自らのキャリアを賭けて37歳の冨永愛が10年ぶりに『パリコレ』挑戦を決意。「ダメかもしれない」二者択一の勝負の結果とは

冨永愛

(C)Yusuke Miyazaki
国連持続可能な開発ソリューションネットワーク(SDSN)が2024年に公表した「世界幸福度レポート」によると、日本の幸福度は143カ国中51位で、前年の47位から4位下降しました。このような状況のなか、世界的トップモデルで俳優としても活躍する冨永愛さんは「コンプレックスを山ほど抱えていても、幸せになることはできる」と語ります。今回は、冨永さんが自身の生き方を綴ったエッセイ『冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる』から一部引用・再編集してお届けします。

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【写真】冨永愛さん「100歳になっても、ランウェイを歩ける私でありたい」

もう一度ランウェイを歩けるのか。2020年の挑戦

2014年から3年間、モデルの仕事もテレビの仕事もいったん休止した時期があった。息子と過ごす時間があまりにも不足していたからだ。

そして、30代後半。もうランウェイに戻ることはないのかもしれないと覚悟していた。

そんなときドラマ『グランメゾン東京』に出会い、演技のおもしろさにも目覚めた。

このまま俳優を目指すという選択肢もある。岐路に立ったとき思った。

もう一度、パリコレに出たい。

最後にパリコレのランウェイを歩いてから10年、私は37歳になっていた。

ファッションの聖地と言われるあの場所で、私はもう一度ランウェイを歩くことができるのか。

もしもパリコレで歩くことができたら、もう一度ファッションの世界を生きていこう。でも、もしダメなら、別の形のキャリアを考えていく必要がある。

その二者択一の賭けに出ることにした。

賭けに出ることができたのも、『グランメゾン東京』の経験があったからだと思う。

多くの人が各自の全力を出し切ってひとつの作品を作る姿を見たからこそ、私の中のもうひとつの世界、ファッションモデルという仕事にふたたび勝負をかけたくなったのだ。

キャスティングに参加

2020年2月、私はパリに到着した。

オファーがあったわけではないから、若い子たちにまじってキャスティングに参加するところからスタートした。

『冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる』(著:冨永愛/主婦の友社)

キャスティングとはオーディションのことを指す。

経験の少ないモデルたちは、キャスティング会場をいくつもまわって仕事を手にする。

私のキャリアでキャスティングを受ける人はほとんどいないが、10年ぶりなのだからしかたがない。

正直、めちゃくちゃ不安だった。

パリまでやってきて、何ひとつ受からなくて、ランウェイを歩かずに帰る可能性だってある。

「冨永愛、何しに来たんだ」って思われるかもしれない。

当時、「セブンルール」という番組の撮影クルーもパリに来ていて、私の挑戦を密着取材していた。

引くに引けない状況だった。

キャスティングに受からなければ、どんな番組になってしまうのか、全国に生き恥をさらすのかと、かなりのプレッシャーを感じていた。

それでも私が今後どう生きるかは、この勝負を経なくては決められない状況だった。

私の生きる場所

久しぶりのキャスティング会場。私を覚えてくれている人にも会えた。

でも、それで選ばれるわけではない。歩き、写真を撮り、「OK」と言われて帰る。結果は数日後。

……ダメかもしれないな。この不安感も久々の感覚。

それでも翌日には「ランバン」などから連絡がきて、ショーに出演できることになった。

うれしかったし、安心した。

本番は特に緊張もせず、ワクワクというわけでもなく、平静ないつもの私。

久々のランウェイは極上の瞬間だった。

ここは私の生きる場所だ、と思えた。

100歳になってもランウェイを歩ける私でいたい

私はやはり、コレクションモデルの仕事が好きなのだ。

ショーではやり直しは絶対にできない。1回1回すべてが真剣勝負の場。

その一瞬のためにとことん準備して、ランウェイを歩く。

わずかな時間で会場の空気を飲みこむほどの雰囲気をつくっていく。

しかも、正解はない。自分ではうまくいったと思っても、次のショーに呼ばれないこともある。

何が原因なのか、答え合わせはできない。

だからこそ、自分の中の物差しで原因を探り、次につながるように鍛錬をしていく。

私はその方法でここまできた。そして、きっとこれからもそうしていく。

100歳になっても、ランウェイを歩ける私でありたい。

※本稿は、『冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる』(主婦の友社)の一部を再編集したものです。

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