理研の量子コンピュータ「叡」の革新が「日本半導体の未来」を照らす納得の理由

JSR前会長、経済同友会経済安全保障委員会委員長、ラピダス社外取締役 小柴満信氏(撮影:内藤洋司)

JSR前会長、経済同友会経済安全保障委員会委員長、ラピダス社外取締役  小柴満信氏(撮影:内藤洋司)

 先端半導体の国産化を目指す新会社ラピダス。同社が2027年の量産化を見据える「2ナノ半導体」について「量子コンピュータに欠かせない先端半導体」と語るのが、政府の経済安全保証の審議委員に加えてラピダス社外取締役を兼務する小柴満信氏だ。前編に続き、2024年7月に書籍『2040年 半導体の未来』(東洋経済新報社)を出版した同氏に、日本が2ナノ以降の先端半導体の開発に注力すべき理由、そして量子コンピュータに秘められた可能性について聞いた。(後編/全2回)

【前編】日本半導体に「千載一遇のチャンス」到来、ラピダスを批判する人が知っておくべき「技術の転換点」とは?
■【後編】理研の量子コンピュータ「叡」の革新が「日本半導体の未来」を照らす納得の理由(今回)

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スーパーコンピュータの計算速度を凌ぐ「量子コンピュータの実力」

──前編では、世界が半導体に注目する背景や、日本が半導体産業を復活させるべき理由について聞きました。著書『2040年 半導体の未来』では、半導体の未来を左右する次世代テクノロジーの一つに「量子」を挙げていますが、そこにはどのような理由があるのでしょうか。

小柴 満信/JSR前会長、経済同友会 経済安全保障委員会 委員長、ラピダス社外取締役

1981年、日本合成ゴム(現JSR)入社。1990年、半導体材料事業拠点設立のため米シリコンバレーに赴任。モトローラ、IBM、インテル等との関係を構築。2009年社長。2019年会長。2021年から2023年まで名誉会長。2019年から2023年まで経済同友会副代表幹事として国際関係・先端技術・経済安全保障を担当。2020年にCdots(シンクタンク)を設立し、先端技術、地政学、地経学に関する意見発信を行う。国内外のスタートアップ(Quantinuum、Fortaegis、Spiber、TBMなど)を支援中。2023年6月、ラピダス社外取締役に就任。

小柴満信氏(以下敬称略) 量子をコンピュータ処理に活用すると、これまでの科学では考えられないようなパフォーマンスをあげることができようになるためです。

 量子は極めて小さい粒子の総称で、原子や電子、原子核、陽子、中性子などを指します。原子というと「1億分の1㎝」と超ミクロの大きさですから、私たちが普段見ている世界で起こる物理法則とは全く異なる物理法則が働いています。そうした量子特有の物理法則を計算に用いることが量子コンピュータの特徴です。

 量子コンピュータを使えば、世界最高速のスーパーコンピュータで1万年かかる計算を、200秒の超高速で解くことができます。従来型のコンピュータではあらゆる情報を0と1で表しています。例えば「ハンドウタイ」の「ハ」は0と1を組み合わせた24ケタの数字で表現されます。しかし、量子コンピュータであれば0と1を同時に表せるため、24ケタを一発で表現することが可能になるのです。

 また、量子情報(自然界の状態)を量子状態(デジタル化せず、そのまま存在・保存されている状態)のまま扱って計算できるため、自然界のさまざまな謎の解明につながることも期待されています。

量子コンピュータが秘める「第3次産業革命の可能性」

──具体的には、どのような産業で量子コンピュータが活用されると思われますか。

小柴 量子コンピュータの社会実装は「エネルギー(動力源)」を大きく変えます。量子状態をコントロールできるようになれば、そこからエネルギーを取り出すことができるようになるためです。

 例えば、水素を使った核融合発電の実現が予想されています。核融合発電は、火力発電のように二酸化炭素を発生させることがありません。そして、風力発電や太陽光発電より安定して発電できます。加えて、燃料となる重水素は海水から採取できるため、バイオマス発電のような燃料不足の心配もありません。

「コミュニケーション(通信手段)」の分野も変わります。量子コンピュータや量子センサーが実現すれば、それらをネットワークでつないだ「量子インターネット」が実用化されるでしょう。量子インターネットによって、量子コンピュータ1台では解けない高度な問題を処理できるようになったり、わずかな地殻変動や遠くの星から来た微量の信号を捉えることができるようになったりすると期待されています。絶対に破られない、安全な暗号化技術の実現も可能、と言われています。

「物流(輸送手段)」も劇的に変化します。量子コンピュータを活用した構造シミュレーションを用いて、世界で使用されている原料の多くをバイオ素材に置き換えることができれば、各国は海外から足りない資源を運んでくる必要がなくなります。そうなると産油国を中心とした現在の物流の構図は大きく変わる可能性も出てきます。

 量子コンピュータが実現すれば、エネルギー、コミュニケーション、物流をはじめとする変革によって「第3次産業革命」が起こる可能性も出てきます。

 量子コンピュータは理論上、一瞬で答えを出せるので、消費電力を大きく抑えることもできるでしょう。スーパーコンピュータ「富岳」は、1台で一般家庭7万世帯以上に相当する電力を消費しますが、量子コンピュータは量子計算をするチップの部分のみの冷却で済むのと、アナログ的な計算方式のため電力消費を大幅に削減することができます。

 実際には、理研が国産初の量子コンピュータ「叡(えい)」と、理研のスパコン「富岳」を組み合わせて使い始めていますが、消費電力を圧倒的に抑えられることは検証済みです。量子コンピュータはカーボンニュートラルにも寄与する、大きなイノベーションになるのです。

日本は量子コンピュータを使う上で「優位な立場にいる」

──専門家の間では「量子コンピュータが実現するのは2040年」という声も聞かれますが、すでに量子コンピュータは稼働しているのですね。

小柴 2040年という時期は、理想的な量子コンピュータの「実用化のタイミング」を指しています。しかし、完全なコントロールが難しい開発途上の段階でも、エラーを訂正しながら「少しでも早く使い始めたい」と考えて動いている人たちがいます。

 先んじて量子コンピュータ使い始め、一定の成果が得られれば、相当なアドバンテージになるでしょう。2029年には非連続の転換点が訪れて、完璧とは言わないまでも量子コンピュータを産業利用し始めるようになるのではないか、と考えています。

──著書では、日本は量子コンピュータを使う上で「非常に優位な立場にいる」と述べています。これはなぜでしょうか。

小柴 現在、最先端の量子コンピュータが存在するのは、アメリカ以外では日本だけだからです。すでに神奈川県川崎市にある「新川崎・創造のもり」内の「かわさき新産業創造センター(KBIC)」にIBM製の量子コンピュータが1台あり、理研にもKBICにあるものよりも進化した2台が導入される計画です。その一つがアメリカの量子コンピューティング企業であるクオンティニュアムの量子コンピュータで現在、理研で設置作業が進んでいます。

 その上、世界のスーパーコンピュータ性能ランキング4位(2023年11月)に入っている「富岳」が日本にあります。1~3位は全てアメリカのスーパーコンピュータですが、日本は世界的にもリードしているのです。そして、富岳と量子コンピュータをつなぐハイブリッドコンピューティングの試みにも、大きな期待が寄せられています。

 量子コンピュータに関して言えば「日本はアメリカと同等レベルの開発環境が整っている」と言っても過言ではありません。日本政府もコンピューテーション(計算基盤)が国際競争力につながることを認識して、支援を始めています。

 量子コンピュータを使える人材は、世界中を見てもごくわずかです。量子コンピュータを国内に根づかせる意味でも、「量子人材」を育てる意味でも、日本はいま非常に優位な立場にいることを生かさない手はありません。

 これらのことを踏まえて、今後のラピダスの展開を見てほしいと思います。2ナノ以降の半導体が量子・古典ハイブリッドコンピュータの原材料になる以上、その量産化を目指すことは必要不可欠です。そして、これからの時代で重要なことは、コンピューテーションを活用して日本の経済を成長させること、そして日本の安全保障を盤石にすることなのです。このように考えれば、ラピダスの設立や2ナノ半導体の製造は目的ではなく、日本の経済成長の手段でしかありません。

大切なことは「ラピダスによって何を成し遂げるか」

──今後、私たちは半導体業界に訪れる変化の波を、どのような視点で見ていくべきでしょうか。

小柴 いま、いろいろな意味で「歴史の長期循環の転換点」を迎えていることは間違いないと思います。コンピューテーションに関しても大きな変化が生じており、これまでの進歩を上回る非連続の転換点が遠からず来ると予想されます。そうした中だからこそ、資源や軍事力が限られる日本は、経済やテクノロジーの面で他国に勝らなければなりません。

 米国大型株の動向を表す株価指数である「S&P500」(2022年12月22日~2023年5月23日)と日経平均を比較すると、そのパフォーマンスの違いは米国のマグニフィセント・セブン(メタ、アマゾン、アップル、マイクロソフト、グーグル、テスラ、エヌビディア)の有無です。

 いずれもAI関連企業であり、コンピューテーションを最大限に活用している企業ばかりなのです。ですから、日本は他国に先んじていち早く次世代計算基盤を確立して、マグニフィセント・セブンに伍する企業を育てていく必要があるのです。

 このような企業があるからこそ、アメリカの経済は今も勢いがあります。企業の競争力を高め、経済を牽引(けんいん)するのがコンピューテーションであり、その実現のために不可欠なのが2ナノ以降の先端半導体です。ラピダスはそのためのサプライチェーンの重要な要素として存在すると言っても過言ではないでしょう。

 ラピダスに対するさまざまな批判があることは承知しています。しかし、あるべき社会像や経済の全体像から半導体の役割を見てほしいと願っています。コンピューテーションを使いこなす社会や経済が実現すれば、Society5.0やDX(デジタルトランスフォーメーション)、GX(グリーントランスフォーメーション)も実現するでしょう。

 ラピダスそのものではなく「ラピダスによって何を成し遂げようとしているのか」という観点から、半導体に対する認識をアップデートすることが必要だと考えています。

【前編】日本半導体に「千載一遇のチャンス」到来、ラピダスを批判する人が知っておくべき「技術の転換点」とは?
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