「これまでは家事や育児は私が…」9年ぶりの映画撮影で3週間家を離れた呉美保監督(47)が、夫に頼ってみて気づいた“意外なこと”《新作がきょう公開》

「母親と映画監督、どっちを取るの?」女性監督(47)が出産&育児で直面した“社会から置いていかれる”恐怖《9年ぶりの新作もテーマは「家族」》〉から続く

『そこのみにて光輝く』(2014)でモントリオール世界映画祭の最優秀監督賞を取るなど輝かしいキャリアを持つ呉美保監督(47)にとって、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』(9月20日公開)は9年ぶりの長編映画になる。

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 CMなど短い映像の仕事は続けてきたが、映画のキャリアに長い空白ができたのは「子育てをしていたら時間がまったくなかった」という理由。新作も夏休みに2人の息子を夫と義父母に預けて3週間で撮り切るという強行日程だったという。

 キャリアと家庭の悩み、日本映画界の“働きにくさ”について、呉監督に話を聞いた。

呉美保監督 ©文藝春秋 撮影・山元茂樹

――『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、昨年の夏休みの3週間で撮影されたとお聞きしました。

呉美保監督(以下、呉監督) 撮影した時は長男は8歳、次男は3歳でした。2人を関西にいる夫の両親にお願いして、3週間で撮り切りました。まずは子どもたちと一緒に帰省し、違う環境での生活に慣れさせるため3日間過ごして、いったん帰京してから撮影のために宮城に入りました。長編映画の撮影は8年ぶりだし、我が子とこんなに離れるのは初めてだったのですごくドキドキでした。

――何がいちばん不安だったんですか?

呉監督 子どもたちが寂しくて泣いていないか心配でしたし、8年ぶりの映画撮影のスケジュールをこなせるか、何より体力がついていくのか、不安だらけでした。

「ここまでして映画をやる必要があるのか」と自問自答したことも

――実際はどうだったのでしょう。

呉監督 それが映画撮影の合間に夫の実家に連絡しても、子どもたちに「今、たこ焼き食べてるから」ってすぐ切られたり(笑)。母親と離れて寂しがっていると思いきや全くそうではなく、毎日楽しく過ごしていたようで、安心したと同時に、逆に私が寂しくなりました(笑)。

――それでも2人の子どもの世話をしながら撮影の準備をして、義父母に預ける段取りまでするのは大変そうです。

呉監督 毎日綱渡りでしたよ。俳優さんの衣装合わせをしているときに保育園から「熱が出ました」という連絡が来て迎えに行かなきゃいけないとか。周りのスタッフに支えてもらって、どうにか撮影にこぎつけたという感じです。大変な時は「ここまでして映画をやる必要があるのか」と自問自答することも、正直ありました。

――時間はどのように捻出されているんですか。

呉監督 子どもを産む前は、起きてる時間は、映画に出てくる人物についてずっと考え続けていました。でも今はそれは無理なので、平日は早朝や、子どもを保育園や小学校に送り出してからの日中に仕事をして、どうしても時間が足りない場合は子どもを寝かせた後に夜中までやって……という感じです。これで良いのかと悩むこともありますが、ある意味今の方が濃密な時間を過ごせているし、時間の使い方もちゃんとできるようになった気がします。

――制限があることで、より集中できるということでしょうか。

呉監督 考え方が変わったわけではないのですが、四六時中ずっと考えていても結局出せる答えは1つしかないと思えるようになったのかも。

 広告の撮影は1~2日で終わるので集中する時間は捻出できていたのですが、映画は長期間なのでどうしても家のことと重なり割り切れない瞬間があるんですよね。周りに甘えることの大事さに改めて気づかされました。

自分でやっていた家事や育児を夫に任せてみたら…

――配偶者の方とは家事育児の分担をどのようにされているんですか。

呉監督 夫はとても多忙な人で、映画に復帰する前は家事や育児は私が主体的にやっていました。でも今回、私がいなくても、私以上に丁寧にやってくれました。

――意外な一面が発揮されたんですね。

呉監督 料理もいろんなものを作っていたみたいで。でも私が帰ってきた時には綺麗に片付けてあるから、何を作ったかはわからないし、無口なので言ってくれないのです。でも子どもたちが「お父さんが作ってくれた〇〇が美味しかった」と報告してくれますけれど(笑)。

――そんな美味しいものを作ったら写真を見せたり自慢したりしたくなりそうです。

呉監督 そうですよね。でも夫はしないですね。聞かなくても困ることはないのですが。おもしろい人だとは思います。お互い、今何の仕事をしているのかも一切知りませんし(笑)。

――不思議な距離感ですね。

呉監督 そうですね。夫は「任せられたら全部しっかりやるから放っておいてくれ」「任せたときは細かいことは言わないからやってくれ」というスタンス。しかも私以上にちゃんとやれる人です。だから今はもう、そういう人なんだと思うようになりました。

――それが心地よい、ということに気づいたのですね。

呉監督 こういう人なんだとわかるまでは時間がかかりましたけどね。今の形に、結婚生活10年目にしてやっと辿り着いたという感じです。まだまだ知らないところだらけ、でしょうけれど。

「まだまだ圧倒的に女性にとっては厳しい環境ですね」

――そのように8年ぶりに戻った映画の現場ですが、働きやすさに変化は感じましたか?

呉監督 まだまだ圧倒的に女性にとっては厳しい環境ですね。私は監督という立場なので自分の裁量でなんとかなる部分がありますが、女性スタッフは子どもを産んだあとは復帰しにくい業界だと思います。早朝から始まる撮影もあるし、終了時間も毎日読めないですから。

――呉監督のように、30代で実績を残さないと女性が子どもを産んだ後も映画業界でずっと働いていくのは難しいのでしょうか。

呉監督 解決方法自体はシンプルで、映画を作る予算がもっと増えること。たとえば1カ月で撮影している映画を3カ月かけられるようになれば、毎日夕方までに撮影が終わりスタッフ全員が寝不足にならずに済みます。

 昨今は「現場に託児所を」という声も聞きますが、私はいまいちピンときていません……。子ども自身はいつもの環境で過ごせるのが安心でしょうし、そもそも子どもを現場まで連れていくのが大変なので。目指すべきは、子どもがいる、いないに関わらず、どんなスタッフも健全な時間と環境で働くことができる映画界ですね。

「そんな中でも、ちゃんと粘っていきたいですね」

――実際に復帰してみて、今後はもっと映画を撮っていけると感じましたか。

呉監督 映画はこれからも撮り続けたいですが、ものすごく大変なので、心から撮りたいものを厳選し撮っていくことになるのかなと。『ぼくが生きてる、ふたつの世界』のように3週間で撮影する映画は他にもありますが、期間が短ければ制限はどうしても発生します。そんな中でも、ちゃんと粘っていきたいですけどね。

――でも『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は繊細な映像で、3週間で撮ったとは思えなかったです。

呉監督 自分の中では、終始迷いながらの作業でした。忙しすぎて思わず息子たちに強く当たってしまったこともあります。申し訳ない限りです。少しずつ手が離れてホッとする反面、ベッタリ甘えられていた頃を思い出して寂しくなったり、勝手ですよね(笑)。

――これからも、家族と仕事のバランスを取りながら進んでいくことになりそうですね。

呉監督 執念で2人目を産み、執念で映画に戻ってきましたが、それでも「待ってたよ」と言ってくれる人がいて、すごく贅沢な人生を送らせてもらっているなと。苦しいこともありましたが、全て無駄な感情ではなかったなと、これまでを振り返り実感しています。

『ぼくが生きてる、ふたつの世界』

監督:呉美保 脚本:港岳彦 主演:吉沢亮

出演:忍足亜希子 今井彰人 ユースケ・サンタマリア 烏丸せつこ でんでん

原作:五十嵐大「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」(幻冬舎刊)

企画・プロデュース:山国秀幸 手話監修協力:全日本ろうあ連盟

製作:「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会(ワンダーラボラトリー/博報堂DYミュージック&ピクチャーズ/ギャガ/JR西日本コミュニケーションズ/アイ・ピー・アイ/アミューズ/河北新報社/東日本放送/シネマとうほく)

©五十嵐大/幻冬舎 ©2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

配給:ギャガ

9月20日(金) 新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー

(田幸 和歌子)

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