『ブギウギ』モデル・笠置シヅ子は草創期のテレビでも引っ張りだことになるが…服部にとっての<新しい音楽創作の場>テレビミュージカルの内容とは

トップスターだったシヅ子は『テレビ』でも引っ張りだこに!(写真提供:Photo AC)
NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』。その主人公のモデルである昭和の大スター・笠置シヅ子について、「歌が大好きな風呂屋の少女は、やがて<ブギの女王>として一世を風靡していく」と語るのは、娯楽映画研究家でオトナの歌謡曲プロデューサーの佐藤利明さん。佐藤さんは「トップスターだったシヅ子は、『テレビジョン』という新しいメディアからも引っ張りだことなった」と言っていて――。

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草創期のテレビへの挑戦

1953(昭和28)年2月1日、NHKがテレビ放送を開始した。

日本でのテレビ放送の準備は戦前にさかのぼる。

笠置シヅ子が、松竹楽劇団(SGD)で活躍していた39(昭和14)年5月13日、初のテレビ公開実験が行われた。

世田谷にあったNHK放送技術研究所から、13キロ先の新放送会館で受信。

大きな話題となった。

そして1940(昭和15)年4月13日、日本初のテレビドラマ「夕餉前」の実験放送が行われたが、戦争により実用化は中断され、戦後初の公開実験が行われたのは「東京ブギウギ」がヒットしていた1948(昭和23)年になってからだった。

さて1953年2月1日(日曜日)、記念すべきテレビ初放送の日に、笠置シヅ子が出演している。

当然のことながら、当時はニュースもドラマも全て生放送。

ニュース、天気予報に続いて19時30分から、人気ラジオ番組のテレビ版「今週の明星」が日比谷公会堂からラジオとのサイマル放送(同時放送)で中継された。

出演は、霧島昇、笠置シヅ子、高倉敏ほかと、新聞のラテ欄にある。

トップスターだったシヅ子は、ステージ、映画、ラジオに加えて「テレビジョン」という新しいメディアからも引っ張りだことなる。

「東京カナカ娘」

この年、4月7日(火曜)には、NHKで20時から、笠置主演の「ミュージカルショウ・美人島上陸」(作・山下与志一)が放送された。

音楽は服部良一、演奏は笠置の専属バンド、楽団クラック・スター。

シヅ子はサルタン(内村軍一)の娘で、美人島に上陸した漫画家に千葉信男、カメラマンに三木のり平。

NHKラジオ「冗談音楽」で一世を風靡した三木トリロー・グループの二人が共演。

『笠置シヅ子ブギウギ伝説』(著:佐藤利明/興陽館)

この「ミュージカルショウ」はレギュラー枠で、5月12日(火曜)にも、笠置主演の「東京カナカ娘」がオンエアされている。

出演は千葉信男、太宰久雄。

のちに「男はつらいよ」シリーズでタコ社長を演じる太宰はこの時、NHK放送劇団に所属。

こうしたミュージカル番組や軽演劇などに顔を出していた。

テレビ・ミュージカルショウ

7月15日に「ウェーキは晴れ」(作詞・村雨まさを)とカップリングでレコード発売された「東京のカナカ娘」(同)は、この回の主題歌。

当時の資料によれば、笠置シヅ子は、この「ミュージカルショウ」枠に、月一回のペースで出演している。

いずれも、作・構成は山下与志一、音楽は服部良一、演奏は楽団クラック・スターで、おそらくは映画やステージ同様、笠置のヒット曲の替え歌や、番組のために服部が書き下ろした新曲も披露していたと思われる。

6月9日(火曜)には、「陽気なママさん」で、コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ出身の歌手・高倉敏、川田義雄とミルク・ブラザース出身のコメディアン・有木三太、戦前、エノケン一座で「女エノケン」と呼ばれた武智豊子がクレジットされている。

ちなみに有木三太は、この頃、俳優座の若手だった仲代達矢の叔父にあたる。

1953年2月1日(日曜日)、記念すべきテレビ初放送の日に、笠置シヅ子が出演している(写真提供:Photo AC)

7月28日(火曜)の「アルプスの人気娘」では、千葉信男、武智豊子、山田周平が共演。

おそらくキャストは、レギュラー陣が様々な役を演じていたのだろう。

9月8日(火曜)は「この世もたのし」で、共演はブーちゃんのニックネームで親しまれたジャズピアニスト・市村俊幸、三木トリロー「日曜娯楽版」のシンガーだった楠トシエ。

さらに服部リズム・シスターズもクレジットされている。

新しい音楽創作の場

10月13日(火曜)には「私は魔女よ」が放映され、昭和30年代の喜劇映画に外国人役で出演していたジョージ・ルイカー、服部リズム・シスターズが共演。

11月10日(火曜)は「ミュージカルショウ セントルイスの娘」と、この枠は3年間続く人気番組だった。

シヅ子が、実際にどんなナンバーを歌ったのかは不明だが「タンゴと娘」(54年2月9日)、「恋はほんまに楽しいわ」(3月9日)、「歌は翼にのって」(5月25日)、「お祭り騒ぎが大好きよ」(木曜・7月8日)、「君忘れじの河」(8月12日)、「陽気なママさん」(9月9日・10月2日)、「サンタクロースの孫娘」(土曜・12月11日)とタイトルだけでも楽しい。

服部にとってもテレビのミュージカル番組は、新しい音楽創作の場になっていたのだろう。

この番組は、放送時間を移動しながら、1955(昭和30)年も続いて「マンゴうりの娘」(5月11日)、「カナリヤ姫の結婚」(6月8日)、「これは失礼番号違い」(8月17日)、「陽気なサンバ」(9月7日)と毎月オンエアされている。

この頃になると、演奏は東京マンボオーケストラ、少女歌手・宮城まり子も出演。

益田隆舞踊団などダンス・グループも加わり、よりバラエティに富んだものとなっている。

記録によれば「ミュージカルショウ」へのシヅ子の出演は、1955年12月28日(水曜)「おばあちゃんと孫娘」まで続いている。

出演はバレエダンサーの近藤玲子、ハリウッド帰りの中村哲、日劇「ジャズ・カルメン」(47年)でホセを演じた石井亀次郎と、ミュージカル番組らしいキャスティングである。

テレビ草創期、笠置シヅ子と服部良一が、3年に渡って作ってきたテレビミュージカルは、これまでの笠置シヅ子と服部良一研究ではノーマークだった。

遅れてきた世代にとっては興味津々である。

※本稿は、『笠置シヅ子ブギウギ伝説』(興陽館)の一部を再編集したものです。

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