1日10時間以上勉強→偏差値45から70に爆増→1浪で医学部合格…人命救助で話題の“現役医師アイドル”(27)が語る、夢を諦められなかった学生時代

「救急車を呼んでください!」東京駅で若い女性が人命救助→27歳の“現役医師アイドル”と発覚…本人が明かす“緊迫した現場”の知られざる裏側〉から続く

 東京駅での人命救助動画で広く注目された、アイドルグループ・NEOアラモードの北村舞香さん(27)。彼女は類を見ない“医師兼アイドル”として病院では患者と寄り添い、ライブ会場ではファンを前にしたステージに立ち続けている。

【貴重な写真】ギャップがすごい…白衣姿で医者として働く北村舞香さん27歳

 いわば異色の“二刀流”で活躍しているが、医学部時代から芸能活動との“二足のわらじ”を履く生活が続いていたとは意外だ。看護師であった偉人・ナイチンゲールに触発されて医療の世界を志し、ステージ、アイドルにも憧れを抱いた驚きの経歴を、北村さんに尋ねた。(全3回の2回目/3回目に続く)

“医師兼アイドル”として活躍するNEOアラモードの北村舞香さん ©杉山秀樹/文藝春秋

◆◆◆

高校2年の冬に「医者になる!」と決めた理由

――医師を志したきっかけから、伺いたいです。

北村舞香さん(以下、北村) 元々は、看護師をめざしていたんです。小学4年生の頃、書店にある漫画の伝記を読むのが好きで、たまたま目に留まったのがナイチンゲールの伝記でした。その生き方に感銘を受けて「私もナイチンゲールになる!」と思いはじめて、当時の卒業文集にも「看護師になる」と書いたのは覚えています。

――医師をめざすとなると、家系に同業者がいるイメージもあります。

北村 医師は私だけですけど、医療従事者はいます。叔母が、看護師なんです。他にはいなくて、父は航空会社勤務で、母は小学校教諭と幼稚園教諭の資格を持っていますね。

――当初は看護師をめざしていたにもかかわらず、医師に進路変更した理由は?

北村 高校2年生の冬に、進路を見直したんです。自分は何がしたいのか、自分のよさは何かを考えて。中学高校時代の様々な活動を通して、色々な情報を集めて物事を自分なりに考えるのが好きだったし、患者さんからお話を伺って、それぞれの人に沿った治療方針を立てる、医師の仕事に興味を持ちました。

――医学部の受験勉強は「高校1年生からが勝負」とする説もありますが、北村さんの場合は、高校2年生の終わり頃からだったんですね。

北村 はい。だから「医者になる!」と決めてから、塾に入りました。じつは、高校1年生でも塾には通っていたんですけど、1つの物事にしか集中できないタイプなので、高校2年生で部活へ集中するために、塾をやめてしまっていたんです。ちょうど、医師をめざした当時に部活を引退したので、心機一転で受験勉強に打ち込みました。

中学3年生のときにアイドルに憧れた“きっかけ”

――気持ち新たに、やりたいことを見つけたんですね。ちなみに、部活は何をやっていたんですか?

北村 アイドルになったきっかけにも関わるんですけど、音楽部でミュージカルをやっていました。元々のきっかけもあって、昔、通っていた小学校の運動会で、全校生徒がダンスをする「全校表現」という行事があったんです。

 運動会の1ヶ月前から練習がはじまって、当時は低学年だった私たちに教えてくれた上級生のお姉さんが朝礼台で踊る姿が素敵で「名前を教えてください!」とお願いしたほど、ファンになってしまって。そこから、ステージへの憧れをずっと抱き続けて、中高一貫校への進学後、中学時代から音楽部に所属していたんです。

――ステージへの情熱とは別に、アイドルに憧れるきっかけもあったんですか?

北村 中学3年生でした。AKB48さんたちの活躍を青春時代に見ていた世代ですけど、アイドルの職業をよく理解できていなかったんです。でも、友だちがインディーズ時代のDISH//さんのリリースイベントに誘ってくれて、ファンの方々の笑顔を見て「時間とお金をここまでかけたくなる存在って何!?」と衝撃を受けて、アイドルにのめり込んでいきました。

高校時代に先生から「医学部はあきらめなさい」と言われたが…

――高校2年生の冬に勉強をはじめたものの、医学部の現役合格は叶わず、一浪されたそうですね。

北村 現役時代も1日10時間は勉強するほど頑張って、友だちに勉強時間を報告していて「舞香、少ないんじゃない?」としょっちゅう怒られました。でも、落ちちゃいましたね。センター試験(現・大学入学共通テスト)の直前にインフルエンザにかかり、悲しみに暮れて『ドラゴン桜』を見たのもいい思い出です(苦笑)。

 そこから、浪人時代は環境をガラッと変えようと思って、誰もいないところで自分がどれだけできるかをたしかめるために、友だちがまったくいない予備校に通いました。

――医学部に限らず、現役合格して大学生活を楽しむ友だちへのうらやましさはなかったんでしょうか?

北村 合格しか考えていなかったので、なかったですね。でも、友だちとのLINEグループにも浮上しなかったので、私からの返信がなくて「今、舞香は受験モードのスイッチオンなのか」と、気をつかわせてしまったかもとは思っています。

 意地でも合格したかったのは、高校時代の悔しい思い出もあったからです。高校2年生で「医学部志望」と学校に提出したら、学年主任の先生から「あきらめなさい」と、きつめに怒られたんです。一浪が決まっていた卒業式でも、式直前に同じ先生に呼び出されて「1年で合格できなかったら、あきらなさい」とまた怒られました(苦笑)。

1日10時間以上の猛勉強で、偏差値が20以上アップ

――医師とアイドルを兼業している今、その先生に何か言いたいことは……?

北村 何でしょう……。毎日、楽しいので「イェーイ!」って(笑)。先生はたぶん、学校の進学率が下がるのを気にしていたと思いますし、今なら、立場も分かる気はします。

――医学部志望を宣言した当時、その先生以外の反応はいかがでした?

北村 家族も最初は「辞めてくれ」と言っていました。友だちも「また、舞香がすごいことを言い出して……」と、なかばあきれていたのかもしれないんですけど、合格後には、医学部をめざす私を「頑張っているので、陰ながら応援するしかないと思ってた」と言われたし、「夢を叶えたのはスゴい」と褒められました。

――そこから受験勉強をはじめて、指標となる偏差値はどれほど上がったのでしょう?

北村 私の受けた模試で当初は45~50ぐらいで、合格時点では70まで上がりました。特に、浪人時代は勉強法を見直して。浪人生が4人だけで、他はみんな現役生の予備校でしたけど、負い目を感じることなく、プライドも捨てて“デキる現役生”の友だちに勉強法を聞いたんです。

「英語の問題ではどこに注目してる?」とか「できなかった問題はどうやって復習してる?」とか、人をマネするのが大事と思ったので、聞いた内容を自分流にアレンジして、1日10時間以上は受験勉強に費やしていました。

大学のダンス部でアイドル活動をスタート

――一浪して、無事に医学部へと進学。アイドルとしての活動もスタートしたそうですね。

北村 最初は大学のダンス部で、自称アイドルとしてステージに立ちました。1年生の新歓イベントで、みんながヒップホップやジャズなどを踊っているなかで、私だけアイドルとしてのパフォーマンスをしたら、喜んでくれたんです。オリジナルの自己紹介も披露しました。

――どのような自己紹介だったんでしょう?

北村 今もXのハッシュタグで使っている「#まいかぴア医ドル日報」の原点で、元々、みんなの心で繁殖したいという思いから『アンパンマン』のキャラクター「かびるんるん」をモチーフにした「まいかぴるんるん」のネーミングを考えていて、新歓イベントでは「今日もるんるん。明日もるんるん。いっつもるんるん。ハ~イ、みんなの心に繁殖中。まいかぴるんるんです!」と挨拶したら盛り上がって(笑)。

 でも、部活だけでは身内にしか喜んでもらえないし、外の世界でアイドルとして通用するのか知りたいと思って、2年生のときにアイドルカフェで働きはじめたんです。

アイドルカフェとの並行で、医学部留年の危機に…

――医学部は遊べないほど忙しいとも聞きますし、アイドルカフェとの並行は大変だったんじゃないですか?

北村 平日は1限から5限までがほぼ必修科目で埋まっていたので、17時に授業が終わってから、18~22時まではアイドルカフェで働いて、土日祝日は9~22時までアイドルカフェにいました。パフォーマンスもあり、店内のオーディションに合格するとステージに立てたんです。

 メインは「踊ってみた」のカバーでしたけど、基本的には自主練なので、自宅に帰ってからは歌やダンスを覚えていました。アイドルカフェではグループデビューもできて、2年生から3年生にかけての1年間は働いていましたね。

――ただ、勉強との両立に励みながらも、2年生の総合順位では「GPA最下位」で留年の危機に陥ったとTikTokで明かしていました。

北村 平日は授業とアイドルカフェを掛け持ちして、土日祝日は朝から晩までライブ……の生活を続けていたら、勉強する時間がなくなってしまったんです。私のいた医学部では試験の1ヶ月前からは、授業が終わってから23時頃まで自習室にこもって勉強するのがお決まりだったんですけど、もちろんできるわけもなく……。友だちはきっと「舞香は何やってるんだ?」と思っていたはずです(笑)。

 準備が大変な自分の生誕祭ライブの翌日から試験期間がはじまり、ライブ終わりの深夜から勉強をはじめても満足な成績を出せず、再試験を受けたときもあります。でも、同期が優しくて、すでに試験をパスしていた友だちが勉強に付き合ってくれて、ギリギリで留年をまぬがれました(笑)。

現役で医師国家試験に合格

――6年制の医学部では、4年生以降に実習も入ってきてさらに忙しくなりそうです。

北村 病院の現場で学ぶ臨床実習ですね。4年生は臨床実習への準備段階で、5年生から病院で実際の研修を受けるんです。私は、3年生でアイドルを辞めたのに飽き足らず、4年生は芸能事務所の養成所の夜間コースに通って。アイドルカフェを辞めてからブクブクと太ってしまったので、養成所に入るために10キロも体を絞りました(笑)。5年生のときは舞台女優もやって、大学のあった関西の小劇場にも立ちました。

――医学部時代から、常に芸能活動を並行していたんですね。そして、6年生では医師国家試験が待ちかまえていたと。

北村 コロナ禍となった5年生のときに開設したTikTokでの活動に絞って、勉強に集中しました。医学部卒業までの1年間、授業以外の時間は大学にあった自習室にこもって、休憩中は友だちと問題を出し合っていましたね。医師国家試験の合格率は9割と言われますけど、受かるかどうかのプレッシャーはありました。無事に合格できたのは、心強い友だちがいたからです。

撮影=杉山秀樹/文藝春秋

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(カネコシュウヘイ)

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