市川團子 20歳で主演を務めるスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』への思い「役と近い年齢の自分だからできる表現を」
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【写真】團子さんが『スーパー歌舞伎 ヤマトタケル』で演じる小碓命(おうすのみこと)のちにヤマトタケル
初主演を踏んだ舞台で主役を演じることに
2024年1月、20歳になりました。20代を迎えて初めての舞台は、スーパー歌舞伎の『ヤマトタケル』。昨年9月に他界した祖父(二世市川猿翁)が、「スーパー歌舞伎」の第1作として1986年に発表した作品です。
ビデオテープに残された祖父の『ヤマトタケル』を初めて見たのは、僕が小学校低学年の頃。カッコいいと思ってワクワクしましたし、最後の宙乗りのシーンが忘れられなくて。以来、永遠の憧れというか、夢のようなイメージを抱いてきました。
ですからヤマトタケル役のお話をいただいた時は、一瞬、信じられなかったというか――。「えぇっ? あのお役を僕が!?」という感じでした。
8歳の時に初舞台で出演させていただいたお役が、ヤマトタケルの息子・ワカタケル役だったのですが、その時はまさか自分がヤマトタケル役を演じさせていただけるとは、思ってもいませんでした。
初めて歌舞伎の舞台を見たのは、小学校に入る前です。見得をしたり立廻りをしたりするのを見て、子ども心に「カッコいいなぁ」と興奮したのをよく覚えています。鼓や太鼓が体に響いてくるし、三味線や長唄なども、自然に耳に馴染みました。
日本の音楽を好きだと感じたのは、感覚的なものだと思います。ですから小学校1年の時、家族から「日本舞踊を習ってみないか」と言われた時も、まったく抵抗はなかったです。むしろ、自ら進んでやってみたいと思いました。
始めてみたら楽しいし、ちょっとした所作も、純粋にカッコいいと思えて。好きだなと思ったのを覚えています。ただし、まさか自分が歌舞伎の舞台に立つとは、その時は想像もしていませんでした。
それまで、世の中には歌舞伎というものがあって、「じぃじはその歌舞伎の俳優さんなんだ」と思っていただけでした。思いがけず自分がその舞台に立たせていただけることになり、純粋に「嬉しい!」という喜びでいっぱいでした。
初舞台でワカタケルを演じた際、祖父から「声を遠くに飛ばせ」と教えてもらったのですが、12年たった今回のお舞台で、その教えの重要さをさらに感じました。
たとえば悲しい場面で悲しい感情に浸りすぎると、客席の奥まで声を届かせることがおろそかになりがちですが、でもそうではなく、声を遠くに飛ばしてきっちり台詞を届けてこそ、感情の機微が伝わるのだと、腑に落ちました。
祖父の力に改めて圧倒されて
祖父が『ヤマトタケル』を創ったのは、46歳の時です。哲学者である梅原猛先生の書き下ろし作品で、ものすごい熱量で取り組んだのだと思います。
自分がヤマトタケル役を演じさせていただき、この作品のすごさを実感しました。朝倉摂先生の舞台装置や毛利臣男(とみお)先生デザインの衣裳など、今も初演時のものを踏襲していますが、40年近く経っても、古びるどころかますます新鮮に感じるのです。
音楽には、通常の歌舞伎の下座音楽に使われる三味線などのほか、モンゴルの馬頭琴(ばとうきん)や韓国の伽耶琴(カヤグム)なども取り入れられています。
録音した音楽を、まるで生演奏のようにピタッと動きに合わせるためには、緻密な計算が必要です。それを作り上げるだけでも、本当に大変だったと思います。
そして、物語はいい意味でわかりやすいというか――父と息子の確執、兄弟の葛藤、恋人との情、いかに生きるかなど、人生のすべてが込められている。また、熊襲(くまそ)や蝦夷(えぞ)との戦いを通して、侵略する側とされる側の思いも描かれており、現代に通じる普遍的な作品だと思います。
演出もドラマチックで、祖父のモットーだった3つのS――ストーリー、スペクタクル、スピードがまさに具現化されている。初めて歌舞伎を見る方も、すーっと入っていけるのではないでしょうか。
ゼロからこれだけの作品を創り出した祖父の力に、改めて圧倒されました。お稽古に入る前は、完璧に祖父の真似をすることがよいお舞台に繋がると思っていました。
でも先輩方から、「今の團子ならではのヤマトタケルを頑張るのが大事だと思う」と言っていただきました。僕は基礎がないので、皆さまに教えていただきながら、自分なりのヤマトタケルを演じようと思いました。
僕は20歳で、ヤマトタケルの等身大に近い年齢なので、そのことがこのお役に何かよい意味を付与できたらよいな、と。ですから今は、存分に動けるだけ動こうと思います。
感情面でも、若者らしさを表現したいと考えました。ヤマトタケルは父である帝(すめらみこと)から疎まれ、激動の人生を送ります。その時々でタケルは何を感じ、どう考えていたのか。20歳なりの解釈で演じてみようと思い、考えたことを台本に書き込みながら、役を掘り下げていきました。
後から祖父が後援会の会報誌にヤマトタケルの解釈について書いた文章を見て、僕と似た解釈があると、「あぁ、同じことを考えていた」と嬉しく感じました。
2月、3月と東京でのお舞台を演じさせていただいているうちに「このタイミングでは、まだこの感情は芽生えない」「ここでこう感情を表現すると、後にうまく続かない」と気づき、解釈が変わることがありました。
この後、名古屋、大阪、博多でも公演がありますが、タケルのお役がどれだけ成長できるか、挑戦し続けるつもりです。
05/30 12:30
婦人公論.jp