「西太后」と並び称された“ドラゴン・レディ” 蒋介石夫人・宋美齢はなぜ死ぬ前にチャイナドレスを切り捨てたのか
「宋家の三姉妹」の三女で中華民国総統・蒋介石の妻となった宋美齢(写真/時事通信フォト)
中華民国総統・蒋介石の妻・宋美齢。流暢な英語を駆使して、夫の通訳として外交の表舞台で活躍したファーストレディは、最高級のチャイナドレスを身にまとい、「チャイナドレスの貴婦人」と呼ばれた。晩年は、米国に移住し、東京ドームの約3.2倍の敷地にベッドルーム9室の邸宅、庭には3ホールのゴルフ・コースなどを備えた豪邸に暮らしていた。ところが、2003年に亡くなる前に、ある不可解な行動をしていたという。
米国在住ノンフィクション作家の譚璐美氏(璐は王偏に「路」)が直接耳にしたエピソードを明かす(同氏の『宋美齢秘録』より抜粋・再構成)。
* * *
「あなたは、マダム・ジャン・カイセックをご存じですか?」
突然、上品な紳士に英語で聞かれて、私は戸惑った。
英語で「ジャン・カイセック」とは漢字に直せば「蒋介石」。中華民国の総統で、戦後は台湾を長く統治してきた軍人政治家だ。
「マダム・ジャン・カイセックって、台湾の蒋介石総統の夫人の宋美齢のことですか?」
「ええ、そうです」
二〇〇二年、米国コネチカット州にある娘の通っていた高校の授業参観日でのことだ。昼時になり、学校からビュッフェスタイルの昼食が供され、私がハンバーガーとマカロニチーズ、コールスローサラダを紙皿に取り分けて食堂の大テーブルで?張っていると、白人の夫婦が会釈をして隣に座った。
「お子さんは何年生ですか」「クラブ活動は何をしていますか」などと、当たり障りのない会話を交わした後に、紳士がやや改まった口調で切り出してきたのだ。
あまりに場違いな質問だったが、アジア人の私をみつけて聞いてきたのだろうと思い、軽く受け流すことにした。
「中国の有名な方ですから、名前は存じていますが……」
すると紳士は、「実は我が家の隣人でしてね!」と、思いもよらない言葉をつづけた。
「では、あなたはロングアイランドに住んでいるのですか!?」
「はい、そうです」
ニューヨーク州ロングアイランドといえば、豪邸が多く立ち並ぶことで知られる高級住宅地区で、この白人夫妻も相当な金持ちに違いなかった。私は思わず身を乗り出して尋ねた。
「宋美齢にお会いになったことはありますか?」
今度は横で聞いていた夫人が目を輝かせて告げた。
「ええ、ありますとも! 散歩をしている時など出会うと、丁寧に会釈してくれました。お出かけになる時には綺麗にお化粧して、いつも大勢のお供を連れて何台も車を連ねて行かれましたわ」
「チャイナドレスの貴婦人」の不可解な行動
まだ宋美齢が生きていた頃の話である。蒋介石の死後、宋美齢が台湾から米国のニューヨーク州ロングアイランドに移り住んでいたことは知っていた。だが、宋美齢はほとんど公の場に現れず、メディアのインタビューにも応じないことから、実生活は謎に包まれていた。確か彼女は高齢になり、マンハッタンのコンドミニアムに引っ越したはずだが……。
「ええ、邸宅が売りに出された時には、狭い道に黒塗りの車がずらりと並んで大変な騒ぎでした。大勢のバイヤーが見学に来ていました」と、紳士が口を挟んだ。そして、
「実は、我が家のメイドがマダムの家のメイドと仲良しでしてね……」
と、いたずらそうな表情を浮かべた。
「引っ越しする前に、マダムは数百着もあるチャイナドレスをすべてハサミで切り刻み、捨てて行ったのだそうですよ!」
私は耳を疑った。
中国女性にとって、チャイナドレスはとても大切なものである。特に「チャイナドレスの貴婦人」として知られた宋美齢ならば、どれほど高価なドレスを所有していたのか想像もつかない。かつて政治の表舞台で身に着けた最高級のドレスには、きっと多くの思い出が詰まっていたはずだ。それを切り刻んで捨ててしまうとは、いったい何を考えていたのだろう。不要になったのなら、親しい友人や身の回りの世話をしてくれるメイドさんにあげてもよさそうなものだが……。彼女は度が過ぎたケチなのか。それとも他人に譲ってオークションにでも出されることを嫌がったのか。いったいどんな心境だったのだろう。
宋美齢の内心を思って、私は深く考え込んだ。
2人の「ドラゴン・レディ」
20世紀前半に、米国で「ドラゴン・レディ」と呼ばれた有名な中国人女性が2人いる。1人は、蒋介石夫人だった宋美齢。もう1人は、清朝時代の女帝の西太后だ。
「ドラゴン・レディ」とは、米国のスラングで、パワフルで狡猾、短気で傲慢で、神秘的なアジア人の女傑を表す言葉である。一説によれば、1934年、ミルトン・カニフが書いたアクション・アドベンチャー・コミックの『テリー&ザ・パイレーツ』に登場する悪役の女海賊を指す言葉だったが、そのイメージから、1930年代に宋美齢に対して使われるようになり、さらに時代を遡って清朝時代の西太后の代名詞にもなったとされる。
宋美齢は、蒋介石・国民政府総統のファーストレディとして、英語が話せない蒋介石のために外交交渉での通訳を務め、日中戦争のさなかに米国から多額の軍事支援を引き出すことに貢献した。そして、日本との直接対決に及び腰だった米国を日米開戦へ向かわせようと、その背中を強く押したのだった。
なぜ彼女にそんなことができたのか。彼女の絶大な影響力の源泉はどこにあったのか。また、そんな宋美齢の存在を、当時の日本はどのように受け止めていたのだろうか。
考えれば考えるほど、次々に疑問が湧いてきた。
そして、人生の終幕に際して、なぜ大切にしていたチャイナドレスを切り捨てたのか──。
それらの疑問に対する答えは、彼女の生涯を振り返ることで見えてくるに違いない。
【プロフィール】
譚 璐美氏(たん・ろみ/璐は王偏に「路」)
作家。東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。同大訪問教授などを務めたのち、日中近現代史にまつわるノンフィクション作品を多数発表。米国在住。主な著書に『中国共産党を作った13人』『阿片の中国史』『帝都東京を中国革命で歩く』『中国「国恥地図」の謎を解く』など。最新刊は『宋美齢秘録 「ドラゴン・レディ」蒋介石夫人の栄光と挫折』。
06/05 12:13
NEWSポストセブン