「IntelのPentiumプロセッサそっくりな柄の織物」に隠された半導体産業の歴史とは?


コンピューターの歴史研究や古いコンピューターの修復を行うケン・シャリフ氏が、美術館の展示で見かけた先住民族の織物がIntelのPentiumプロセッサの模様に似ていたことをきっかけに、アメリカにおける半導体産業の歴史の一幕を紹介しています。
The Pentium as a Navajo weaving
https://www.righto.com/2024/08/pentium-navajo-fairchild-shiprock.html
カナダ国立美術館を訪れたシャリフ氏は、展示されていたニューメキシコ州の先住民族・ナバホ族の織物に既視感を覚え、その模様がIntelのPentiumプロセッサのパターンに酷似していることに気付きました。以下がその織物「Replica of a Chip」で、1994年にナバホ族の織工であるマリルー・シュルツ氏が、Intelからアメリカインディアン科学技術協会(AISES)への寄贈品として製作を請け負ったものです。


そして、「P54C」というコードネームで開発されたPentiumプロセッサ(右)の写真が以下。


シュルツ氏の織物とPentiumプロセッサのダイ(右)を見比べると、織物の柄がPentiumプロセッサのパターンをかなり忠実に再現していることがわかります。ただし、このダイの画像はシャリフ氏によって左右反転の加工がされているとのこと。これは、美術館が作品を展示する際に表裏を逆に展示してしまっていたためだそうです。


織物上でPentiumプロセッサの各領域を示した画像が以下。


そもそもなぜIntelがPentiumプロセッサのパターンをナバホ族の織物にしたのかについては、1960年代まで遡ります。
かつてアメリカに存在した半導体企業・Fairchild Semiconductorは、ベル研究所の元研究員でトランジスタの発明者として知られるウィリアム・ショックレーが設立した「ショックレー半導体研究所」の元従業員8人が設立した企業です。この8人の中には、後にIntelを設立するゴードン・ムーアとロバート・ノイスが含まれています。ノイスは1959年に集積回路を発明し、Fairchild Semiconductorはすぐにトップクラスの半導体メーカーとなり、シリコンバレーの基盤を築きました。
1965年、Fairchild Semiconductorは、ニューメキシコ州のシップロックに工場を建設し、半導体の生産を開始しました。
Fairchild Semiconductorがシップロックに工場を建設したのは、当時抑圧されていた少数民族であるナバホ族の経済状況を改善するための試みの1つだったとのこと。当時のナバホ族の部族長だったレイモンド・ナカイは、「産業化こそが部族が生き残るための唯一の答えだ」と考え、ナバホ族の地であるシップロックへの工場建設を認めました。シップロックの工場では約1200人の労働者が雇用されており、その9割以上がナバホ族だったそうです。
この時、工場で生産されていたチップのパターンとナバホ族の織物を並べた写真が、(PDFファイル)パンフレットで紹介されています。このパンフレットは、ナバホ族とFairchild Semiconductorの交流を示すものでした。当時、科学雑誌のナショナルジオグラフィックはこの織物を「宇宙時代に向けた織物」として取り上げ、シップロック工場がナバホ族にとって最も成功した経済プロジェクトだと紹介しています。


また、工場設立から3年後の1968年に、ムーアとノイスがFairchild Semiconductorを退職し、Intelを設立しています。
1970年代に入ってオイルショックによる景気後退の影響を受けて、Fairchild Semiconductorの経営状況は急激に悪化。1973年から1975年にかけて、Fairchild Semiconductorは8000人以上の従業員を解雇し、その中にはシップロック工場のナバホ族の人々も含まれていました。
その結果、ライフルで武装したナバホ族の過激派がシップロック工場を占拠し、従業員の再雇用をFairchild Semiconductorに要求する事件が勃発。その後、両者は和解に至りましたが、Fairchild Semiconductorはシップロック工場を閉鎖し、生産基盤を東南アジアに移しました。当時、Fairchild Semiconductorのゼネラルマネージャーだったチャールズ・スポーク氏は「シップロック工場は決してうまくいっておらず、ナバホ族の社会構造をめちゃくちゃにしました。女性は金を稼ぎ、男たちがその金で飲んでいました。私たちはナバホ族に非常に大きな悪影響を及ぼしました」と語っています。


その後、1980年にIntelが、シップロックから300kmほど離れたニューメキシコ州アルバカーキ市郊外に、大型のチップ製造工場を建設しました。この工場は当時Intelが所有する施設の中では最大級で、Intelの売上の70%を支えたといわれています。そして、この工場でPentiumおよびPentium Proチップが製造されました。つまり、IntelのPentiumチップを模した織物が作られたのは単なるひらめきではなく、1960年代から続く「半導体産業とナバホ族の関係」が下地になっていたというわけです。
なお、シュルツ氏は2008年にも「Untitled (Unknown Chip)」という題名の織物を発表していますが、この織物は AMD K6-IIIの回路パターンを再現しているとのこと。また、記事作成時点では、かつて存在したFairchild Semiconductorのシップロック工場で生産されていた9040チップを再現する織物を製作中だそうです。

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