南こうせつ「32歳で始めた野外イベント『サマーピクニック』、75歳の今回が正真正銘のラスト。開催を望むファンからの署名で決心がついて」

「脳内にドーパミンが大量に分泌されたというか、お客さんとの連帯感はもちろん、やり切ったぞという達成感が忘れられなくてね」(撮影:洞澤佐智子)
コンサート中心の活動に加え、「音楽も自然みたいなもの」と自然豊かな地で暮らすのが南こうせつさんのスタイルだ。ライフワークでもある野外イベント「サマーピクニック」がまもなく最後を迎える。いまの思いを聞いた(構成:丸山あかね 撮影:洞澤佐智子)

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【写真】自然豊かな自宅の敷地内で

誰かを笑顔にするために

「サマーピクニック」は1981年、熊本県阿蘇郡産山(うぶやま)村で始まりました。僕が32歳のときです。いまや75歳。あの日、会場にきてくれた若者たちも還暦を過ぎ、定年退職をして孫なんかもいるのかなと思うと、なかなかに感慨深いものがありますよね。(笑)

サマーピクニックのそもそもの発端は、75年に吉田拓郎さんと一緒に開催した静岡県掛川市のリゾート施設「つま恋」でのオールナイトコンサートに遡ります。

いまでこそ夏の野外コンサートは当たり前ですが、その頃は珍しかった。拓郎さんは、69年にアメリカで話題を呼んだ「ウッドストック・フェスティバル」のような野外コンサートを、オールナイトでやりたいと考えていました。

僕はちょうどかぐや姫を解散したばかりだったけど、かぐや姫として出演しています。「つま恋」は主催者発表で5万人、警察発表で6万人を動員した日本初のオールナイトイベントとなりました。普通は警察発表のほうが少ないものなんですが。(笑)

みんなと一緒に夕陽に包まれ、満天の星の下で夜通し歌い、ともに朝を迎えて。何万人もの歓声が地響きのように伝わってきて、拓郎さんの「人間なんて」を大合唱して幕を閉じたんですけど本当に感動的でした。

脳内にドーパミンが大量に分泌されたというか、お客さんとの連帯感はもちろん、やり切ったぞという達成感が忘れられなくてね。それから5年、あの感動を夢見て開いたのが、第一回のサマーピクニックです。

当時の僕は大分への移住を考えていたこともあり、場所は九州にこだわりました。それが熊本の「卑弥呼の里」。阿蘇山の山奥という便の悪いところなのに、大勢が集まってくれました。

ところが当日、どうも雲行きがあやしい。まもなくドシャ降りになり、会場の近くで雷がゴロゴロ鳴っていたかと思うとドカーンと落ちた。電源は使えないしコンサートは中止です。いったんお客さんには避難していただき、雨風が収まったところで僕らは宿舎に戻ろうと車に乗り込みました。

みんなをがっかりさせてしまった――やりきれない気持ちを抱えてぼんやり窓の外を眺めていたら、会場に残っている500人だか1000人だかの人が見えたんです。僕の名前を呼んで、手を突き上げていて。

グッと込み上げてくるものがありました。急遽Uターン(笑)。「本当にありがとう!」とアコースティックギターだけで数曲歌ったところで調子に乗ってしまったんですね。うっかり余計なことを口にしました。「来年も開催します」。そして「九州で10年続けますから」って。(笑)

宣言通り九州の各地で10年、その後はその時々の場所でサマーピクニックを開催してきました。いくつもの場面が蘇ります。88年の大分では、ジュリー(沢田研二さん)が参加してくれました。それまでフォークソング一辺倒の演目でしたが、ジャンルの枠組みを超えて盛り上がったという意味で革命的でしたね。

福岡で開催した10回目のサマーピクニックも印象深いです。節目の回でもあって、たくさんのアーティストが参加してくれました。拓郎さん、松山千春さん、井上陽水さん、イルカさん、チャゲ&飛鳥、風、急遽結成のかぐや姫……と豪華でしょう? 3万3000枚のチケットは即日完売。

でもチケットを買えなかった人たちも当日続々と集まってくれたので、柵を外してみんなで楽しむことにしました。白々と夜が明けてゆくなか、ステージから見た光景は目に焼きついています。みんな笑顔とエネルギーに満ち溢れていて、生きている喜びが全身から放たれているとでも言うのかなあ。嬉しかったなあ。

口幅ったいことを言うようですが、僕が歌手になったのは、何かしら神様から使命を与えられたからだと思っています。それで有名になった以上、誰かを笑顔にすることが自分の使命だと信じて走り続けてきました。

ラストサマーピクニックを楽しみたい

いったん90年に一区切りをつけたサマーピクニックですが、僕が50歳になった99年に福岡で、2009年に静岡のつま恋で、14年には大阪で行いました。

ただ、さすがに疲れてきてしまった。文字通り手作りなもので(笑)、場所決めから構成、演出、ゲスト選び、果てはゲストの送迎の手配まですべて僕が決めてスタッフに指示を出す、というスタイルを貫いてきたんです。細やかな配慮が必要で、何かと大変なんですよ。

これまでトラブルは一度もありませんでしたが、そうならないようにしてきたからだと自負しています。

たとえば会場付近にお住まいの方々に音が流れてしまうことを考慮して、福岡では事前に周辺の2~3万軒のお宅に「ご迷惑をおかけしますがよろしくお願い致します」と書いたビラをお届けするようにしていました。些細なことでも問題が生じると、話し合いの場を設けて自ら交渉もしました。

どんなに万全を期しても、当日を迎えるまで気が抜けないのが野外コンサートの現実です。鉄骨でステージを作るだけで1000万円単位のお金がかかるのに、雨が降ったらすべて水の泡。天気予報をチェックしながら、ハラハラドキドキ。これが精神衛生上もっともよろしくないです。(笑)

さすがに限界かなと考えるようになったのは5年前、70の声を聞いた頃でした。これで終わりにしようと「サマーピクニック~さよなら」というタイトルをつけたところ、一回目から来てくださっている筋金入りの人たちから、「『さよなら』は寂しすぎるのではないか」という声があがって。妥協案として「さよなら、またね」に修正しました。

そうしたら数年前から「あれ、『またね』と言ってましたよね?」と脅しに近い声が寄せられるようになった(笑)。ファンの皆さんから署名までいただき、もちろんありがたいことなのですが、これはどこかのタイミングで僕がビシッと終わらせないと永遠に続くことになるぞ、と思いました。

だからこの9月23日の公演が、正真正銘「ラストサマーピクニック」です。

会場は日本武道館。憧れのビートルズがコンサートを行った夢の場所であり、僕が日本人で初めてソロコンサートを開催したゆかりの地でもあります。屋内ですから天気の心配もいりません。

いや、もちろん最初は野外コンサートらしさを出そうと、アリーナ席に人工芝を敷くことを提案したんですよ。「そんなことをしたら1000人くらいしか動員できません!」と猛反対されました(笑)。

そういうわけで、屋内で指定席のあるサマーピクニックとなりますが、ゲストにさだまさしさんと森山良子さんをお迎えし、さてさてどんなコンサートになるのだろうと、僕自身いまからワクワクしています。

ラストを迎えるのは寂しい。寂しいけれど、寂しいと感じるのはそれだけ楽しかったからなんですよ。

この世は諸行無常ですから時の流れには逆らえない。何事もいつか終わりがくる。それでいいのだと受け止めて、有終の美を飾ろうと張り切っています。

後編につづく

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