大東駿介が舞台の魅力を語る「妻を失った男性をどう演じるか、役作りから演出家、共演者のみんなと共有して」

大東駿介さん。舞台『What If If Only―もしも もしせめて』に出演する
2020年にイギリスで上演後、大きな話題となり絶賛された舞台『What If If Only―もしも もしせめて』。わずか20分間に凝縮された、ある男の再起に向けたストーリー。現代イギリス演劇を代表する劇作家キャリル・チャーチルの最新作であるこの作品が日本初上陸。妻を失って悲嘆にくれる男を大東駿介さんが、“未来”と“現在”を浅野和之さんが演じます。今回のインタビューでは、ご自身に起きた辛い出来事について、「乗り越えることは今もできない」と率直な言葉で語ってくれました。そんな大東さんが強い思いを胸に本作に挑みます。

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【写真】妻を失った男性を演じる、大東駿介さん

自分の気持ちを代弁するような台本を受け取って

この戯曲を受け取って目を通した時、あまりにも自分の気持ちと重なる部分があり、感極まって台本を抱きしめてしまったほどです。「役者をやっていると、こんなことがあるんや」とそんな思いに駆られました。稽古が始まるまで半年間くらいあったのですが、思いは膨らむばかり。現場に入る前には、「この舞台が自分の思いの発散の場になってはいけない」と自ら言い聞かせていました。

実際稽古に入ると、演出家のジョナサン・マンビィが、他に類を見ないほど丁寧に作品を作り上げていくことに驚かされて。今回はジョナサンたっての希望で、チャーチルによる戯曲『What If If Only―もしも もしせめて』と『A Number―数』(出演:堤真一、瀬戸康史)が同時に上演されます。

普段の稽古は別々なのですが、最初に行われた座学では両作品の役者が一同に介しました。そして、それぞれの作品にまつわる知識を深めるため、専門家を1人ずつ招いて話を聞くことに。『A Number―数』はクローンに関わる話なので、遺伝子技術の先生、『What If If Only―もしも もしせめて』は喪失の物語なのでグリーフケア(編集部注:大切な人との死別を経験した人へ、心のケアや支援を行うこと)のカウンセラーの方が来てくれて。どちらの専門家の話も興味深く、僕らも作品を跨いで話をすることで、ますます世界観が深まり、それぞれの作品に生きてくる。そんなところからも二つの戯曲が同時上演される意味を感じました。

僕は、これまでも役をいただくたびに、図書館に行って関連本を読んだり、専門家を訪ねたりしてきました。学び直す絶好の機会だと楽しんでやっていますが、その時間を舞台関係者みんなで共有できるのは本当に貴重な経験でした。

存在しない役の女優まで呼ばれている贅沢な稽古

稽古では、僕の“某氏”となっている役に名前をつけて、劇中には描かれていない彼の人生を、戯曲の台詞から類推して考えていきました。どこに住んでどんな境遇の人間で、いつ頃、妻との出会いがあり、別れがあったのか。グリーフケアのカウンセラーからは喪失がいくつかのプロセスで進んでいくという話を聞きました。人は「否認」や「怒り」「抑うつ」などを経て、悲しみをやっとのことで「受容」していく。そうだとしたら、彼は今どの段階なのか、そして彼が悲しみに打ちひしがれている“この時間”は、朝なのか夜なのか。

僕は自分の経験から、舞台上の時間設定は、夜の2時くらいを想像していました。ところが、ジョナサンは休日の朝だと言います。眠れない夜よりも、その人と過ごすはずだった休日、なんの予定もない日の朝に人は喪失感をより強く感じるだろうと言うのです。

ある日の稽古には、芝居には出てこない僕の亡き妻役として女優さんも呼ばれていました。彼女との幸せだった時間を演じて、他愛もない日常のやりとりをしました。そして、同じことを全て一人になって演じてみたら、ジョナサンの言う休日の朝の喪失感を容赦なく感じたのです。

20分間の芝居に対して、毎日毎日稽古は3、4時間に及びます。そして、今回の稽古には戯曲の翻訳者である広田敦郎さんも同席されていました。普通の翻訳劇というのは、本国の台本があって、それを翻訳する人がいて、更にそれを解釈する日本の演出家がいて…というものが多い。僕ら役者は、原作者の思いと離れた「又聞きの台本」を読んでいるのかもしれないという疑いがうっすらついてまわっていました。

でも今回の舞台では、広田さんが最初の稽古からずっと参加していて、何かのアイデアや気づきがあった時には、ジョナサンと相談しながら翻訳し直す作業を繰り返してきました。一言一句、大切に検討しながら進めていくのです。これは原作者の当初の思いにかなり忠実な日本語の台本が出来上がっていっているよな、と思いました。この点でも稀有な作品に携われたことに感謝しています。

こんな共演者に僕もなりたい

そして共演者の浅野和之さんがまた素晴らしいんです。名優と言われる俳優であるのはもちろんのことですが、それ以上に人間として優しい。化け物のような覇気でこちらを圧倒してくる俳優は、芸能界にたくさんいらっしゃいます。浅野さんはそういった方と同じ実力を持ちつつ、それでいて謙虚で日差しの中で揺れるカーテンのような軽やかな雰囲気も持っている。実際、とにかく身が軽い!30代の僕よりも身体が動いているのじゃないか?と思うくらいです。

実は台本を読んだ当初、僕が演じるのは妻を失った“男”のほうではなく、浅野さんが演じる“未来”と“現在”だと勘違いしていたんです。浅野さんにこの話をしたら「大東くん、僕には“男”が思い悩むような未来はもうないよ」って。70歳という年齢だけを聞いたら頷く方もいるかもしれませんが、実際の浅野さんは微塵の老いも感じさせないので笑ってしまいました。「いやいや、バリバリ現役ですやん」みたいな(笑)。アイデアは溢れかえってくるし、真夏の稽古なのに疲れた様子が一切ない。

役者に演技力はもちろん必要です。けれど「演技さえできればいいだろう」という態度ではなく、共に過ごす相手を心地よくできる人たちだからこそ、個々の演技力を足した以上の舞台を作り上げることができるのだと感じました。僕が誰かの“先輩”になる暁には、こういう共演者でありたいなと思います。

舞台では、浅野さん演じる“未来”からは、膨大なセリフ、そして膨大な量の情報が僕に向かって一瞬で飛んできます。個人の喪失の物語だけでなく、政治、地球環境、宇宙…と多くの問題を我々に突きつけてきます。確かにさまざまな事柄に対して人類は騙し騙しやってきましたけど、そろそろ限界が近づいていると、危惧している人もいます。後悔することはないのか?一旦立ち止まって考え直せよと言われているようにも感じます。

後編につづく

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