「2ナノ半導体」量産挑むラピダスの地政学的優位

半導体

「工場だけ建てたところで、そう簡単につくれるはずがない」。2ナノ半導体の量産は「無理筋」か?(写真:naka/PIXTA)
北海道千歳市で建設中のラピダスの新工場が、いよいよ秋に竣工を迎える。
周辺地域の経済活性化や雇用創出に期待が高まる一方、ラピダスが目指す2ナノ半導体の量産化は「非現実的」と見られる向きも強い。
現在、国内で製造できる半導体は40ナノ世代まで。なぜ、ラピダスは2ナノに挑むのか。
2023年まで経済同友会の副代表幹事を務め、ラピダス設立の一部始終を目の当たりにしてきた「半導体業界のキーマン」こと小柴満信氏は、著書『2040年 半導体の未来』の中で当時の様子をこう振り返る――。

日本の半導体は40ナノ止まり

半導体のテクノロジー・ノードは、10年前(2014〜2016年)には16/14ナノだったが、10ナノ、7ナノ、5ナノと微細化し、直近では3ナノになっている。3ナノを量産できているのは世界でTSMCしかない。

一方、日本の半導体で量産化に成功したのは40ナノ止まりである。ラピダスは、それを一気に超えて2ナノをめざすというのだから、批判派の矛先が集中したのも無理はない。

「いきなり2ナノを製造するなんて無理筋でしかない。段階を踏んで進めていくべきだ」

そんな声が、多くの元半導体技術者から上がった。

しかし、そもそもラピダスは次のような話から始まったのである。

2019年のこと、東京エレクトロンの社長を務めた東哲郎氏のもとに、IBM最高技術責任者のジョン・ケリー氏から1本の連絡が入る。

「テリー(註:東氏の愛称)。2ナノメートル世代の技術を提供したいんだが」

IBMはかつて、シェアこそ高くなかったものの、半導体を製造していた。ただ、同社のビジネスモデル転換とともに、2015年には半導体の製造機能をグローバルファウンドリーズに売却し、ファブレスに転じていた。

ところが、グローバルファウンドリーズはプレーナー構造からFinFET構造への転換に失敗し、微細化をやめてしまった。IBMはこれを不服とし、訴訟沙汰にまで発展した。

途中からIBMは、このまま裁判で争っても、グローバルファウンドリーズがファウンドリーとして世界の第一線に復帰する可能性は低いと考えたのだろう。しかも、IBM社内では、2ナノ半導体の開発に成功したところだった。そこで、新たなファウンドリー探しを始めた。

おそらくIBMの選択肢は最初はサムスンだったと思う。サムスンがロジック製造に参入できたのは2000年代からで、それはIBMと協業した成果だった。またTSMCもその候補であったのかもしれない。

ところが、両国とも地政学的に見て万が一のリスクを否定できない。台湾は中国による台湾有事のリスクがある。韓国も、地政学者の解釈によれば、中国や北朝鮮と地続きである点が懸念されるといわれる。

その点、日本は中国や北朝鮮と、日本海や東シナ海を隔てた位置にあり、台湾や韓国と比べて地政学的なリスクは比較的少ない。半導体装置や材料の分野でも、世界的なサプライヤーがいる。さらに日本のものづくりの力、量産技術は世界でも一定の評価がある。こうした点を検討した結果、IBMは日本に白羽の矢を立てたと考えられる。

その背景には、中国共産党に対する態度を硬化させる米国政府の思惑もあったかもしれない。

ケリー氏からの依頼を受けた東氏は、かつて日本初のファウンドリーをめざしたトレセンティテクノロジーズを立ち上げた小池淳義氏に相談した。IBMの2ナノのチップ開発技術という「教科書」はある。そのうえで2ナノ半導体の製造が本当に日本で可能なのかどうか、徹底的に検証した。

「できる」

そう結論づけた2人は、ラピダスの設立を決意した。

2ナノメートルの世界

IBMによると、2ナノは7ナノに比べてパフォーマンスが45%アップし、消費電力は75%減少するという。これは、携帯電話のバッテリー寿命が4倍に延びるほどのインパクトだ。

「2ナノの世界」ではどんな景色が見えているのだろうか。

まずは、自動運転の例でお話ししよう。

自動運転技術にはいくつかの方法がある。1つはLiDAR(Light Detection and Ranging)といわれるセンサーによる自動運転だ。車両の上部などに取りつけられ、光を使用したリモートセンシング技術によって、物体検知や物体までの距離を計測する。

LiDARはすでに自動車各社で実用化されておりご存じの方も多いだろう。ただ、センサー式は、整備された都市部の道路や高速道路であればいいが、たとえばインドやアフリカの地方部といった未整備の場所には向いていない。

やや余談になるが、最も難易度が高い自動運転は、戦車だといわれている。道なき道を進み、何が飛び出してくるか予測ができない中で、向かってくるものを瞬時に認識し、場合によっては攻撃しなければならないからだ。

インドやアフリカを走る自動運転車が戦車並みの水準を備えなければならないわけではないが、少なくともセンサー式では頼りない。

さて、もう1つは画像認識による自動運転で、これはコンピュータが人間と同じように〝目〞で見て自己判断するイメージである。ただ、その裏で、すさまじい量の演算が必要になる。

自動運転が現在のレベル4(限定地域内の自動運転や高速道路での完全自動運転など、特定条件下における完全自動運転)であれば、センサー式自動運転でも問題ない。その場合、5ナノや3ナノの半導体で対応できる。

しかし今後、レベル5(つねにシステムがすべての運転タスクを実施する完全自動運転)に移行すると、センサー式から画像式に移行すると考えられる。半導体も確実に2ナノ以降が必要になる。

ラピダスが公言している2ナノの量産開始時期は、2027年である。その2027年には、自動運転の実用化が現実になるとされている。

さらにこのころになると、EVの電池の半分以上は、電気系統や自動運転機能が食ってしまい、モーターの駆動に回す余力がなくなってしまうのではないかと懸念されている。消費電力を削減する意味でも、2ナノ以降の半導体搭載は必須条件になってくる。

台風の目にくさびを打ち込める?

「2ナノの世界」では、量子コンピュータが稼働を始める。量子コンピュータは、古典コンピュータと呼ばれる従来型コンピュータに比べて「1億倍速い」ともいわれる。これほどの超高速計算を実現するには、最低でも2ナノの半導体が欠かせない。

たとえば近年、大型の台風やハリケーンによる被害が世界各地で起きている。研究者の間では、台風が膨張していくどこかのタイミングで、台風の目に何かを「打ち込む」ことで、大型化を食い止められるのではないかと考えられている。架空の台風をリアルタイムにシミュレーションするためには、古典コンピュータの演算ではとても間に合わない。

また、慶応義塾大学では、腸内環境を量子コンピューティングによって解明しようとする研究が始まっている。人間の免疫は7〜8割が腸で決まるといわれており、潰瘍性大腸炎やクローン病などは、腸内細菌(腸内フローラ)のバランスが大きく影響することがわかっている。そこで、健康な人の便から抽出した腸内細菌を移植することで、患者の腸内環境を改善しようという試みが実用化している。

ただ、100兆個ともいわれる腸内細菌のうち、どれがどのように効いているのか、あまりにも複雑すぎてまだ解析しきれていない。現在は「これかもしれない」と思われる7〜10種類の腸内細菌を集め、カクテルにして摂取する試みが臨床試験段階にある。量子コンピュータで超高速計算すれば、その人それぞれに合った腸内細菌の種類がきわめて正確に特定できるかもしれない。

がんの分野でも、量子コンピュータの活躍が期待されている。現在の抗がん剤は、がん細胞が複製されていく過程で、ある部分に強制的に「くさび」を打ち込んで攻撃し、複製を止める。ただ同時に、ある確率で良性の細胞も攻撃するため、副作用が避けられない。しかし、量子コンピュータでの解析によって、くさびをピンポイントで打ち込むべき標的がわかるようになる。

解明されていない未知の領域にも

東洋医学や免疫といった未知なことが多い分野についても、量子コンピュータがメカニズムを解明できる可能性がある。たとえば鍼治療は、自律神経を刺激しながら、人間の中に眠っている自然治癒力を呼び覚ますといわれているが、詳しいことはまだはっきりわかっていない。

免疫も同じで、オランダでは子どもが2歳になると牧場で遊ばせることで、アレルギーや喘息になりにくいといわれている。おそらく家畜や土、植物、あるいは微生物などによって免疫を獲得させているのだろう。とはいえ、そのメカニズムはやはり明らかになっていない。

ほかにも、量子コンピュータによって解決に向かう分野は、数かぎりない。ラピダスが2ナノの製造をめざすのは、こうした未来の世界を切り拓くためなのだ。

(小柴 満信 : JSR前会長、経済同友会経済安全保障委員会委員長)

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