テレビ史に残る「戦慄シーンをナマ実況」(3)噛みつき流血でショック死した視聴者も
72年2月19日には連合赤軍の残党による籠城が10日間続いた「あさま山荘事件」が発生する。
「食堂に行っても中継をやっていてみんな食い入るように見てました。この事件までは機動隊に催涙弾を撃たれても『頑張れ、学生!』というような雰囲気だったけど、何日か後に連合赤軍が仲間を殺していたという報道があって一変。革命戦士たちの実態を暴露する絶妙のタイミングだった。この事件で学生運動がダメになったんじゃなくて、学生運動の支持が広がらなくなった袋小路で起きたダメ押しの事件だったんですよ」(亀和田氏)
そして昭和のパニック報道といえば、82年のホテルニュージャパン火災だ。
「燃えてるの中継されてたよね。火災パニック映画の『タワーリング・インフェルノ』みたいという人もいたけど、『カタストロフ/世界の大惨事』という惨事のシーンばかりを集めたドキュメンタリー映画があったんだけど、むしろそっちを思い出した。古いホテルだったからセキュリティの感覚もなかったのかな。消防法も守らないとかね」(マグナム氏)
ホテルニュージャパン社長の防火意識は希薄で、スプリンクラーも大部分は配管が通っていない「ダミー」だった。
かつて「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」が三種の神器と言われた時代、プロレスは50%を超える視聴率を誇っていた。中でも62年4月27日に行われた力道山VSフレッド・ブラッシーの6人タッグマッチでの凄惨な大流血シーンは社会問題に発展する。
「試合翌日の夕刊か翌々日の朝刊だったか、『テレビでプロレス観戦していた60代~70代の老人ショック死』という記事が出てね。その記事、スポーツ紙じゃなくて朝日新聞で報道されてたんですよ。1回だけじゃなくて2~3回は見ました。モノクロ映像って、カラーよりも怖いんですよ。真っ赤じゃなくて血が黒く見える。大量に流血したのはグレート東郷。“銀髪鬼”ブラッシーに噛まれて噛まれて額からはおびただしい血が出た。東郷は肩をひくひくしたりしてリアクションするんです。流血しながらもブラッシーに何度も何度も立ち向かっていく。でもよくよく考えるとリング上で起きたことでショック死なんてするのかな? 50%もの視聴率があれば、その時にたまたま喉に物を詰まらせたとか、心臓の調子が悪くなるとか、そういう人がかなりいたと思うんですよね」(亀和田氏)
マグナム氏は汚れ仕事を一手に引き受けたブラッシーをおもんぱかる。
「ブラッシーはインタビューで、『俺の試合を見て92人がショック死したんだ。あと8人で100人だったのに』と悪態をついた。でも実際はそのことを聞いて心を痛めていたんだよね。カメラを向けるとブラッシーはブラッシーなのよ。ヒールレスラーの悲哀というかさ」
プロレス好きには泣かせるエピソードだ。
(つづく)
10/27 18:00
アサ芸Biz