「らるくあん“しやる”」坂本冬美×HYDE 同郷トークで駄洒落まで…“気まずかった”凱旋ライヴトークも
演歌とロック――交わりそうにない2人。坂本冬美とL’Arc〜en〜CielのHYDEを結ぶのは……南紀白浜の青い海と世界遺産の熊野古道、梅干しとみかんの産地で知られる故郷・和歌山。
「和歌山スペシャル」と銘打って、和歌山を語り尽くしてもらいます!
――現在は卒業されていますが、HYDEさんは「和歌山市ふるさと観光大使」第1号、冬美さんは「和歌山県ふるさと大使」第1号でした。
HYDE 僕は市で、坂本さんは県ですから、同じ第1号でもスケールが違います。
坂本 いや、でもHYDEさんは観光大使就任記念で、市役所に設置されたのが――。
HYDE 記念ギャラリーです。2024年、名前を「HYDE Memorial Gallery」と変えて、和歌山城ホール3階のエントランスに設置されています。
坂本 わたしの観光大使としての初仕事は、法被にねじり鉢巻き姿で、地元の漁港で水揚げされた鮪の解体ショーですからね(笑)。
HYDE マジ……ですか?
坂本 楽しかったし、他県からもたくさんの方が和歌山に来てくださったんですけど、そこが和歌山市出身のHYDEさんと、和歌山でも田舎出身のわたしとの違いですね。
HYDE ちなみにどちらですか?
坂本 西牟婁郡上富田町朝来(にしむろぐんかみとんだちょうあっそ)というところです。
HYDE すみません。ちょっとわからないです……(笑)。
坂本 地図でいうと、南紀白浜と田辺市の中間あたりです。
HYDE 海がめっちゃきれいなところですよね。僕のところはそうでもないので、羨ましいなぁと思ってました。
坂本 あら。でも、加太(かた)のあたりはきれいなんでしょう?
HYDE ん!? 今なんておっしゃいました?
坂本 海がきれいなのは、かた……。
HYDE かだ……“た”じゃなくて、“だ”なんです。県外の人は“た”と読んじゃうんですけど、まさか和歌山出身の坂本さんまで読み間違えるとは(笑)。僕、本籍が加太なんですよ。
坂本 いや、あの……それは大変、ものすごく、失礼…モゴモゴモゴ(苦笑)。
■お世話になった恩師のお子さんの結婚式で熱唱
HYDE 同じ和歌山でも、加太と朝来だと、言葉の語尾なんかもビミョーに違いますからね(笑)。
坂本 そうなんですよね。◯◯してる……と言うのを、和歌山市内の人は――。
HYDE “しちゃーる”です。
坂本 でも、わたしたちのところでは“しやる”って言いますから。
HYDE らるくあん“しやる”ですね(笑)。
坂本 うまい! HYDEさんって、そういう冗談を言う人だったんですね(笑)。
HYDE 和歌山の先輩・坂本さんとお話していると、つい気持ちが緩んでしまいますね。
坂本 最も多感な時期を過ごした場所というのは、特別な思いがありますよね。
HYDE 由良(ゆら)ってわかりますか?
坂本 和歌山市内から行くと、お醤油発祥の地といわれる湯浅のちょっと先ですよね?
HYDE そうです。由良は海がめっちゃきれいで、夏は友達と自転車で半日かけて遊びに行って泳いだり、ウニを採ったり、貝を焼いて食べたりしてました。
坂本 そのころのお友達とは、今も繋がっているの?
HYDE 年に1、2回くらいしか帰れないですけど、今でもすごく仲はいいです。小学校のときにお世話になった大好きな先生がいるんですけど、その先生は今でも東京のライヴに来てくれます。
坂本 それはすごい!
HYDE その先生にはお子さんが2人いらっしゃるんですけど、2人とも結婚式で歌わせていただきました。
坂本 それは先生にとっても、お子さんたちにとっても、心に残る最高の結婚式になったでしょうね。
HYDE お話をいただいたときは、嬉しかったです。坂本さんはそういうことはないですか?
坂本 姪っ子の結婚式で歌ったことがあるんですけど……。恥をかいたらあかんと思って、きちんと声出しをして、事前に会場中を歩きながら念入りに音チェックをしたのに、本番では感動のあまり大泣きしてしまって、歌えなくなってしまって(苦笑)。
HYDE はははははは(笑)。
坂本 娘のように可愛がっていた姪っ子だったから、ウエディングドレス姿を見た瞬間、もう嗚咽が止まらなくなってしまったんです。今思い出しても恥ずかしいです(苦笑)。
HYDE さすがにそこまでの経験はないですけど(笑)。ディナーショーだったり、オーケストラコンサートを演らせていただくようになってからは慣れましたが、それ以前は派手な照明と爆音のなかでしか歌ったことがなかったのでスピーカーが天井にある結婚式場で、いきなりマイクを持たされたときは、ちょっとビビりました(笑)。
坂本 地元で演るコンサートも、それにちょっと近い感じのものがありますよね。
HYDE 和歌山ビッグホエールで演らせていただいたときは、会場が大きいのでよかったんですけど、県文(和歌山県民文化会館)のときは、1列めに家族や親戚、友達がずらりと並んでいて…。
坂本 歌っている途中、バッチリ目が合っちゃうでしょう。
HYDE そうなんです。こっちも気まずいけど、向こうもめちゃめちゃ気まずそうにしていて。あれは大失敗でした(笑)。
■「50万円貸してあげるから、早う大阪に行け」
坂本 HYDEさんは、何歳まで和歌山にいたんですか。
H 21歳までです。アルバイトをしてお金を貯めて、大阪でバンドを組もうと思っていたんですけど、もらえるお金はわずかだし、アロチに行くとすぐになくなっちゃうし、どうしようかと思っていたときに……。
坂本 アロチって何?
H えっ、知らないんですか、アロチ!? 和歌山市の夜の歓楽街ですよ。
坂本 ぶらくり丁じゃなくて?
H そこから近いですけど、バーやクラブ、ラウンジなど、お酒を飲めるお店がたくさんあって、和歌山の銀座みたいなところです。
坂本 そこで毎日のように飲んでいたら、そりゃあ、お金もなくなりますよね。で、どうしたんですか?
H 母親が「50万円貸してあげるから、あんた早う大阪に行け!」と、僕の背中を押してくれたんです。
坂本 それが、L’Arc〜en〜Cielの始まり!? すごいお母様ですね。
H 結果、何百倍にもなって返ってきたので、母親の見事な“投資”だったなと思っています(笑)。
坂本 そこからは、トントン拍子ですか?
H ギターを始めたのが17歳のときで。21歳で大阪に出てきて、ギターはなかなかうまくならないので、歌を歌ってみたら案外イケるじゃんと思って、L’Arc〜en〜Cielを結成したのが22歳のとき。で、23歳のときに東京でメジャーデビューしているので、振り返るとトントン拍子だったかなとは思います。
坂本 L’Arc〜en〜Cielとソロのほかに、YOSHIKIさんやMIYAVIさん、SUGIZOさんとのバンドも組んでいらっしゃいますが、その都度HYDEさんの立ち位置は変わるものなんですか?
HYDE 中華屋に行くときの自分と、フレンチレストランに行くときの自分では、変えようと思っていなくても自然と変わるじゃないですか。それと同じ感覚です。
坂本 HYDEさんはHYDEさんだと?
HYDE L’Arc〜en〜Cielの現場に行くとラルクのHYDEがいて、ソロのときはソロアーティストとしてのHYDEがそこにいる――そんな感じですね。
坂本 とはいえ、YOSHIKIさんといるときは緊張しますよね。
HYDE はい。緊張しますし、先輩なので言葉遣いもちょっと敬語っぽくなります(笑)。とても忙しい方なので、僕から食事に誘うことは基本的にはなくて、一緒に食事をさせてもらうときは、いつもYOSHIKIさんからオファーをいただいてですね。
坂本 和歌山スペシャルということで、最後にひとつ。HYDEさんにとって和歌山とは?
HYDE 和歌山に強い思い入れがあるのかと聞かれたら、正直わからないですね。将来、住むようなことはないと思うし。
坂本 ふるさとは遠きにありて思ふもの?
HYDE そうなのかもしれないですね。自分が和歌山の悪口を言うのはいいけど、他人が言うとムカつくみたいなやつです。ライヴをしても、ほかの場所とは思い入れが違うし。どういう言葉がいちばんしっくりくるのか難しいんですけど……。慣れ親しんだ場所で歌うことが“感慨深い”という言葉が、最も近いような気がします。
坂本 歳を重ねるごとに、その思いは強くなっています?
HYDE それはあります。和歌山への思いはほかの地域とはまったく違いますし、その思いは年々強くなっているような気がします。
はいど
1月29日生まれ 和歌山県出身 1994年7月に、L’Arc〜en〜Cielのメンバーとしてメジャーデビュー。2001年にソロ活動をスタートし、ワールドワイドに活躍。10月16日に、約5年ぶりとなるオリジナル・アルバム『HYDE[INSIDE]』を発売
さかもとふゆみ
1967年3月30日生まれ 和歌山県出身 1987年に『あばれ太鼓』でデビュー。『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。現在、最新アルバム『想いびと』が好評発売中
写真・福田ヨシツグ 取材&文・工藤 晋
スタイリスト・小泉美智子(坂本)、高見佳明(HYDE)
ヘアメイク・岡崎じゅん(坂本)、澤西由美花(クララシステム、HYDE)
衣装協力・CHONO(坂本)
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