《抗日作品に出演する日本人女優の告白》反日デモ巻き起こる中「尖閣を返せ!」「南京大虐殺を知っているのか!」と怒鳴られ、涙が溢れ出た

中国ドラマの抗日作品に多数出演していた井上朋子さん

 米中関係の緊迫化とともに、冷え込んでいく日中関係。そんななか、両国のはざまで揺れ動く人生を送っていた日本人女優・井上朋子さん(44)。なぜ彼女は中国で「抗日作品」に出演し続けたのか。その中でどのような葛藤を抱いていたのか。知られざる「中国芸能界のリアル」とともに本人が振り返る。【前後編の後編。前編から読む】

【写真】『日本人=極悪』という図式で改編され、最後は死ぬ役が多かった井上さん。反日デモ禍撮影中に起こった悲劇とは

 乾いた銃声が鳴り響くと血しぶきが飛び散った。数々の悪事を働いてきた日本人の女スパイは断末魔の声を上げながら絶命する──。抗日ドラマのなかで井上さんが最も多く演じたのが日本人女スパイ役だった。

「抗日ドラマでの私の役は、ほとんどが悪役です。日本人は最後、死ななければいけないというようなシナリオになっているんですね。勧善微悪ドラマという意味では日本の時代劇と共通していますが、抗日ドラマでは日本人が悪で、最後は必ず滅びる。私の役は、ほぼ最後死ぬものが多かったですね。

 私は演じることで精いっぱいで。いかにうまく死ねるか、ということを常に考えていました。日本人女スパイの正体がバレて、最後はピストルで撃たれる。お腹に血のりを仕込んでおいて、それを爆発させるわけです。爆発すると衣装も破れちゃうから、もう絶対一発で決めないといけないというプレッシャーがありました。やり直しがきかないから、監督からも『絶対変な死に方しないで』と言われる。

 私の敵役のポジションは、ドラマで女優の三番手くらいのイメージでしょうか。下っ端の日本人役もあるのですが、だいたい中国人の俳優さんが演じます。一方、中国で活動している日本人女優はほぼいなかったので、私は抗日作品の中ではいいポジションをいただけました。

 ドラマに出るたびにギャラは上がっていきましたね。中国のドラマはだいたい30~40話で構成されています。それを3~4か月で一気に撮影するのです。最初のうちは10万元くらいだったギャラが、私の場合は全話で40万元という水準まで上がっていきました。

 事務所制作であれば30%、外部制作のドラマであれば10%が事務所の取り分となります。残りの28万~36万元が私のギャラです。30万元は日本円にして600万円くらい。税金を引かれた手取りで600万円なので、中国ドラマのギャラは良かったと思います。これまでテレビドラマには15本、2時間ドラマは3本、映画2本に出演しました。

 所属していた事務所の作品だけではなく、他社が制作する2時間ドラマにもたくさん出ました。でも中国にはずるい助監督がいっぱいいて、『二重契約をしよう』とよく持ち掛けられました。例えば60万元で契約書を作るから、20万元を自分のところにバックしろ、と言うんです。日本で言うところのキックバックですが、私は断わっていました。

 とはいえ、中国人は情に深い人が多く、親しくなってくれた方々はみな家族のように接してくれた。ところが、国の雰囲気が一変し、私の運命が大きく変わるような出来事が国家間で起きたのです」(井上さん。以下同)

苗字を消された

 2012年9月11日、民主党の野田佳彦政権が尖閣諸島を20億5000万円で購入し、国有化した。尖閣諸島を中国領土だとするナショナリズム意識から、中国各都市では大規模な反日デモ活動が巻き起こったのだ。同年、習近平政権が発足し、日中間は緊迫の度合いを増していくことになる。

「2012年後半、私は抗日ドラマ『砂漠のオオカミ』の撮影に臨んでいました。私が演じたのは日本人の女スパイで、悪の首領という役どころ。今までのドラマの中でも一番の大役でした。でも、寧夏回族自治区・銀川での撮影は私にとってはとても苦しい日々でした。

 中国のドラマは政府の国家新聞出版広電総局による検閲を受けます。抗日ドラマは勧善懲悪のストーリーですが、現場では監督が『日本人も人間であり、葛藤もする』というストーリーで撮影をすることも多い。ただの悪役じゃない描き方をするのです。しかし、当局によって最終的には『日本人=極悪』という図式で改編されてしまう。

 習近平政権になってからは、さらに当局の締め付けが厳しくなり、そもそも日本人俳優の起用が駄目だと言われるようになった。これまでのドラマでは『井上朋子』として出ていたのに、『砂漠のオオカミ』では『朋子』という名前でキャスティングされました。たまたま朋子という名前が中国風に見えるので、中国人俳優かのような体裁で当局の検閲を通したのです。

 反日デモが吹き荒れるなか、中国人の悪感情はこれまでになく高まっていました。映画スタッフからも『尖閣を返せ!』『お前は、南京大虐殺を知っているのか!』と罵声を浴びせられました。これまではそんなことを言われても『じゃあ絶対に日本に旅行に行くなよ!』とか『日本の電化製品買うなよ!』と強気に言い返してたのですが、このときはさすがに精神的に追い詰められてしまった。

 あるとき音声スタッフに、『いま戦争起こったらアナタどうすんの? こんな中国の田舎に日本人一人でさ』と言われて。皆がそれを聞いて笑ったのです。私はスタッフの言葉がよく聞き取れなかったのですが、皆に笑い物にされた瞬間に涙が溢れてきて。大泣きしてしまいました。色々溜まっていたものが堪えきれなくなってしまったんだと思います。

 悪役が泣き顔になって、監督も困ったのだと思います。『このカメラもSONY製だからさ』と慰めてくれて。以後、撮影中は尖閣諸島の話は禁止にしてくれました。『砂漠のオオカミ』で初めて大きな役を得たことで、次は女優として主演作品に出たいという気持ちが強くなった一方で、日本人俳優に対する規制もあり、今後自分はどうなってしまうんだろう、という不安が生まれていきました」

赤いパンツのプロデューサーとの騒動

 そんななかで、ある“事件”が起きる。

「それまでも監督やプロデューサーから枕営業の誘いは山ほどあったのですが、応じることはしませんでした。あるときはドライブ中に枕営業を持ち掛けられ、キッパリ断わったら誰も来ないような真っ暗な雪道に捨てられたこともありました。でも、このときだけは自分の中に余裕がなかったのかもしれません。

 撮影が終わり、北京で『砂漠のオオカミ』のプロデューサーと食事をしていたときのことです。プロデューサーから『君が僕のホテルに来てくれたら、次はもっといいポジションでキャスティングするからね』と囁かれたのです。このプロデューサーは『砂漠のオオカミ』の撮影のときも、4人の親密な女優を連れてきていて、みな同じホテルの部屋に泊まらせていました。つまり、このプロデューサーには絶大なキャスティング権があることは明らかでした。

 私が呼ばれたのは北京のある高級ホテルでした。かなり迷いましたが、中国芸能界で生きていくためには必要だと自分に言い聞かせて、覚悟を決めました。プロデューサーが投宿する高層階に向かうと、彼は大きなリビングルームとベッドルームがあるラグジュアリーな部屋でくつろいでいました。

 プロデューサーは『よく来たね』と、私に笑顔を向けてきましたが、いざその場面になると心が揺らぎ、『少し、トイレに行かせてください』と言ってトイレで悶々としていました。もう一回決意を固めてリビングに戻ると、プロデューサーは裸にパンツ姿で、ワイングラスを片手に赤ワインを飲んでいたのです。しかも金の鈴のついた赤いパンツを穿いているのです。

 中国では年男は1年を通じて赤パンツで過ごすという風習があるのですが、彼は年男だったようでした。プロデューサーの赤パンツを見た瞬間に、ハッと我に返り、『やっぱり無理です!!!』と叫んで部屋から猛ダッシュで逃げ出しました。

 幸いプロデューサーは裸だったので、部屋の外までは追いかけられず、難を逃れることができました。この赤パンツのプロデューサーは、その後数々の不正がバレ、業界からいなくなってしまいました。枕営業をしたからといって必ず仕事がもらえるわけでもないし、一時の気の迷いで変なことをしないで本当に良かったと思います(笑)」

 井上さんは2013年に中国人の俳優仲間と結婚、その後息子と娘を出産した。連日ドラマ撮影をしていた生活から、少しペースを落とした女優活動へとシフトをしていく。中国では2014年、2018年にそれぞれ1作品ずつ出演して以降は、抗日ドラマとも距離を置くようになる。

「私が女優業をスタートした頃の中国は、高度成長期で胡錦涛政権も開放政策をとっていた。牧歌的な大らかな時代でした。中国の芸能界では日本人というだけで目立つので、色々な方と知り合うことができました。ジャッキー・チェンやホアン・ボーさんといった有名俳優の方とも親しくさせてもらいました。

 2014年にジャッキーの息子であるジェイシー・チャンが麻薬を使用した疑いなどで逮捕されたことがありました。するとその直後、捕まっているはずのジェイシーから、私の携帯に着信があったのです。ちょうど飛行機に乗っていて電話に出られなかったのですが、後で聞くと、警察が捜査のためにジェイシーの携帯に登録されていた番号に片っ端からかけていたと知って青くなったこともあります。

 そもそも私が抗日作品に出るようになったのは、とにかく中国で著名な女優になりたいという思いからでした。先ほどもお話したように、中国で活動している日本人女優がまだほとんどいなかったので、どんどん色々な役をもらえるようになり、『抗日作品』が一体どういうものかを深く考える暇もなく、とにかく役を演じることで精一杯でした。

 でも、いま少し距離を置くようになって、抗日ドラマの意味や、ナショナリズムを扇動するような作品に出続けることに、私自身疑問を感じるようになりました。日中関係についてもよく考えるようになりました。幸い女優業をしているなかで、中国経済人、文化人とも人脈を築くことができたので、これからは中国でのドラマの仕事だけではなく、日本でも仕事をしていきたいと考えるようになりました。

 今は生活の軸足は中国に置いていますが、時々日本に帰ってくる2拠点生活を送っています。今後は日中の架け橋になれるようなことをしていきたいですね。日中関係が難しい時代だからこそ、今までの私の経験を活かした何かができると信じています」

【了。前編から読む】

◆取材・文/赤石晋一郎(ジャーナリスト)

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