世良公則「土を練っていると、雑念が消えて〈無〉になれる。陶芸の魅力にとりつかれ、15年。この世界ではまだ若造。立ち止まってなどいられない」
ロックミュージシャンとしてシャウトする姿が印象深い世良公則さんは、作陶の魅力を知り、陶芸家としての活動を始めました。「和」文化への想いを熱く語ります(構成=村瀬素子 撮影=ANDU)
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【写真】土に触れたいと思うと、昼夜問わず作陶を始めるという世良さん
土と「性が合う」と褒められて
僕が陶芸に出会ったのは、50代半ばのこと。NHKの『趣味悠々』という番組で、やきものの里・岐阜県多治見市を訪れたのがきっかけです。番組のなかで、陶芸家の七代加藤幸兵衛(こうべえ)先生に手ほどきを受けたとき、土をこねる僕の手を見て、先生がおっしゃったのです。
「世良さんの手は、土と性(しょう)が合う」
その言葉に導かれ、やきもの作りにのめり込んでいきました。
作陶は、土を練って空気を押し出す「菊練り」という作業から始まります。土のかたまりを見つめながら一心不乱に練っていると、雑念が消えて「無」になる。初めて味わった瞬間から、土の魅力にとりつかれました。菊練りを覚えるのに1年かかると言われますが、僕は1ヵ月ほどでできるようになったかな。
ただ、幸兵衛先生にご指導いただいたのはこの菊練りまで。そこから先は、先生の作り方を見よう見まねで体得していくのです。作るだけでなく、僕は全国の窯や個展に足を運び、本や動画で調べて、自分なりのやり方を模索しました。
頻繁に窯元には行けないので、土や道具も自分で取り寄せ、当初は東京の事務所のベランダに作陶場を設置。夏は汗をダラダラ流し、冬はダウンジャケットを着て土と格闘していました。
陶器を作るには、土の状態を整え、ろくろで成形し、素焼きしたあと釉薬をつける、といった手順があります。どんな色に焼き上がるか想像しながら制作するのですが、最終的には窯に入れて炎に委ねるしかない。
そうして焼き上がった陶器は、想像を超えるものが出てくる。それが陶芸の面白さなんです。絶妙な色のグラデーションが生まれたり、緑色が全部飛んで真っ黒になったりすることもある。良くも悪くも一期一会。同じ器は二つと生まれません。
ありがたいことに、現在は多治見の幸兵衛先生のところにある、江戸時代から続く薪窯を使わせていただいています。
職人さんたちが交代で火の番をし、5日間かけて焼き上げる。僕も幸兵衛窯に行った際にはお手伝いしますが、1200度の窯に薪をくべるわけですから、真夏でも耐火性を備えた長袖・長ズボンを着て、手袋をし、頭にタオルを巻き、ゴーグルをして完全防備。
焼き上がって完成ではなく、窯から出したあとは、作品についた灰や石ころを落とし、やすりをかけて滑らかにしたりと、さらに作業が続きます。
土を練ってから、作品が完成するまでに半年以上。今は何でもデジタル化された、スピードの時代でしょ?陶芸は、ひとつひとつの工程を丁寧に行うことの大切さを教えてくれます。
おもてなしは自作の碗でお点前を
ロックミュージシャンの世良のイメージからすると、意外に思われるかもしれませんが、もともと僕は、和の文化が大好きなんですよ。
仕事柄、各地の日本料理店で食事をするのですが、器や床の間の掛け軸、香炉などにも目がいって。昔から、「このお皿、素敵ですね」と店主と話し込んだりしていました。たとえば器の色合いに合わせて料理の盛りつけを工夫する。そんなコラボレーションの魅力に、音楽にも通じるものを感じてきました。
僕の母の実家はお寺で、祖母は僧侶でした。子どもの頃、夏休みは寺で過ごし、廊下の雑巾がけや墓掃除をやらされて。それが僕の根っこにあるからか、静かで張りつめた、清らかな空気感が好きで、若い頃から仕事で地方に行くたび神社仏閣を散策していました。
祖母や母は茶道を嗜んでいたのでお抹茶にも親しみがあったし、四季折々の和菓子も昔から好きでしたね。仲間うちでは、僕の甘党は有名なんです。(笑)
こうした日本文化の下地が僕の中にあったから、50代で陶芸の世界に没入したのも、自然な流れだと思います。
今、自宅や事務所で使っている器は、ほぼすべて僕の作品。事務所の玄関にショーケースがあり、自作の茶碗やぐい呑みなどがズラリと並んでいます。仕事仲間や友だちが来ると、まず今日使う茶碗を選んでもらってからリビングにお通しする。
スタッフが彼らと話している間に僕は抹茶を点て、和菓子と、それに合う小皿と敷物を見立ててお出しするのです。「この和菓子は春の小川のせせらぎをイメージしています」なんて話しながらね。そんな和のおもてなしが定番です。
僕は料理も作るんですよ。学生時代は一人暮らしで自炊していたのもあるけれど、30代の頃に、ミュージシャンとしての今後を見つめ直したことが大きいかな。健康な体で感性を磨いていくため、できるだけ外食はせず、自分で作るよう生活を変えたのです。僕の料理は和風だしをきかせた、あっさりしたものが多いですね。
若手陶芸家との交流が刺激に
陶芸のおかげで新たな交友関係も生まれました。ある日、ミュージシャン仲間のつるの剛士君が陶芸をやりたいと、事務所に来たんです。僕と横に並んで作っていたのですが、彼はカンがいいからすぐにコツをつかんで、ぐい呑みを作っていました。以来、つるの君は世良の「一番弟子」を名乗っています。(笑)
NHKの朝ドラ『カムカムエヴリバディ』で共演したスウェーデン出身の庭師・村雨辰剛君も日本文化に精通していて、話が合うんですよ。
つるの君と3人で不定期に行っているのが、「男のお茶会」。僕の事務所に集い、抹茶と和菓子で何時間も陶芸や日本文化の話題で盛り上がります。つい先日も「そろそろお茶会開いてください」と、つるの君から連絡が来ましたよ。
ほかにも、幸兵衛先生のご子息・加藤亮太郎さんをはじめ、全国の若手陶芸家たちと交流するようになりました。彼らは僕より20歳ぐらい年下なのですが、陶芸家としては大先輩。
最初は、彼らが口にする陶芸への想いや感情を示す言葉の意味がよくわからなかった。でも、彼らの作品を見て会話をするうちにだんだん理解できるようになり、それを僕自身の作品にも還元する――ということをずっと続けてきました。
彼らの作品はそれぞれ、美濃、信楽、備前、九谷……と産地が異なり、個性豊か。集まれば面白いことができるんじゃないかと、僕がプロデュースして、2009年に陶芸家集団「AKATSUKI―暁坏」を結成しました。
この9月には15周年を記念して、名古屋で彼らとグループ展を行います。僕もいまはこの展覧会に向けて、集中して作陶しているところです。
音楽も陶芸も、ものをつくり、表現するという意味では同じ。僕はよく若い人とセッションするけれど、それぞれの感性でキャッチボールをするのは新鮮だし、刺激的なんです。
陶芸家としてプロデビューしたのは2022年。初めて土をこねてから12年後です。歌手デビューはアマチュアから数えて8年目でしたから、それより時間がかかりましたね。
陶芸の世界では、50、60代は若造と言われる。僕もまだ若造ですから、70、80代が楽しみです。ただ、続けていくには体力が必要だし、感性を磨いていかなくては。音楽の道と同じ、立ち止まってなどいられません。
09/19 12:30
婦人公論.jp