「旅行中、痛み止めを100錠ぐらい飲んで…」ドイツから急遽帰国した梅宮アンナ(52)が明かす、右胸の摘出手術とSNSの声

がん公表でマネージャーと決別、免疫治療は一切やらず…梅宮アンナ(52)が語る、がんになって一変した価値観「日本が素晴らしい国だなと」〉から続く

 8月13日、希少がんである乳がん“浸潤性小葉がん”のステージ3であることを公表した、梅宮アンナ(52)。

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 11月7日に右胸の摘出手術を受けた彼女に、がんになったことで変わった食生活、SNSなどに寄せられるようになった声、10年にわたる治療を前にして気付いた自身の役割などについて、話を聞いた。(全3回の3回目/最初から読む)

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梅宮アンナさん

「よく食べる」「感謝して食べる」ようになった

ーーがんになったことで意識が変わったとのことですが、食生活も変わりましたか。

梅宮アンナ(以下、アンナ) より一層、食べるようになった。で、5キロぐらい太ったの。痩せていたら、治療に対応できないなと思って。ダイエットとか言ってる場合じゃないなって。ラーメンとかもおかわりしちゃって、まわりのみんながビックリしちゃうほど食べてる。

 あと、私はブロッコリーが大嫌いだったんだけど、見つけたら食べるようにして。お野菜や嫌いだからって残していたものを食べるようになりましたね。しかも、ちっちゃいトマトを見て「どんな人が摘んだんだろう、育てたんだろう」とか考えながら食べるようになっちゃって。感謝して食べるようになったんですよ。

ーーよく食べるようになったうえに、感謝するようにもなったと。

アンナ 「ありがとう」って言わないといけないと思って。でも、言うことがストレスじゃないんですよ。むしろ気持ちいい。あと、人になにかやってあげないとなとか。これは、別に私が特別なんじゃなくて、がん患者の人にはよくあることみたいです。

先生からのお話の途中に寝てしまう母、それが私にはラク

ーーお母さんは、メンタル的にどういった状態に? たとえば、病院に付き添った際に、他の患者さんやその家族の大変そうな姿を見て、さらに落ち込んでしまうことは。

アンナ ママには「病院、一緒に来なくていいよ」って言ってるのね。やっぱり、病院っていうイメージだけで気持ちが落っこっちゃう場合があるから。けど、うちのママはお花畑だから、ピクニックみたいなノリで付いてくるので、平気らしいんです。

 抗がん剤で毛が抜けたときは泣かれたけど、それ以外はけっこう平気みたいで。先生から浸潤性小葉がんの告知を一緒に聞いたときも、「shinjunsei syouyou gan」って、泣きながらローマ字で一生懸命メモ取ってくれてたんだけど、次の日に「私の病名、覚えてる?」って聞いたら「なんだっけ」って(笑)。

 その後も病院に何度か一緒に行ったけど、先生からお話を聞くときも絶対に寝てるしね(笑)。「寝てない」って言うんだけど、そういう感じでいてくれるから。ある種の才能ですね。でも、私にはそれが楽に感じられるというか。

そもそも毎日がロシアンルーレット状態

ーーがんを公表してから、SNSなどにネガティブなコメントが集まったりは?

アンナ 「死ね」とか、すっごい言われるのかと思ったんだけど、今回はさすがにそれはなかった。そういうの書く人って、ほんとにいるから。でも、なにか言いたいんだなっていう微妙なのは来ます。

 このあいだも「一般的に抗がん剤投与は3週間に1回なんですけど、私の場合は2週間に1回なんです」って言ったら「私は1週間に1回なんですけど」みたいな。こっちは「え? なんか、すいません……」って感じで。

 自分の症例を当てはめてくるんだよね。本も送られてくるし。

ーー「これで治った」的な本ですか。

アンナ がんサバイバーの方から、自分の体験をまとめた本が送られてくるの。うちの事務所に。そういう本がいっぱい送られてくるんですよ。丁寧なお手紙も添えられて。

 お手紙には「自分は発見時にステージ4で、余命3ヶ月を宣告されました。でも、そこから生還しました」と綴られてるんですけど、私はステージ3で余命とか言われてないから、そこからして当てはまらないんですよね。そもそも毎日がロシアンルーレット状態で、明日どうなるかわからない状態でもあるし。

SNSに、誰かを落胆させたり、怖がらせたりする言葉はいらない

ーー本を送ってくるのは、良かれと思っての行動なんですかね。

アンナ たしかに良かれと思ってのことなのかもしれないんだけど、そういうことがすっごいあるんですよ。SNSだと、ちょっと本気で困ることもあって。

 ピンクのターバンを巻いてる写真を投稿したら「アンナさんへ。私も同じく乳がんで、フルコース治療でした。おかげさまで寛解はしましたが、フルコースを終えてから1年後に肺がんになりました」ってコメントが来て。それを読んで「マコちゃん、怖いんだけど。私も肺がんになっちゃうのかな~」ってなりましたよ。

 SNSって、みんなが見ている場なんですよね。そのなかには、がんの人もいるだろうし、家族ががんの人もいるだろうし、なにかしら病気と戦っている人がいるはずなんですよ。病気のことじゃなくても、誰かを落胆させたり、怖がらせたりする言葉って、みんなが集まる場所には必要ないと思っていて。そこは配慮してほしい。私にそういうことを言いたいなら、DMで送ってきてほしいし。

ーーたとえ他意はなかったとしても、自分の病症などは他人のSNSで書くべきではないと。

アンナ 「私はこうだった、ああだった」って、ズラズラ書いてくる人は多いんです。「だったら、自分のアカウントやページで言えばいいのに」って感じなんだけど、注目を浴びたいのかな?

「あんた、最低。病気を売りにして」って書かれたこともあって、書いた人のアカウントに飛んでみたら、闘病中の方だったのね。でも、私は現実を伝えたうえで希望を与えたいんだよね。

「ソクラテスとかニーチェの本が、一番効いた」

ーーアンナさんは、がんになってから言われたり、見聞きした言葉で、響いたものはありますか。

アンナ がんの告知を受けて、バーッとがんにまつわる本を買ったんですよ。がんになった著名人の本とかも含めて、いろいろと。で、片っ端から読んでみたんだけど、ピンとくるものがなにもなかった。がんになったからって、がんの本からなにか教わるってことがなくて。

 結局、ソクラテスでした。哲学。

ーーえ。

アンナ ソクラテスとかニーチェの本が、一番効いた。15年くらいまえに山登りにハマっていた時期があって、その頃に哲学書を読むようになって。そのときにも、みんなから「どうしたの?」みたいなこと言われたんだけど。

「無知は罪なり」というソクラテスの言葉があって。無知だと、やっぱり生きられないんですよね。いろんな知識を身につけることで、惑わされないし、怖くなったりすることが減るんですよ。それと、知識がないゆえに無責任なことを言って、誰かを惑わしたり、怖がらせたりすることがない。

 他者の体験談で救われることもあるんだろうし、救われたならばそれでいいんだろうけど、私にはそれがなかった。うちのパパがやってきたことが効いたとしても、そういうのって人それぞれだし、たまたまなわけだから「私のパパがこうだったから、そうして」と勧めることはできない。自分の方法を自分で見つけて、それを信じて突き進むしかないんですよ。

ーー無知は、そうした部分に繋がると。

アンナ がんには糖質制限というのが、自分にとってよかったとしても、他の人には勧められない。それはその人の体験であるわけだし、がんって人それぞれスタートポイントが違うし、部位も違うので。

ーー僕の妻が大腸がんに罹患したとき、自分の昔の写真を見て「この頃は、アホ面してお気楽そうだな」と思ったそうです。アホ面って言葉はアレですが、アンナさんもそうしたことを思ったりは。

アンナ 去年の写真をインスタとかで見ていて「このとき、がんになるなんて絶対に想像すらしてないんだよね」とは思った。でも、いまのほうが生き生きしてると思う。やっと、私にとっての大事な仕事が来たなって。

父の看取り、相続、片付けに追われた5年間。今度は…

ーー命がかかっているからこそ、そう考えた?

アンナ 命ってことに関していうと、がんを告知されて重く考えたのは事実です。それまでは、漠然としか命ってものを捉えていなかったから。

 どっちかというと、梅宮家のあれこれが終わったことで、私にとっての大事な仕事が来たと思えた。相続をして、パパが残した、いろんなことを片付けるのはイヤだったんだよね。なんだか、やらされてる感があって「なんで、こんなものを残すんだろう」って。

ーー“梅宮辰夫の娘”から抜け出して、そこで病気になったけども、これからは自分のことしか考えなくていいんだと。

アンナ もちろん、親には感謝してますよ。生まれてきて、親が見せてくれた風景、一緒に行った場所や食べてきたもの、そうしたものが自分を形成してるわけで。1人で生きてきたわけじゃないし、そこは親に対して「ありがたい」って。

 それでも、52歳になって、ようやく自分の世界が開けてきたなって。そういうのはありますよ。

 5年にわたって、父を看取って、相続して、片付けて。あれはあれで経験して良かったんですけどね。今回のがんも、また試されてるのかなって。ただ、今度は自分のことで自分が試される。

やっぱり自分のこの経験を、後の人たちに残さなきゃいけないなと

ーー病気になった意味みたいなものを見出すというか。

アンナ がんになったことを、どう生かすかってのも結局は自分次第だから。そこも踏まえて「いま、なにをしたいか」って考えたら、やっぱり自分のこの経験を、後の人たちに残さなきゃいけないなと思ってます。それも、押し付けるような形じゃなくてね。

ーー10月1日に、ニューモシスチス肺炎で入院されました。「毎日がロシアンルーレット状態で、明日どうなるかわからない状態」とのことですが、肺炎のように突然なにかしらの変調に襲われることが?

アンナ 肺炎もそうだけど、最初の頃にもありました。5月に第1回目の病院でエコーを受けて、そのあとにドイツに2週間行くことになってて、6月13日に出発したんですよ。

 そうしたら、がんになった胸のところが急に痛くなって。グワ~ッと来る痛さなんです。「何これ、絶対おかしい」って、旅行中ロキソニンを100錠ぐらい飲んで。ものすごく痛いし、怖いし、このままだと頭がどうにかなるなと思って、急遽日本に帰ったんですよ。

 診てもらったら、胸が萎んだことによって皮膚が吸い込まれるように引っ張られていて。それで痛くなってたの。

ヌーブラみたいな感じで装着できる疑似乳房を作ろうかなって

ーー抗がん剤投与が、2週間に1回だと。最近は抗がん剤投与の副作用を抑える薬もありますが、それでも負担は生じてきますか。さきほど、脱毛の話も出ましたが。

アンナ 吐き気に関しては、私の場合だと吐きづわりみたいな感じでした。食べないと気持ち悪くなるので、逆に食欲が湧いてきて。それもあって、5キロ太ったし。

 しびれは、どうなるかわからない。9月25日から4クールの抗がん剤を始めたんだけど、その後にやる4クールでパクリタキセルって抗がん剤を投与するんだけど。それが末梢神経に来やすいらしいんだけど、人生で手足がしびれるってことがなかったから、想像ができなくて。でも、一番最悪な事態を想定するようにしています。いいほうで考えていて、そうじゃないとショックがデカいから。悪く考えておいて「あ、すっごい楽だった」と思えたほうがいいでしょ。

ーー乳房の摘出後に再建することは考えていますか。

アンナ 絶対しない。最初は両方とも取ってくださいって言ったの。こっちもいらないって。片方だけ残ってるのもバランス悪いから、両方取りたかったけど、それはダメなんだって。

 再建手術は背中から肉を持ってきて作るんですけど、術後のケアが大変なんですって。で、ヌーブラみたいな感じで装着できる疑似乳房みたいなものがあるんですよ、それを作ろうかなって。

医療のことをちゃんとお話しできるようになることが、これからの私の役割

ーー今後の治療は?

アンナ 手術を終えて体調が普通になったら、放射線。週5日です。「毎日通うから、定期が要るじゃん」みたいな。回数にすると、16回から18回ぐらいで終わりそうですと言われてて。それが終わったら、10年間飲み薬を飲むそうです。ほんと、長い長いジャーニーだなあって。

ーー50代になると、年代的に死というものを少なからず意識するようになります。かといって、まだ死ぬ年代だとは考えていないところもある。そうしたなかで、命に関わる事態に見舞われたことについて、なにか思うことってありますか。

アンナ 人間の寿命って、決まっている気がするんです。早く亡くなるから不幸だってことはないんじゃないかな。よく「あんないい人が、こんな早くに亡くなっちゃって」ってあるけど、その人は生きてきた分の何倍も内容の濃い人生を生きたんじゃないかなって。

 そうなってくると「私の明日がどうなるかわからないけれど、いいことをちゃんとやって人生を終えたいな」と思っていて。世の中からバカだアホだと言われてきましたけど、医療のことをちゃんとお話しできるようになりたいなと。それが、これからの私の役割なんじゃないかなと。私の寿命が65歳に決められてるか、90歳に決められてるか、わからないけど、その役割を果たしてからじゃないと死ねないなと思ってます。

写真=鈴木七絵/文藝春秋

(平田 裕介)

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