日本が経済安全保障戦略で「黒字国」から「赤字国」に転落した3つの構造的理由

写真提供:共同通信社

 近年、新聞やニュースでも多く取り上げられるようになった「経済安全保障」。グローバル化する「経済」は、国家の安全保障という文脈にどのように関連するのだろうか。本連載では『経済安全保障とは何か』(国際文化会館地経学研究所編/東洋経済新報社)から、内容の一部を抜粋・再編集。米中・日米・日中関係をはじめ、デジタル・サイバー、エネルギー、健康・医療、生産・技術基盤の領域において、これからの日本はどのような国家戦略をとるべきなのか、各分野の第一人者が分析・提言する。

 第1回は、典型的な「赤字国」と言われる日本の経済安全保障上の構造的問題点や、国家安全保障に経済力をリンクさせるために求められる姿勢について考える。

<連載ラインアップ>
■第1回 日本が経済安全保障戦略で「黒字国」から「赤字国」に転落した3つの構造的理由(本稿)
第2回 経済社会秩序を守る「経済安全保障」政策の展開は、なぜ政府にとって困難を伴うのか?
■第3回 「中国は戦略的競争の相手国」米国が対中強硬路線を鮮明にした経済安全保障上の理由とは?(9月30日公開)
■第4回 コロナ禍やウクライナ侵攻で浮き彫りとなった、サイバー空間における経済安全保障の課題とは?(10月7日公開)
■第5回 国家安全保障の要と言えるエネルギー産業、日本の供給体制はなぜ脆弱なのか(10月21日公開)
■第6回 英国はなぜ国家間のコロナワクチン争奪戦に勝利し、世界初の接種を実現できたのか(10月28日公開)

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日本の経済安全保障の3つの“赤字”構造

経済安全保障とは何か』(東洋経済新報社)

 日本は、欧米諸国とともに対ロ制裁国連合に加盟している。ロシアの大手7行の国際銀行間通信協会(SWIFT)からの排除、ロシアの中央銀行の外貨準備の海外運用分の凍結、ロシアに対する貿易面での最恵国待遇の停止、欧州へのLNG備蓄の緊急融通、ウクライナへの防弾チョッキの提供、ウクライナ避難民の受け入れ、などG7としての協調行動を実施している。

 しかし、経済制裁が長期化し、それも中国を巻き込んだ米欧日ブロックと中露ブロックの対立が先鋭化すれば、世界経済はかく乱され、経済安全のリスクが大きくなることは避けられない。安全保障を米国に頼り、輸出・投資を中国に頼る日本は厳しい状況に置かれる。

 一般に、一国の安全保障に関しては、“黒字国”と“赤字国”という概念が用いられることが多い――たとえば、米国は圧倒的な“黒字国”、ポーランドやウクライナは歴史的に“赤字国”というふうに――が、日本は典型的な“赤字国”、それも構造的な“赤字国”であることを忘れてはならない。

 その赤字として、①エネルギー・資源の海外依存度が高い、②サイバーセキュリティが弱い、③経済制裁・経済封鎖に弱い、の3つを挙げることができる。

 第1に、日本は、G7の中でも1次エネルギー自給率(2020年)が11%しかない(石油0%、ガス3%、石炭0%)。自給率が100%を超える米国とカナダは別としても、英国(75%)、フランス(55%)、ドイツ(35%)、イタリア(25%)と比べても際立って低い。

 なかでも石油は、政情不安定な中東の産油国からの輸入が多い。輸入原油がペルシャ湾のホルムズ海峡を抜けて輸送されるいわゆるホルムズ海峡依存度(2018年)で見ると、日本78%、韓国63%、インド61%、中国36%である。2019年6月、安倍晋三首相(当時)がイラン訪問中、何者かがホルムズ海峡を運航中の日本関連船籍のケミカル・タンカーを攻撃したことは記憶に新しい。

 1980年代のイラン・イラク戦争の際、イランが石油タンカーを攻撃した事例もある。日本はまた、レアアース、コバルト、マンガン、リチウム、ガリウム、インジウム、セレン、プラチナ、ウランなどほとんどの戦略的鉱物資源を海外に依存している。

 第2に、日本はデジタル革命に乗り遅れたことも関連し、サイバー戦、情報戦、認知戦の重要性と緊急性への認識が大幅に遅れた。インターネットを「民間任せ」にしたこともあり、「国家サイバー力(national cyber power)」の戦略と統治の構築になお乗り出せていない。National Cyber Security Index(NCSI)によると、日本は「サイバー脅威インテリジェンス」の脆弱性などもあって国家サイバーセキュリティのランキングで41位である。

 発電所、変電所、原子力発電所、石油コンビナート等の産業中枢、金融中枢、大規模ダム、高速鉄道、航空機、水道、大規模病院などの基幹インフラはますますサイバー・フィジカルとなっており、サイバー攻撃を受ければ、経済活動全体が麻痺する。

 5G時代のサイバーセキュリティはソフトウェア・サプライチェーン・セキュリティが重要になるが、日本はここが弱いとされている。サイバーセキュリティが弱い国はCBDC(中央銀行デジタル通貨)を発行することもできないだろう。

 第3に、島国であり資源小国である日本は経済制裁・経済封鎖に弱い。戦前の米政府の対日石油禁輸(1941年8月)はその典型的なケースである。日米開戦の時点において、日本は石油の全輸入の80%以上をなお米国から輸入していた。「石油(禁輸)は関係悪化の唯一の原因ではなかったが、それが外交武器として使われたとたん、それは敵対行動を不可避とした」とある研究者は記している。

 1973年10月のOAPEC/OPECの石油禁輸は、戦後の日本の高度成長を終わらせた。中曽根康弘通産相(当時)が言ったように、「坂の上の雲が消滅した」のである。そして、2010年9月の中国のレアアースの事実上の対日禁輸以降の2010年代、日本も世界も中国の「力の政治」、なかでもその経済的威圧に正面から晒されるようになった。

 経済制裁を侵略国に対する非軍事的対抗措置として正当化したのは国際連盟規約(第16条)とそれを受け継いだ国連憲章(第41条)だが、米国もEUも中国も経済制裁を外交政策に組み込んでいる。日本もいざというときには経済を抑止力として使えるだけの戦略的自律性と戦略的不可欠性、そして政府と企業との戦略的対話の体制を築くときである。

 しかし、「制裁主義」の虜にならないように注意すべきである。国際秩序とルールを守らせようとすればするほど経済制裁を発動し、それが秩序とルールを弱めてしまう「自由経済主義の罠」にはまらないようにする必要がある。そもそも日本は、資源の安定的な輸入とシーレーンの安全を脅かされやすい地経学的に「ひよわな花」(ズビグニュー・ブレジンスキー)であることを忘れてはならない。

「守る」「攻める」「育てる」

 日本政府は2022年の通常国会に経済安全保障推進法案を提出し、法案は成立した。法案は、「安全保障の確保に関する経済施策を総合的かつ効果的に推進する」ことを目的とし、「所要の制度を創設する」ことを眼目としている。

 具体的には、①サプライチェーンの強靭化、②基幹インフラの安全性・信頼性の確保、③先端的技術の官民協力、④特許出願の非公開制度、の4つの課題に効果的に取り組むため制度を創設するのが狙いだ。その際、「この法律の規定による規制措置は、経済活動に与える影響を考慮し、安全保障を確保するため合理的に必要と認められる限度において行わなければならない」と定めている。

 日本政府が、経済安全保障体制構築のための法制度を整備する取り組みに乗り出していることは評価できる。もっとも、今回の法整備は日本の経済安全保障を確立する上であくまで「第1歩」に過ぎない。法律では、経済安全保障を定義していない。日本の国家戦略と国家安全保障政策との関連も明確でない。経済安全保障担当大臣の使命と役割も極めて限定的である。

 政府が経済安全保障政策を対米、対中、対アジア外交、CPTPPなどの貿易・投資戦略、さらに、グリーン・エネルギー、デジタルデータなどのグローバル産業政策とどのような整合性を持って構築するのか。その政策の戦略的方向性をより明瞭に打ち出す必要がある。

 その際、国産と輸入代替、安全保障と企業収益・経済成長、イノベーションと格差、抑止力とレジリエンス、といったトレード・オフと費用対効果を十分に考慮した政策を打ち立てなければならない。そこでの取り組みは、自由で、開かれ、持続的な国際秩序とルールに基づく多角的な枠組みを形成する国際主義と地政学・地経学の時代を生き抜くハードな現実主義をブレンドする営みとなるであろう。

 改めて、経済安全保障の“黒字”/“赤字”ということで言えば、日本は戦後、米国が主導し、構築した国際秩序とルールという大きな“黒字”を享受してきた。米国が内向きになり、ポピュリズムと分断の政治が広がり、中国が相互依存を武器化し、勢力圏を拡大するにつれてその“黒字”構造が“赤字”体質に変質しつつある。

 それをもう一度、“黒字”構造に作り替えることが日本の経済安全保障戦略には求められる。経済力を国際秩序とルール再構築のために戦略的に使うことを学ぶ必要がある。言い換えれば、「守る」だけでなく「攻める」ことが大切だということである。

 さらには、それを持続的に行うには日本の経済と産業の生産性と国際競争力の不断の向上、未来を実装するビジョンとイノベーション、そしてそのための人材と投資が不可欠である。「育てる」ということである。経済安全保障の最大の要諦は、「育てる」ことにほかならない。

<連載ラインアップ>
■第1回 日本が経済安全保障戦略で「黒字国」から「赤字国」に転落した3つの構造的理由(本稿)
第2回 経済社会秩序を守る「経済安全保障」政策の展開は、なぜ政府にとって困難を伴うのか?
■第3回 「中国は戦略的競争の相手国」米国が対中強硬路線を鮮明にした経済安全保障上の理由とは?(9月30日公開)
■第4回 コロナ禍やウクライナ侵攻で浮き彫りとなった、サイバー空間における経済安全保障の課題とは?(10月7日公開)
■第5回 国家安全保障の要と言えるエネルギー産業、日本の供給体制はなぜ脆弱なのか(10月21日公開)
■第6回 英国はなぜ国家間のコロナワクチン争奪戦に勝利し、世界初の接種を実現できたのか(10月28日公開)

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