南こうせつ「70歳で大きな家からコンパクトな平屋に建て替えて。今後は、先だった仲間の分まで頑張る。声が出なくなったら、キーを3つ下げた『神田川』も味わい深いのでは」
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先立った仲間の分まで
こうしてお話ししているいまは、デビュー55周年記念コンサートの真っただ中です。
僕はわりと順風満帆に歌手生活を歩んできたと思われがちなんですが、たとえばかぐや姫を解散してソロ活動を開始したらレコードの売り上げは落ちるわ、コンサートのお客さんは減るわで、僕なりに落ち込んだこともありました。
ただ不思議なものでね、しばらくすると持ち直す。そして再び低迷期がやってくる。流行と時代背景は密接な関係にありますから、求められる音や音楽のありようが変化するのは当然のこと。誰だって、浮き沈みの激しい世界で不安の波を幾度も乗り越えながらいまがあるのです。
人って苦しいと迷走するんですよねえ。僕にしても20代、30代のころは「神田川」を封印したり、フォークにテレビ出演は似合わない、と頑なに拒んだりしたこともありました。
いまなら、「神田川」は僕にとってかけがえのない曲だと素直に言えます。コンサートでもお約束の一曲ですから、イントロが流れると会場が沸きます。待ってました! とばかりにね。
「神田川を聞くと元気になる」と言っていただくことが多いけど、それはきっと皆さんの心の奥底にある、穢れのない愛に出会える歌だからなんじゃないかなあ。人としての普遍的なテーマが流れているからだろう、と思います。
僕はずっと、未来に向かって発信していくのがフォークだと信じて歌ってきました。それがフォークの役割だという思いもあった。でもいまは、フォークを歌って聞いて、過去を懐かしむ気持ちが明日を生きる薬になるはず、と思いながら歌っています。
青春時代の歌を聞けば、あの日懸命に張り切っていた自分だとかかつての恋だとかを思い出して、心が弾む。これが大事なんですよ。だから過去を振り返る、懐かしむという行為は決して後ろ向きなことじゃない。素晴らしいことだと思っています。
懐かしい人との思い出も財産ですよね。「神田川」の作詞家である喜多條忠(まこと)さんをはじめ同世代の仲間が相次いで鬼籍に入り、僕はいまものすごく寂しい。
だから先日、武田鉄矢さんと会ったとき、「歩けなくなってもギター一本で歌うんだ。先立った仲間の分まで頑張ろう」と励まし合ったばかりなんです。彼らと過ごした時間は、かけがえのない財産ですから。
それに時の力はすごいもので、若い頃はバチバチのライバルみたいだった人も、いつしか戦友と化していきましたね。音楽性について熱く語り合っていた相手とも、もっぱら健康談義(笑)。それが楽しいんだから、いいんですよ。
人生を生ききるのが僕の生き方
皆さんもご存じのとおり、僕は30年以上、大分で暮らしてきました。東京を離れたのは、ソロになった26歳のとき。子どもたちを自然のなかで育てたいと思って、7年ほど富士山の見える河口湖のそばに住んだんですが、とにかく寒くてねえ。家庭菜園で野菜をつくろうにも、1年に2ヵ月くらいしか収穫できる期間がない(笑)。
朝起きたら窓から海が見えて、気持ちのいい風が吹き抜ける暖かな場所を探し求めてたどり着いたのが、大分の国東半島です。
僕は根っから自然が好き。音楽も自然みたいなものだと思っている。東京は仕事をするにはいいところだけど、なんだろう、住むところじゃなかったんだな。
もちろん家を建てたときは若さもあって、ハリウッドスターに負けてたまるか! とばかりに大きな家にしたんです。3000坪弱の土地に、ガラス張りの真っ白な家。別棟にアトリエまで作って。
でも還暦を迎えた頃には、なんか飽きたな、老後に暮らす家としては広すぎるよね、と思うようになりました。しかも、それをズルズルと先延ばしにしてしまった。70でようやく平屋のコンパクトな家に建て替えたのですが、こんなに大変なことはないっていうくらい大変でした。
何が大変って、一番はモノを処分すること。象徴的な例をひとつ挙げるなら、Tシャツです。この仕事をしているとTシャツがとんでもない数になるんですが、300枚を1枚ずつ手にとって「これはあのコンサートのときの……」なんて立ち往生。執着心との闘いですから、進むわけがない。(笑)
ただね、そのときは思い切っていろいろなものを処分しましたが、これからは無理して処分するのはやめようと思っています。買いたいものがあれば買う、行きたいところがあれば行く。
煩悩があるがゆえに人は成長してきたのだし、いくつになっても欲は生きる原動力になりますよ。執着を抱きしめて、人生楽しもうって思うようになりました。
現代は情報社会と言われます。情報からちょっとでも目を離した途端、孤独になってしまうという危機感を抱えながら生きている人が多い。ただ、地に足がついていないような生き方をしていては、たとえ経済的に豊かになっても心は満たされないでしょう。
だったらどうすればいいのかといったら、僕は感じる力を養うことだと思います。あ、春の香りがするとか、初夏の風って気持ちいいよねとか。自然と呼吸をあわせることが必要だと思って、ずっと生きてきました。
その意味で言うと、花見が好きな日本人には希望があると僕は思っているんですよ。満開の桜に思わず見とれたり、ちょっと一杯飲みたくなる感性がある限り、人は大丈夫だなって。
人間、死ぬときは死にます。どうせ最後は神様任せなんですから、自分の人生を天に任せきりましょうよ。ただし、精一杯に生きたうえで、というのが大切なところ。僕はそうやって、この人生を生ききろうと思っています。
いまのところ、「神田川」は昔と同じキーで歌えています。でも「こうせつも声が出なくなったね」と言われるときがきたら、それはそれ。キーを3つぐらい下げた「神田川」も味わい深いのではないでしょうか。
同世代の人たちが自分も頑張ろうと感じてくれれば大いに意味のあることだと思いますし、かくなるうえは、堂々と枯れてやろうと決めています。
08/23 12:30
婦人公論.jp