経済社会秩序を守る「経済安全保障」政策の展開は、なぜ政府にとって困難を伴うのか?

Maksim Safaniuk/Shutterstock.com

 近年、新聞やニュースでも多く取り上げられるようになった「経済安全保障」。グローバル化する「経済」は、国家の安全保障という文脈にどのように関連するのだろうか。本連載では『経済安全保障とは何か』(国際文化会館地経学研究所編/東洋経済新報社)から、内容の一部を抜粋・再編集。米中・日米・日中関係をはじめ、デジタル・サイバー、エネルギー、健康・医療、生産・技術基盤の領域において、これからの日本はどのような国家戦略をとるべきなのか、各分野の第一人者が分析・提言する。

 第2回は、「軍事」や「外交」といった伝統的安全保障とは大きく異なり、政府主体では展開が困難とされる経済安全保障の特徴について解説する。

<連載ラインアップ>
第1回 日本が経済安全保障戦略で「黒字国」から「赤字国」に転落した3つの構造的理由
■第2回 経済社会秩序を守る「経済安全保障」政策の展開は、なぜ政府にとって困難を伴うのか?(本稿)
■第3回 「中国は戦略的競争の相手国」米国が対中強硬路線を鮮明にした経済安全保障上の理由とは?(9月30日公開)
■第4回 コロナ禍やウクライナ侵攻で浮き彫りとなった、サイバー空間における経済安全保障の課題とは?(10月7日公開)
■第5回 国家安全保障の要と言えるエネルギー産業、日本の供給体制はなぜ脆弱なのか(10月21日公開)
■第6回 英国はなぜ国家間のコロナワクチン争奪戦に勝利し、世界初の接種を実現できたのか(10月28日公開)

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日本における経済安全保障の概念

経済安全保障とは何か』(東洋経済新報社)

 日本において、「経済安全保障」という言葉が一般的に議論されるようになったのは、甘利明自民党税制調査会長(当時)が中心となって進めてきた自民党の新国際秩序創造戦略本部が、2020年12月に「経済安全保障戦略策定」に向けた提言を発表し、それに基づいて2021年5月に「経済財政運営と改革の基本方針2021」に向けた提言を明らかにしてからであろう。

 自民党の提言では、経済安全保障は「我が国の独立と生存及び繁栄を経済面から確保すること」と定義され、その手段として「戦略的自律性の確保」、すなわち日本の社会経済活動の維持に重要な基盤を強化し、他国に過度に依存しない状態を作ることと、「戦略的不可欠性の維持・強化・獲得」、すなわち日本の存在が国際社会にとって不可欠である分野を拡大していく、という2つの方針が示されている。

 また、その方針を実現していくため、「戦略基盤産業」の脆弱性を把握・分析し、必要な措置をとって戦略的自律性を確保し、戦略的不可欠性を強化するとしている。また、この「戦略基盤産業」には、エネルギー、情報通信、交通・運輸、医療、金融の5つの分野が設定され、それぞれのリスク分析と脆弱性対策が論じられている。

 2022年12月に閣議決定された、国家安全保障戦略において、日本の安全保障上の課題として「サプライチェーンの脆弱性、重要インフラへの脅威の増大、先端技術をめぐる主導権争い等、従来必ずしも安全保障の対象と認識されていなかった課題」が挙げられ、こうした課題において「一部の国家が鉱物資源、食料、産業・医療用の物資等の輸出制限、他国の債務持続性を無視した形での借款の供与等を行うことで、他国に経済的な威圧を加え、自国の勢力拡大を図っている」ことが脅威となっていることが明示されている。

 そうした脅威に対して、日本政府はすでに2022年5月に経済安全保障推進法を成立させ、さまざまな法的措置をとってきているが、それらの措置が改めて国家安全保障戦略でも紹介されている。

 第1にサプライチェーンの強靭化である。これは特定の国家に過度に依存することを避け、戦略物資の供給を安定させるために調達を多元化することを意味する。特に新興技術分野において技術的優位性を維持するためにも半導体の開発生産拠点の整備を行うことや、レアアース等の重要な物資の安定供給を目指すとされている。

 それを実現するための手段として、国内生産を強化する民間企業の資本強化を支援すべく政策金融を活用するなどといった支援制度が整備されることになっている。

 この重要物資には11分野の品目が指定されており、抗菌性物質製剤、肥料、半導体、蓄電池、永久磁石、重要鉱物、工作機械・産業用ロボット、航空機の部品、クラウドプログラム、天然ガス、船舶の部品となっている。ただ、抗菌性物質製剤ひとつとってみても、原材料を100%海外に依存しているβラクタム系抗菌薬などが特筆されているだけで、具体的な物資の絞り込みはこれからと見られている(2024年1月に先端電子部品が加わり、12分野となった)。

 第2に、重要インフラの防護である。人命に関わる重要なインフラによって提供されるサービスが継続されることは経済秩序、社会秩序が安定するためには不可欠である。他国からの妨害によって経済社会秩序が乱され、人々の生命財産に関わる問題になるようであれば、それは安全保障上の問題である。

 すでにサイバーセキュリティの分野では、国家の基幹的なインフラであるネットワークの防護などが議論されてきたが、それをサイバーに限らずさまざまな基幹インフラに展開したのが、重要インフラの防護である。経済安全保障推進法では電気、ガス、石油、水道、鉄道、貨物自動車運送、外航貨物、航空、空港、電気通信、放送、郵便、金融、クレジットカードの14分野を重要インフラとして指定し、これらの中でも人命に関わるような重要基幹設備の建設、整備において、それを運用する事業者への委託や、それらの設備に必要な部品などの調達に関する計画書を提出し、政府が審査することとなっている。

 こうすることで信頼できないベンダーやオペレーターを排除し、重要インフラが乗っ取られる等の攻撃を受けるリスクを減らすことが目的とされている。

 第3に、データや情報の保護が重要な課題となっている。これまでも特定機密保護法のように防衛安全保障に関わる重要機密に関してはデータや情報の保護が定められてきたが、現代においては、安全保障に関わる技術が軍民両用性を増しており、特にAIや量子コンピュータ、ロボティクスといった分野は民間企業を中心に技術開発が進められている。

 これらの、いわゆる「新興技術」は軍事的な能力向上にも応用される可能性が高く、新興技術における技術的優位性を維持することが安全保障上重要となっている。しかし、民間企業には特定機密保護法のような機密保護の仕組みはなく、さらに、外国への輸出や生産拠点の移転に伴って、技術流出が起こる可能性がある。

 さらに、新興技術の研究開発に携わる人材が他国に引き抜かれる等の技術移転も考えられる。そのため、重要技術に関する機微な情報をどのようにして保護するかは、経済の問題でもあり、安全保障の問題でもある。

 現在、日本においてはセキュリティ・クリアランス制度の導入が検討されているが、セキュリティ・クリアランスの制度はあくまでも政府の機密に関わる情報へのアクセスを管理するものであり、民間企業が持つ技術を管理するものではない(2024年5月にセキュリティ・クリアランス制度を法的に定める重要経済安保情報の保護及び活用に関する法律が成立した)。

 こうした経済安全保障の文脈において、日本がセキュリティ・クリアランスの制度を持たないがゆえに外国との防衛装備の共同開発といった、安全保障上不可欠な技術や装備を開発・調達することが困難になっている、という側面もあるため、制度の導入が急がれている。

経済安全保障は「安全保障」なのか

 国家安全保障戦略で明らかにされた、日本における経済安全保障の考え方を、安全保障の定義である「誰が(主体)」「何から(脅威)」「何を(価値)」「何によって(手段)」守るか、に照らしてみてみると、日本において経済安全保障は、政府が(主体)、経済的威圧から(脅威)、経済社会秩序を(価値)、サプライチェーンの強靭化や重要インフラの防護によって(手段)守るということを意味している。

 こうした点から考えると、日本の経済安全保障は、まさに伝統的安全保障において軍事や外交が担っていた部分を、経済ないし経済的手段に置き換えた概念として構成されていることが分かる。

 しかし、伝統的安全保障と経済安全保障とでは大きく異なる点がある。それは、伝統的安全保障の主体は国家であるのに対し、経済安全保障の中心的な主体は国家であると同時に、企業だからである。軍事組織や外交団は政府の政策決定に従って行動するのに対し、企業は政府と異なる存在であり、政府の命令に服するわけではない。

 もちろん輸出管理のように、法律に基づいて企業の活動を制限したり、規制をかけたりすることは可能であり、その点では政府は企業に一定の行動を制約することは可能である。しかし、何らかの命令を下し、企業を特定の活動に向かわせることは不可能ではないが容易ではない。ゆえに政府は補助金や優遇税制といったインセンティブを与えて企業を一定の方向に向けて行動するように仕向けることになる。

 しかし、企業がそのとおりに行動するとは限らず、その点で政府は望むとおりに安全保障政策を展開することができない可能性がある。

 ここから言えることは2つある。第1に、政府が効果的に経済安全保障政策を実施しようとすれば、政府はその目的をはっきりさせ、企業が協力できやすいように、その政策手段を明確にすることである。これまで輸出管理においては、外国為替及び外国貿易法(外為法)に基づき、大量破壊兵器などの軍事転用可能な製品はどういったものかがはっきり示されていた。

 たとえばアルミニウムは一定のサイズの筒状で、引っ張り強度と言われる強度が高いものがウラン濃縮に使われる遠心分離機の材料となるため、輸出にあたっては政府の許可が必要であった。つまり、筒状以外の形状で、引っ張り強度が弱いものは許可を必要とせず、自由に輸出することができた。つまり、経済活動が安全保障に関わるかどうかは政府が判断し、その許可を必要とするものも法律に明示されていた。

 しかし、経済安全保障はすでに述べたように、サプライチェーンの強靭化であったり、重要インフラの防護といった、具体的に何をすることでサプライチェーンをリスクにさらすのか、重要インフラの危険性が増すのかを判断することは政府でも難しい。

 技術的な問題ではなく、誰から調達するのか、そこから調達することを止めた場合、他のところから調達することになると、その分コストが高くなる可能性が高いが、そのコストを誰が負担するのか、といった問題について、政府と企業は緊密にコミュニケーションをとる必要がある。政府が安全保障上重要だと考えれば、そのコストを一部負担する必要も出てくるであろう。

 第2に、安全保障の問題は、基本的に国家の問題であり、特定の領土、領域を防衛するためのものである。しかし、企業の活動はグローバルであり、グローバルに活動する企業はしばしば、当該国家以外の投資家に所有されている可能性もある。企業の経営者も多様な国籍を持ち、従業員も世界中に広がっている企業も多い。

 その際、企業が特定の国家に対して忠誠心を持つというわけでもなく、その安全保障に責任を持つわけでもない。つまり、経済社会秩序の安定を目指す国家の目的のために、その国家に必ずしも忠誠を誓うわけでも、アイデンティティを感じるわけでもない企業が、その国家のために行動するかどうかという点は、伝統的な安全保障と大きく異なる点である。

 伝統的な安全保障ではナショナリズムを基礎とする国籍に基づく軍事組織の編成を行い、場合によっては徴兵制という形で強制的にリクルートすることが可能であるが、企業に対してそれを行うことは難しい。

<連載ラインアップ>
第1回 日本が経済安全保障戦略で「黒字国」から「赤字国」に転落した3つの構造的理由
■第2回 経済社会秩序を守る「経済安全保障」政策の展開は、なぜ政府にとって困難を伴うのか?(本稿)
■第3回 「中国は戦略的競争の相手国」米国が対中強硬路線を鮮明にした経済安全保障上の理由とは?(9月30日公開)
■第4回 コロナ禍やウクライナ侵攻で浮き彫りとなった、サイバー空間における経済安全保障の課題とは?(10月7日公開)
■第5回 国家安全保障の要と言えるエネルギー産業、日本の供給体制はなぜ脆弱なのか(10月21日公開)
■第6回 英国はなぜ国家間のコロナワクチン争奪戦に勝利し、世界初の接種を実現できたのか(10月28日公開)

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