日本では自民党総裁選。今こそ観たい『JFK』。アメリカでは大統領選も。心あるリーダーの誕生を祈らずにいられない
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巨匠オリバー・ストーンが映画化した硬派の社会派ドラマ
「抗議すべき時にしないのは卑怯者だ」
ドキッとする言葉で始まるこの長編映画は、あのJohn Fitzgerald KennedyことJFKの暗殺を「陰謀」だとして法廷で争った唯一の検事、ジム・ギャリソンの目を通してケネディ暗殺をひもとく。彼の著書・『JFKケネディ暗殺犯を追え』などをもとに、巨匠オリバー・ストーンが映画化した硬派の社会派ドラマである。
今度日本でも総裁選があり、次期総理が決まる。しかし日本は民意の反映より自民党内の票の獲得が結果を産むため、国民はあまり熱くなりえない部分がある。一方、アメリカがこの秋に控える大統領選の盛り上がりは半端ない。トランプ氏は2回も狙撃されているし、ウクライナやパレスチナでおきた戦争の行方も、アメリカ大統領次第で変わる。今回は世界中が注目しているといっていいだろう。
とはいえ、日本でも安倍元総理が暗殺された。アメリカでも日本でも、国を担うという仕事が「命がけ」なのは間違いない。その「重さ」がいやというほどわかるのがこの『JFK』なのだ。
堅いテーマだが一気見してしまうのは、編集の巧みさと、主役の検事を演じたケヴィン・コスナーの恰好良さが半端ないからだろう。
アメリカは自由と正義と民主主義の国ではなかったの?
それにしても改めて、自分がいかに現代史を知らないかを痛感させられた。私はケネディがダラスで暗殺されたこと、妻がジャクリーン・ケネディなこと、マリリン・モンローがケネディと親しかったことなどは知っていたが、容疑者とされていたオズワルドが逮捕後すぐに射殺されたことも、ジョンの弟、ロバート・ケネディが1968年に暗殺されていたことも、ケネディ暗殺シーンの白黒フィルムが、長いことFBIに押収されたまま公開されなかったことや、ケネディの解剖がきちんと行われなかったことも、知らなかった。
映画を見進めていくと、私たちは心の中で叫ばずにいられない。「アメリカは自由と正義と民主主義の国ではなかったの?」と。
実際、アメリカの歴史をふりかえれば、原住民が住んでいた土地に、アフリカから沢山の黒人を拉致してきて奴隷とし、同性愛者に対して猛烈な差別をしたり、裁判もない赤狩りが行われたり、果ては核兵器を開発し、それを日本に使用したり…と、野蛮な行為の連続である。だからこそ「正義と自由と公正なる民主主義の国」というイメージを広げる必要があったのかもしれない。事実多くのハリウッド映画は国策映画的な側面もあるといわれる。しかしハリウッドでは労働組合運動が盛んだし、『JFK』を作る自由もあったのだ。闇も深いが、公正なもう一つの道もある、ダブルスタンダードの国なのだろう。
さて、私は一度、ハリウッドの一角にある家庭にホームステイした経験があるが、毎週のように奥方は民主党の集会に行き、私に対しても、「なぜ民主党政権でなくてはいけないか」を熱心に説明した。私は理念だけなら民主党にひかれるし、一般的に「持てる者は共和党、庶民は民主党」なのかなと理解したつもりでいた。けれどトランプが大統領だった時に訪ねたニューヨークで、タクシー運転手から「共和党政権の方が景気はいいし、仕事があるからましだ」と言われ、事は簡単ではないと感じた。同時にアメリカ国民が政治に熱心で、自分の支持政党を明言する事には感心した。これは日本ではまずあり得ない。
日本では自分の意見は言わない方が安全だと考えられている。匿名ならば相手を死に追やりそうなひどい批判も出てくるが、自分の名前が明らかになる場面では沈黙が常。一方欧米では、「主張しなければ自分の権利は踏みにじられる」と考える人も多い。実際そうしなければ、多くの黒人や移民は、白人の子女と共に学ぶ事もできなかった。その道を開いたのはケネディだ。
日本人の沈黙は本当に安全を保障するのだろうか?
国際社会がボーダレス化している現在、日本人の沈黙は本当に安全を保障するのだろうか?政治家の汚職に対しても、戦後の安全保障の歪さについても、(安保闘争以降の)日本すべての国民が声を上げたわけではない。気が付けば国民の資産が海外資本に売却されたり、血税が湯水のように政治家のポケットマネーになったりしている。さすがにそろそろ声を上げるべき瀬戸際ではないだろうか?だから私はこの総裁選を前に、『JFK』をお勧めしたかった。
『JFK』の中で、私たちは何度も繰り返し、ケネディ暗殺の瞬間を見る。それはトラウマのように心に焼き付くのに、映画のためにつくられたシーンにしか見えない。あまりにもショッキングだからだろう。観衆の中で二方向からの弾丸を受けて崩れ落ちる若き大統領、美しい妻は我を忘れて、愛する夫の吹き飛ばされた脳の一部を拾おうと、オープンカーの後部ボンネットに乗り、手を伸ばす…
そんなことは起きてはいけないのに、起きてしまった。それが現実なのだ。そして日本でも、安倍元総理が凶弾に倒れた。現実は、とっくにフィクションを凌駕している。ドキュメンタリーを見ている私たちが時間を忘れるのは、「現実」があまりに残酷なことに打ちのめされるからだろう。
世界はさらに複雑だ。「ウォーレン委員会」という大統領暗殺に対する政府の公式調査会の報告書で、自分の提出書類が書き換えられていることに気づいたギャリソン検事は、「陰謀」の存在を確信し、自分の命や家族の安全を脅かされながらも真実に近づこうとする。
映画だから「がんばれギャリソン!」と言いたくなるが、もしギャリソンが自分の夫や父親だったら、「いい加減にやめて!」と言いたくなるだろう。映画の中の妻リズも、夫に調査中止を求め、二人は離婚を意識。ギャリソンの仕事仲間も次々と離れていく。
陰謀はあまりにも大きく、キューバやソビエトなど共産国やマフィアとの関係、武器商人との取引、CIA、FBI、そして現職大統領の関与まで見えてきてしまうのだから、ビビッて当然、殺されて当然。そんな調査に首を突っ込んでしまったのがギャリソン検事なのだ。
ギャリソンは諦めない
しかし、ギャリソンは諦めない。あまりにも向こう見ずなその行動から目が離せず、私は見るのを途中でやめることができなかった。ある意味彼は、たまたま風車に吹き飛ばされずに済んだ、幸運なドン・キホーテだ。
ではギャリソンは「愚かで向こう見ず?」そう聞かれたら、私は「いいえ」ときっぱり答えるだろう。なぜなら、彼のような人がいなければ、JFK暗殺は「オズワルド単独犯説」のまま、歴史の中に埋もれるしかなかった。
ギャリソンがいたからケネディ暗殺は、「陰謀」だと思われるようになったし、映画『JFK』のヒットを受けて、2029年まで非公開だったケネディ暗殺にかかわる機密情報が2019年に公開されることになったのだ。
映画のクライマックスの法廷シーンでは、そこまでは描かれない。しかし、「自分の子どもがいつかその情報を目にするだろう」と訴えるギャリソンの言葉に私は、鳥肌が立ち、目頭が熱くなった。たとえダブルスタンダードでしかなくても、アメリカには一分の公正さが残されている。それを証明しなくては、「国際社会をけん引するアメリカ」たりえない。情報公開後につくられた『JFK/新証言 知られざる陰謀』の日本語字幕版はネット配信サービスで視聴できるので、興味のある方はぜひ。
あなたが国のために何ができるかを考えよう
さて、ケネディ大統領自身はヒーローであると同時にスキャンダルにもまみれた人だった。武器商人や共産圏との密約も、勿論あったろう。しかし彼は、「政府に不都合な、国民のための正義」を貫いたから、殺されたのではないだろうか。
最近のWikipediaを見ていて知ったのだが、ケネディは小さいころから病弱で、1947年にはアジソン病という難病と診断されている。それでも重責を担う多忙な議員職を続け、遂に大統領選に挑むころにはすでに、「余命はそう長くない」と診断されていたようだ。
私自身が難病だからと庇うつもりもないが、「死」を意識した時人間は、命がけで「難題」に挑もうとするものだ。誰だって自分の生きた証を残したい。ケネディは、暗殺を覚悟のうえで、アメリカの輝かしい未来のための布石を打ったのだと私は信じている。そんな政治家が権力を国民の利益のために使うなら、その国の政治は変わり、その国はよくなるはずだ。軍事政権や利己的な主権者で国が荒廃するのを私たちは知っている。ならば逆も真実だと私たちは信じていいのではないか。
まずは今回の総裁選での、心ある総理の誕生を祈らずにいられない。ケネディは言った「国があなたに何をしてくれるかでなく、あなたが国のために何ができるかを考えよう」。
私は、「日本という国をよくするために、まず間違いには『NO』といい、よき政治と未来を切望するべきだ。最初から期待しない国民に良い国を作ることはできない」と言いたい。ぜひこの機会に『JFK』ご覧あれ。
09/27 12:00
婦人公論.jp