伊藤蘭「キャンディーズ時代苦手だった歌に、50周年で再び向き合って。夫・水谷豊も〈蘭さんは、蘭さんのペースで〉と背中を押してくれた」【2024年上半期BEST】

「実は、キャンディーズ時代の私は、歌に対してちょっぴり苦手意識がありました。もっと真摯に向き合えばよかったと、芸能活動を再開してからも、歌に対する心残りがずっとどこかにあり……。」(撮影:玉置順子(t-cube))
2024年上半期(1月~6月)に『婦人公論.jp』で大きな反響を得た記事から、今あらためて読み直したい1本をお届けします。(初公開日:2024年02月15日)******5年前にソロ歌手として再デビューし、この1年は、全国6都市のコンサートツアーに、初エッセイ本の出版にとチャレンジの連続だった伊藤蘭さん。「勇気を出して流れに飛びこめば運は開けていく」と語ります(構成=内山靖子 撮影=玉置順子<t-cube>)

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【写真】蘭さんにそっくり!コンサートでの差し入れケーキの上に…

全力で取り組んだ《今》を積み重ねて

おかげさまで、2023年にデビュー50周年を迎えました。あらためて考えると、50年って長いですよねぇ。私がデビューした年に生まれた人が50歳になったわけでしょう(笑)。そう思うと、よくここまでたどり着けたなと思います。もちろん、私ひとりの力じゃありません。それはひしひしと感じています。

もともと、私はあまり先のことを考えるタイプではないんです。「5年後、10年後にこうなりたい」と、遠い未来を見据えた目標を掲げたこともなく、「この仕事を何がなんでも続けてやる!」と思ったこともありません。何事も、自然の流れに任せていると言いますか。

ただ、今の自分に与えられたこと、やらねばならないことには常に全力。そして、一度取り組んだことは最後までまっとうしようと心がけてきました。そんな《今》が積み重なった結果が50周年になったのだと思います。

昨年は、50周年記念として全国6都市を回るコンサートツアーも行いました。そんな貴重な経験ができたのも、5年前に歌手活動を再開したおかげです。

実は、キャンディーズ時代の私は、歌に対してちょっぴり苦手意識がありました。もっと真摯に向き合えばよかったと、芸能活動を再開してからも、歌に対する心残りがずっとどこかにあり……。でも、30代、40代はドラマやお芝居の仕事と子育てで精いっぱい。歌のことまで考える余裕がなかったんです。

ところが、5年前、スタッフの方から「もう一度歌ってみませんか?」と声をかけていただきました。そうだ、今やっておかないと、年齢的にもこれがラストチャンスかもしれない。そう考えて、再び歌と向き合うことにしたのです。

とはいえ、歌手として活動するのは41年ぶり。しかも今回はスー(田中好子)さんもミキ(藤村美樹)さんもいない、ソロでの活動です。実際歌ってみると、「このままじゃダメだ」と思い知らされました。

ボイストレーニングにも通いましたが、いくら頑張っても追いつかず、いまだに冷や汗の連続です。でも、私が楽しまないと、聴いてくださるみなさんも楽しめないと思うので、自分をあまり追い詰めないようにしています。

19年に初めてソロコンサートを開催した時は、今の私をお客様が受け入れてくれるのだろうかと不安でした。そして、キャンディーズ時代の曲を歌うことにしても、私がひとりで歌って楽しんでもらえるのかしら、というためらいがあったのです。

でも、回を重ねるごとに、お客様が喜んでくださっている様子がひしひしと伝わってきて、本当に嬉しかった。

21年のコンサートツアー最終日には、キャンディーズが解散宣言をした日比谷野外大音楽堂のステージに立ちました。その時、野音の神様に「おかえり」って言っていただけた気がしたんです。解散当時は、まさかもう一度ここに戻ってこられるとは思ってもいませんでした。それだけに、このステージに立てた喜びは計り知れないものがあったのです。

おまけに、『紅白歌合戦』にも出場させていただくなんて。そんなこと1ミリも考えていなかったのに、こんな奇跡のようなことが現実に起きるのですね。

お芝居があり、家庭があり、そこに新たに歌が加わったことで、自分の世界が確実に広がっている。《心残り》をどこまで解消できるかわかりませんが、チャレンジして本当に良かったと思っています。

人との出会いで「幸運の流れ」が

昨年12月には、私の半生を綴った初のエッセイ集『Over the Moon』も出版しました。あらためて読み返してみると、私の人生は、節目節目で出会った人たちに支えられてきたんだなということを感じずにはいられません。

「スクールメイツに応募しない?」と誘ってくれた中学時代の友人の根本喜代美さん。キャンディーズのオーディションに私を呼んでくれた、当時のマネージャーさん。その方々のおかげで、スーさん、ミキさんとグループが組めました。

そして、キャンディーズとして活動していくなかで(水谷)豊さんと出会って、娘にも恵まれたわけですからね。

スーさん、ミキさんはプライベートでもかけがえのない友人となりました。スーさんとは残念ながら早いお別れになってしまいましたが、ミキさんは私のコンサートには今でも必ず来てくれて、なんでも話せるいい関係です。

もともと私は、自分から積極的に人生を切り開いていくほうではありません。「こんなこと、やってみない?」と、周りの人が作ってくれた流れの中に、勇気を出して飛び込むことで道が開けていくタイプです。

そう考えると、人生の節目で出会った人たちがいなければ、現在の私はありえない。誰か1人でも欠けていれば、今頃はボーッとした毎日を過ごしていたかもしれません。(笑)

ただ、どんな方とも、「この人とは一生つきあおう」と無理しているわけではないのです。人とのつながりはあくまで自然体。私自身がネアカな性格なので、一緒にいて楽しい人、笑い合える人たちと、結果として長いおつきあいになっています。

夫も、一言で言うなら、いつも陽気な人ですね。仕事で大変なこともあるとは思いますけど、暗い顔でむっつりしているのを見たことがありません。家ではいつも、鼻歌を歌いながら過ごしているような感じです(笑)。私の決断に対しては「蘭さんは、蘭さんのペースで仕事をしているのがいいんじゃない?」と、応援してくれています。

ソロ歌手として活動を再開する時にも、「やってみたらいいんじゃない」と背中を押してくれました。豊さんも歌を歌いますし、音楽が好きな人なので、私のコンサートは毎回聴きに来てくれます。

昨年、リリースしたアルバム『LEVEL9.9』に収録した曲「愛と同じくらい孤独」には、バックコーラスで参加してくれました。豊さんは舞台の稽古で大忙しの時期だったんですけど、「いいよ」と快く引き受けてくれたので、ありがたかったですね。

そんな性格の人ですから、1989年に結婚して以来、深刻な夫婦喧嘩をしたことは一度もありません。ただ、豊さんは、仕事で疲れた時はひたすら寝続けるタイプ。娘の趣里がまだ幼い時に、3日3晩寝続けていたことがありました。

途中でお手洗いに起きたり、水分補給はするものの、それ以外は飲まず食わず。用意した朝ごはんや昼ごはんはすべて無駄になり、さすがにそれはいかがなものかと、娘を連れて実家に帰ったことがありましたけど(笑)。年齢のせいか、近頃は寝続けることもなくなりました。

<後編につづく

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