水谷豊×松田美智子「娘・趣里の存在が、芸能界に居続ける原動力に。優作ちゃんが膀胱がんの治療で入院中、病院の屋上で何度も語り合った」【2023編集部セレクション】

俳優の水谷豊さん(右)と、水谷さんへのインタビューを本にまとめた作家の松田美智子さん(左)(撮影:大河内禎)
2023年下半期(7月~12月)に配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします。(初公開日:2023年11月8日)

*****放送24年目に突入したドラマ『相棒』で主演を務める水谷豊さんは、昨年古稀を迎えた。こんなに長く、第一線で活躍を続けられる理由とは――。このほど水谷さんへのインタビューを本にまとめた作家の松田美智子さんが、その秘密に迫る(構成:篠藤ゆり 撮影:大河内 禎)

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【写真】腕を組み微笑む水谷さん

<前編よりつづく

俳優にとって最高の誉め言葉は

松田 今回、『傷だらけの天使』の乾亨、『熱中時代』教師編(78~81年)の北野広大、『相棒』(2000年~)の杉下右京など、膨大な出演作を改めて振り返って感じたのは、設定も役柄もまったく違うけれど、基本的に豊ちゃんは豊ちゃんで、変わらないということ。

水谷 『傷だらけの天使』で共演した岸田森さんから、「何を演じても豊は豊のままでいてほしい」と言われたんです。「芝居してないんですか」「地でやってるんですか」と言われることこそ、俳優にとって最高の誉め言葉なのだと解釈しました。

だから刑事役であれ教師役であれ、「自分ならどうするだろう」と発想します。無理に自分らしくないことをしても、観ている人にはバレてしまいますから。

松田 若い頃から先輩方にかわいがられてきたのは、何をするにしても誠実だからでしょうね。『男たちの旅路』(76~79年)で共演した鶴田浩二さんが、撮影現場にご家族を連れてこられたことがあって、それは豊ちゃんに会わせたかったからだったとか。

水谷 鶴田さんが亡くなった後に奥様から伺い、びっくりしました。鶴田さんは、どんなに長い台詞でもリハーサルの時には完全に入っていて、台本は持たない。当時の僕は真似できませんでした。

松田 でもその経験が後に、『相棒』の杉下右京の長台詞に繋がっていくわけですね。渡哲也さんも、『相棒』に出演していらっしゃいました。

水谷 渡さんを紹介してくれたのは優作ちゃんです。石原裕次郎さん、渡さん、優作ちゃんが出演していた『大都会PARTII』(77~78年)に出てほしいと優作ちゃんから言われて。日活撮影所での初対面の日、寒いのに僕は半そで姿。渡さんが付き人にそっと耳打ちされたら、肩かけを持ってきてくださった。感激しました。

松田 渡さんは、何度かうちにも見えました。優作から電話があり、突然、「これから渡さんとほかのレギュラー出演者を連れていく」と言われて私はパニックに。刑事の衣装のままの渡哲也さん、高品格さん、小野武彦さん、峰竜太さんが玄関から入ってきて、ものすごく緊張しました。(笑)

水谷 優作ちゃんは毎年自宅で餅つき大会を開いていて、渡さんもご家族を連れてこられた。マミさんの人柄もあって、松田家はさまざまな人が集う場になっていましたね。

松田 懐かしいですね。『赤い激流』(77年)で初共演した宇津井健さんからも、豊ちゃんはずいぶん影響を受けたようで。

水谷 宇津井さんは別れ際に必ず、ユーモアをきかせた一言をおっしゃる。ああいう大人になりたいなと思いました。一方で、「ああはなりたくない」という方もいて……(笑)。大人への反発が強いタイプでしたから。優作ちゃんもそうだったと思いますけど。

松田 それは若さゆえ、という面もあるんでしょうね。

水谷 優作ちゃんが膀胱がんの治療で入院中、病院の屋上で何度も語り合いました。その時、昔は大人に反発していたけれど、今は当時の大人の言動を理解できる、という話になった。

自分たちも大人になり、ようやくその人たちの立場や気持ちがわかるようになった。だから、これからもっといい仕事ができそうだ――そんな話をしていた矢先に亡くなってしまった。まだ40歳でしたからね。早すぎます。

娘の誕生が人生の転機となった

松田 豊ちゃんにとって、伊藤蘭さんと結婚してお嬢さんが生まれたことが、大きな転機になったのだと感じました。

水谷 おっしゃる通りです。仕事をしている時は全力投球なんですけど、区切りがつくと、「芸能界は向いていない」「僕の世界はここではない」という気持ちがあって。だからずっと、いつ辞めてもいいと思っていました。

でも38歳の時に娘の趣里が生まれ、変わりました。できる限り、続けたいと考えるようになったんです。お嬢さんは、芸能界には興味がなかったんですか?

松田 うちは嫌がっていました。優作と自分が結びつけられないようにと、すごく気を遣っていたようです。

水谷 趣里には、「芸能界には来ちゃダメだよ」と、小さい頃から言い聞かせてきました。この世界、どんな男がいるかわからないし(笑)。それに天国と地獄を味わわなくてはいけない。みすみす、大事な娘をそんなところに行かせたくなくて。

松田 それでも、役者を目指すようになったわけですよね。

水谷 蘭さんの舞台を、ちっちゃい時から観ていたんです。バレエをやっていたから、ステージに興味があったんでしょうね。怪我でバレエを諦めた後、役者を目指そう、と。僕にはそんな素振りは見せないけれど、蘭さんには相談していたようです。

松田 熱意を持った若者を止められないですよね。自分の若い時を振り返っても……。

水谷 そうですね。ちゃんと彼女なりの世界があるから、親の僕でも立ち入れない。

松田 10月から始まるNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の主役を務めるんですものね。

水谷 僕も「子の七光り」と言われないように頑張らなきゃ。(笑)

新しいことにワクワクする気持ち

松田 毎日ご先祖様に手を合わせるようになったそうだけれど、何がきっかけ?

水谷 19歳の頃、富本壮吉監督から「どうして君みたいな人が生まれたんだろう」と何度も言われました。それが心に残っていて、時々ふっと、自分はなぜ生まれてきたのだろうと考えるようになったんです。娘が生まれてからかなぁ。その頃から、ご先祖様に手を合わせるようになりました。

松田 自分の子孫ができたわけですものね。趣里さんから、また未来へと繋がっていく。

水谷 そうですね。

松田 今回、豊ちゃんの自伝を書き上げることができて、本当に感謝です。時代を俯瞰することもでき、昭和の役者や、当時の若者の熱みたいなものも改めて感じました。

水谷 僕らの青春時代は本当にエネルギーに溢れていた。優作ちゃんや僕だけではなく、まわりもそうだったし、密度の濃い時代だったと思います。

松田 この先、やってみたいことはありますか?

水谷 23年続いている『相棒』も、「まだ新しい何かがあるんじゃないか」と思わせてくれる。思えば不思議なドラマです。刻々と移りゆく時代のなかで、変化していく杉下右京を生きてみたい、と思うんでしょうね。

松田 そういえば今年は、舞台『帰ってきたマイ・ブラザー』にも出演されましたね。

水谷 23年ぶりです。「この先、舞台をやらずに役者人生を終えてしまうんだろうか」ともやもやした思いがずっとあったので、思い切ってやってよかったです。

松田 生の公演ならではの緊張感があるのでしょうね。体力的にも問題なかったですか?

水谷 1日2公演の日も、大丈夫でした!まだまだこの先、新しいことがありそうだとワクワクする気持ちは、マミさんと出会った若い頃と変わらずに持ち続けています。

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