打鐘(ジャン)​​が鳴って、人生の2センター(3コーナーと4コーナーのあいだ)まで来てんのかな。ゴール前、差すかタレる(後退する)か……って感じだよ」

そうつぶやいて、玉袋はビールをひと飲みした。

(取材:浜瀬 将樹)


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