吉高由里子『光る君へ』紫式部役もついに後半戦、『源氏物語』執筆へ!左利きだけど、右手で書を訓練、乗馬、母親役にも挑戦

吉高由里子さんの宣材写真

 
現在放送中の第63作目となる大河ドラマ『光る君へ』で、主人公の紫式部/まひろ役を演じているのは、吉高由里子さん。平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた紫式部の生涯を描いた今作は、いよいよ後半戦へ。賢子を出産し、娘の実の父でもある藤原道長(柄本佑)から『源氏物語』の執筆をバックアップされる、まひろ。とまどいながらも、宮中への出仕(しゅっし)を決めるまひろをどんな思いで演じているのか、吉高さんが語ってくれました。(構成=かわむらあみり)

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【写真】道長の頬に手を触れるまひろ

紫式部はみなさんに愛されるキャラクターにしたい

主人公の紫式部/まひろを演じることが発表されてから、2年以上が経ちました。2014年にNHKの連続テレビ小説『花子とアン』でヒロインを演じさせていただいたことはありましたが、朝ドラの撮影は10ヵ月ほど。今回、大河ドラマの主演をさせていただけることになって、もう1年以上撮影しています。大人になると、自分から向かわない限り、生まれて初めて経験する出来事にはなかなか出会えないもの。ですが、こういう巡り合わせで機会をいただいて、初めの一歩を今も継続中の日々です。

藤原道長役の柄本佑くんは、撮影の合間のスタジオで、筆の練習をしている女房装束の私の姿を見て、「紫式部そのもの」と言っていたそうなんですが……。みなさんの期待値のハードルを上げるようなことを言わないでほしい(苦笑)。今は後半を絶賛撮影中ですが、それでもいまだに「私が紫式部よ」なんて思ったことはないです(笑)。撮影現場では、紫式部のことを「パープルちゃん」と言いながら、みなさんに愛されるキャラクターになればいいな、と思いながら演じています。 

当初から、座長としてあえてまわりに気を配っていこう、という意識もあまりなく。よし、やる気を出してもらおう! とか、みんな楽しく集まれー! ということも絶対にないですね(笑)。その場ごとに、自分が興味を持った瞬間や表情、雰囲気などで、共演者の方に話しかけています。それぞれキャリアも実力もある方たちばかりなので、逆に、あわよくば誰かに甘えさせてもらおうかな、と思っていますね。

琵琶を弾くまひろ

(写真提供◎NHK 以下すべて)

そんななかでこの役を演じていて、当初から今に至るまでに、自分なりに成長できたと感じたものもありました。それは書(しょ)です。『光る君へ』の撮影が始まる半年ほど前から、コツコツと書の練習をしてきました。さっそく第2回で書くシーンがあったんですが、今見ると目も当てられない字で(苦笑)。でも、その頃はまひろが10代で、今は30歳代以降の年齢を演じているので、役と一緒に吉高由里子と書も成長したということかなと。書は、向き合う時間があればあるほど、ちゃんと応えてくれるものだと思いました。

書を家でコツコツと稽古している

書(しょ)を書いているまひろ

 

書については、題字・書道指導の根本知先生に教えてもらっています。まひろは書を書く時に仮名が多い人なので、仮名文字を中心に書いていて。でも、道長との文通では漢字を入れてみたり。いよいよ『源氏物語』を書いていくにあたって、仮名と漢字を両方やってきた集大成が始まるという感覚があります。『源氏物語』には漢字も仮名も両方出てきますし、現代ではあまり使われない変体仮名も出てきますし。不思議なんですが、今ではふつうに変体仮名を読めるようになってきて、すっかり身に付いてるのが怖いです。(笑)

もともと左利きですが、右手で稽古しました。もう左手で筆を持つのは無理だと思います。きっと傾きも変わってきますし、文字の膨らみかたも変わってきますし。筆を右手で持つか、左手で持つかによって、筆の毛先の向きが変わるんです。なんだか自分自身と一緒に、筆も育てている感じが、すごく楽しいですね。

当初は書に対するプレッシャーもありましたし、わからないものを覚えていく楽しみもありました。できないものができていくというのは、すごくワクワクすることもあります。ただし、それは撮影の本番でやらなくてはいけないから、公開テストではないですが、試験に受かるか受からないか、公開されながらやっているみたいな感覚もあって。書を書く時は怯えながらやっていますね。(苦笑)

書き続けると、その人の癖も出てくるらしく、根本先生はそれも理解した上で「こっちの字のほうが相性がよかったね」とか、「あえてこういうふうにやってみよう」とか、いろいろと組み合わせて字を考えてくださるので、面白いんです。ゴルフにたとえると、きっとキャディさんみたいな存在ですよね。書はすごく孤独な作業なんです。練習時間は膨大なのに、文字の撮影時間は30秒もしないうちに終わってしまう。家で書いている時間の孤独さを一番わかってくれるのは根本先生だと思うので、まるで相棒といいますか。一緒に挑戦している感じが嬉しいですね。 

書くシーンでは手が震えがちなんですが、それも日によって違うんです。本当は書のシーンを撮影する前に40分ぐらい稽古できたら、やっと線が安定してくる感じがあって。でも現場を40分も止められないので、10分でもなんとかする。手が温まる、と言ったらいいのか。本番の10分前で、なんとか書けるように仕上げていきます。線の向き、筆の傾き方など、どんな時もすぐ書けるように、家でコツコツと稽古するしかないんですよね。

でも、家でできても本番になると、スタジオの湿度や風の向き、墨の具合や乾き方で文字が変わってきます。家でやるのと同じようにいかない時があるので、スタッフのみなさんには、うまくいくようお祈りしていてくださいと言って、本番で気合を入れてやっています。

まひろがこの世にいる理由は道長の存在

見つめあう道長とまひろ

 

まひろと道長はソウルメイトだといわれていますが、ふたりは恋愛という域を超えている感じがしています。たぶん“心の拠り所”ではないでしょうか。どこかお互いが“光と影”の存在というのか。まひろが影の部分になる時は道長が光っていて、まひろが光る時は道長が影として支えてくれていて。そんな関係なんだろうと思っています。石山寺でふたりの逢瀬もありましたが、人間ですから、そういうこともあるのかなと解釈しました。

道長がまひろに物語を書いてほしいと頼むことで、変わることと変わらないことがあって。変わったことは、まひろの立ち位置や環境です。それまで道長と同じ空間にいることがなかったけれど、こんなに一緒にいたいふたりが一緒にいられるようになって。でも、すごく近いのに、すごく遠い関係に感じられるようになってしまったり。もしかすると、三郎だった時のほうが遠い身分だけど、心の距離は近かったのかなとも思います。

変わらないことは、まひろと道長が惹かれ合っていること。まひろは道長のことをずっと思っているでしょうし、その気持ちが爆発しないように一生懸命自分の気持ちに蓋をして、距離を取っていると思います。まひろは道長とどうなりたいという感情で見ているのではなく、もう道長が生きていることが自分の生きがいになっているのではないかと私は感じていて。まひろがこの世にいる理由が、道長だと思っています。

舞を披露するまひろ

 

そもそもまひろは、平安貴族の中では結婚も遅く、仕事がしたいという女性。現代でも、家庭に入るのか、入らないのか、1回その波が来る方もいらっしゃると思うんですよね。だけど仕事を選んで、結婚をしていないから幸せじゃないとか、結婚しているから幸せだとか、そういうものにとらわれない。それは、まひろも、私も、そこに居場所があるからかもしれないですね。平安時代の“当たり前”が何かはわからないですが、令和の時代も、当たり前の概念が変わってきていることを感じています。

まひろと賢子の親子関係は手探りで演じている

笑顔で賢子を抱くまひろ

 

今回、演じるにあたっての準備として、いろいろなことに挑戦しました。書はもちろんのこと、琵琶や乗馬の稽古もして。思い起こせば、最初の『光る君へ』の会見の際、「馬に乗って現場に入りたい」とか言っていたんですね(笑)。今、その時の私に言いたいぐらい、乗馬って難しいです。馬の感情の起伏もありますし、ジョッキーってすごいんだなと改めて思いましたね。とはいえ、やっぱり書についてのことが一番の挑戦でした。この役をやる醍醐味でもあると思うので、楽しんでやっています。

雅な平安時代を描いていて、優美な動き方も多いので、動きが大きくないながらも大変なこともいっぱいあって。まひろは藤壺で女房として働くようになっていくので、衣装の着替えも大変です。これから後半戦となっていきますが、そのなかでは子どもとの向き合い方も挑戦でした。自分だけのことだったら何でもできるかもしれないですが、自分から生まれた子どもに対しての向き合い方に、まひろは頭を悩まされているところもあるのかなと。

私は母親になったことがないので、子どもとぶつかりあったり、思春期を迎える娘と急に仲良くなったり。そういう家族の距離感に関しては、まだ自分は娘という立ち位置でしか人生で経験したことがないので、母親役は難しいですね。今回は、まひろと賢子の関係がすごくリアルな感じで。今は仲良し親子が多い印象もあるんですが、ふたりはぶつかり合って口をきかないとか、会話がないからふたりのシーンでは「……」が続くとか。そういう台本をあまり見たことなかったので、面白いんですよね。想像しながら、手探りでやっています。

あとは、まひろが作家として物語を思い浮かべる時の、いわゆる生みの苦しみもあったはずで。よく筆が乗るとか、筆が踊るように書けるとか言いますが、そういう時とまったく進まない時の作家としての悩みが、今後はいろいろと出てきそうです。

『源氏物語』の誕生シーンは面白い

 

『源氏物語』の誕生シーンは、『枕草子』の誕生シーンに負けないぐらい、綺麗なしつらえを仕込みました。撮影では、帝に献上するために、一冊の本ができるまでの過程を本当に丁寧に描写していて。1人はこの役割、もう1人は違う役割というふうに、みんなで時間をかけて撮っていったので、一冊の本ができるまでのシーンは観ていて面白いと思います。

あとシーンでいえば、第31回で出てくる『源氏物語』を思いついた時の描写が好きです。カラフルな和紙や巻物が、ぶわ〜っと、パラパラと落ちてきて。それまでまひろが培ってきたものが結実して、「第2章が始まった」という感じがしました。第1回から31回までの、まひろの自宅の外での経験が、『源氏物語』につながっていくという“経験の前書き”のような段階だったのではないかなと思って。

だから、誰もがわかりやすいエピソードがちりばめられていた。『源氏物語』ができていくと、ここに出てくるこの人はあの人で、これはあの人なのかな? となっていく。これまでの話は、そうやって楽しめるように蒔いた種だったのかな、と。ここから1つずつ花を咲かせていく話になっていくのかと思うと、なるほどねと。脚本の大石静さん、さすがだなと思いました。

でも、物語を書くとなってくると、「これで前半が終わるんだ」という気持ちになって……。もう何時間でもお芝居してもいいぐらい、寂しくなりましたね。こんなに長い作品は初めてのことですから、撮影がすべて終わった時、何を思うんだろうなあと感じながら、よくわからない気持ちがこみ上げてきたりはしています。

7月22日には36歳の誕生日を現場でお祝いしていただきました。誕生日だからなのか、スタジオには特別、人が多かったんですよね(笑)。どこか照れくさいものですが、お仕事をしている時にお祝いされるのは嬉しいものです。毎日が1回しかないのはみんな変わらないけど、まだ36回しか「おめでとう」と言われていないのか、と。一方で、もう36回なのかとも思いますね。なんだか不思議な感覚です。

為時からの「お前が女であってよかった」の重み

第32回では、まひろが父・為時(岸谷五朗)に、「お前が女子(おなご)であってよかった」と言われて。これまでずっと「お前が男であったらな」としか言われてこなかったまひろが、やっと認められるという、すごく大事なシーンだと感じています。まひろにとって一番自分のことを認めてもらいたい人がお父さんだし、父が学者でなければ自分もこうなっていなかったと思っているだろうし、その遺伝子があったから作家として注目される人物になっていく。

とはいえ、今はまだ彼女自身、注目されていくことはわからない段階。ですが、物語や文学に対して一番認めてもらいたい人に認められて、そんな言葉をかけられて、やっと生まれてきてよかったと思えた瞬間なのではないかなと思います。女性で内裏にも上がれて、役目をもらう。そこにいていいんだ、居場所をやっと見つけた、名前をもらって生きていけると感じただろうなと。さらに父のひとことで、苦しかった今までが報われたと感じましたね。

『源氏物語』は、女性としての視点から見ている物語。政(まつりごと)をやっている男性からは見られない状況や関係性もあったでしょうね。もしも男性が書いていたら、また全然違う話になっていたと思います。最初は、道長に依頼されたために書き始めたけれど、帝(みかど)に献上するために書いた物語は、だんだんとまひろの中で偽物のような違和感を覚えていったはず。私じゃなくても書けると。

ききょう(清少納言)とまひろ

 

それで途中から物語の書き方や向き合い方を変えていったら、次第に帝のための物語ではなくなっていって、自分にとって面白い物語を書きたくなっていったのではないでしょうか。その書きたいという気持ちに辿り着くのは、作家さんにとっては、すごく大変なことですよね。書きたい気持ちがあっても、書きたいものが明確にならないと書けない。だから、まひろはそこでバチッと書きたいものに出会った。多分、まひろは猪突猛進型なので、もう夢中になって物語を書き上げていったんだと思います。

いよいよ『光る君へ』が後半戦となりました。前半とは衣装も変わりましたし、いる場所も変わりましたし、毎日見ている風景もガラッと変わっています。今は意識せずとも、自然と第2章に押し出された感じがしていて。ぜひみなさんにも、今後のまひろ、紫式部の姿を見届けていただけたら嬉しいです。

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