ナチスオカルティズムの根本はヒトラーでなく「ロンギヌスの槍」の力を信じたヒムラー
ハリウッド映画などで敵役とされることが多いのがナチス・ドイツ。親衛隊SSのトップであるハインリヒ・ヒムラーは、十字架上のイエスの脇腹を貫いていたとされる「ロンギヌスの槍」を所持していた。ハインリヒ・ヒムラーとナチス・ドイツにつきまとうオカルト色ついて歴史作家・島崎晋氏が解説する。
※本記事は、島崎 晋:著『呪術の世界史 -神秘の古代から驚愕の現代-』(ワニブックス)より一部を抜粋編集したものです。
ナチス・ドイツにつきまとうオカルト
アメリカの映画『インディー・ジョーンズ』シリーズでは、ナチス・ドイツが悪役として登場することが多い。1981年制作の『レイダース / 失われたアーク《聖櫃()》』がそうなら、1989年制作の『インディ・ジョーンズ / 最後の聖戦』もそう。
前者で争奪の対象となったのは、「モーセの十戒」の石板の入れ物とされたアーク(聖櫃)で、後者のそれはイエスが最後の晩餐で使用、あるいはイエスの血を受け止めたとされる聖杯だった。アークは巨大なエネルギーの源、聖杯はどんな願いも叶えてくれるアイテムというので、狙われたのである。
この2つの作品はもちろんフィクションだが、ナチス・ドイツにオカルト的傾向があったのは動かし難い事実だった。ただし、意外にもアドルフ・ヒトラーは神秘主義ではあってもオカルティストではなく、ナチス・ドイツにつきまとうオカルト色は、ひとえに親衛隊SSのトップであるハインリヒ・ヒムラー個人の嗜好に拠っていた。
ヒムラーは占星術にはまり、中世の黒魔術や魔女の研究にも情熱を傾けた。1938年にはアイスランドへ遺跡調査隊を派遣して、聖杯の探索をも行なわせていた。
遺跡調査隊の派遣先はアイスランドに限らず、インド・ヨーロッパ語族が足跡を残したところ全てにおよんだが、それを担ったのは親衛隊の下部組織の一つ「アーネンエルベ研究所」だった。「アーネンエルベ」とは「先史遺産」を意味する言葉である。
ここで言う「先史」とは、キリスト教の受容以前を指す言葉で、ヒムラーによれば、ゲルマン人は生物学的にも歴史的にも非凡な存在でありながら、キリスト教を受け入れたことにより堕落した。ゲルマン人本来の姿に立ち返るには、祖先の輝かしき歴史を掘り返す必要がある。
このような大前提があるため、アーネンエルベ研究所で行なわれるのは「目的のための学問」であって、客観的な史実の探求ではなかった。
ヒムラーは親衛隊をナチスのエリート集団に仕立て上げるため、当時のゲルマン神話学や民俗学の分野で盛んに取り沙汰されていた男性結社論に着目した。
なかでも最も影響力を発揮したのは、ナチス・ドイツと密接な関係にあったオットー・へフラーの『ゲルマン人の祭祀秘密結社』で、おそらく同書の内容はタキトゥスの『ゲルマニア』にある以下の記述を発想の原点とした。
彼らは、公事と私事とを問わず、なにごとも、武装してでなければ行なわない。しかし武器を帯びることは、その部族(市民)団体が資格があると認めるまでは、一般に何びとにも許されない習いである。それが認められたとき、同じかの会議において、長老のうちのあるもの、あるいはその青年の父、または近縁のものが、楯とフラメアとをもって青年を飾る。これが彼らの間におけるトガであり、青年に与えられる最初の名誉である。『ゲルマーニア』(泉井久之助訳注、岩波文庫)
ここにある「フラメア」とは、細く短い鉄の刃を付けた手槍、トガは身分ある成年男子の公式の寛衣を指し、古代ゲルマン人の民会では発言が意に適ったときは、フラメアを打ち鳴らすのが習わしで、武器をもって称賛することが、最も名誉ある賛成の仕方だったという。
タキトゥスの『ゲルマニア』からは、男性結社が実在したかどうか確認できないが、オットー・へフラーの『ゲルマン人の祭祀秘密結社』では、その存在と意義が強調された。ヒムラーはこれに感化され、親衛隊の新入隊員に短剣を授与し、親衛隊のシンボルとして髑髏マーク、指輪、黒い制服などを採用したと考えられる。
輪廻転生を本気で信じていたヒムラー
ヒムラーは中世の騎士団と、それを率いたザクセン朝の初代東フランク王ハインリヒ1世(在位919~936)にも強い憧れを抱き、自身をハインリヒの生まれ変わりとした。
ヴェーベルスブルクという古城が、ハインリヒがマジャール人を撃破した際の拠点であると知ると、100年契約で借り受け、親衛隊の事務局を設置するが、それだけでは飽き足らず、儀礼用の部屋にはアーサー王と円卓の騎士の故事に因んで、幹部12人と自分用の席を設け、部屋の名も「騎士の間」とするなど、完全に趣味の世界に浸っていた。
ヒムラーは輪()廻()転()生()を本気で信じていたらしく、ハインリヒの霊廟があるザクセン・アンハルト州のクヴェードリンブルクをたびたび訪れては、過去の自分と信じるハインリヒとの交信を試みたとも伝えられ、ハインリヒの没後千年にあたる1936年には、クヴェードリンブルクをドイツ帝国発祥の地ともしていた。
名前が同じ歴史上の英雄とはいえ、さすがにここまでくると、単純な思い入れにしては度が過ぎている。何か他にも理由がありそうだ。
あるとしたら、それは聖遺物との関係かもしれない。ハインリヒは十字架上のイエスの脇腹を貫いていたとされる「ロンギヌスの槍」を所持していた。聖遺物の力はウイルスのように伝染すると考えられたから、ハインリヒも奇跡を起こせる身であったことになる。これであれば、ヒムラーが強く思い入れをしたのも納得がいく。
ハインリヒの死後、ロンギヌスの槍は息子のオットー1世に受け継がれ、それ以降は長くニュルンベルクに保管されていたが、ナポレオン戦争中、ナポレオンに奪われることを恐れ、ウィーンのホーフブルク宮殿に移された。
それが1938年に再びナチス・ドイツの聖地と化したニュルンベルクに移された。誰の指図でそうなったか明らかでないが、状況証拠からすれば、ヒムラーである可能性が高い。古代ゲルマンだけでなく、キリスト教の奇跡の力をも利用したかったのだろう。
09/14 12:00
WANI BOOKS NewsCrunch