死亡した「27歳のペンギン」に生じた異変の正体

今回はフンボルトペンギンの話です(写真:ojos/PIXTA)
飼っている動物が病気になったら、動物病院に連れていきますよね。動物病院には外科、内科、眼科など、さまざまな専門領域の獣医師がいますが、獣医病理医という獣医師がいることを知っていますか?
この記事では、獣医病理医の中村進一氏がこれまでさまざまな動物の病気や死と向き合ってきた中で、印象的だったエピソードをご紹介します。

「食欲がだんだんなくなってきて、年のせいかと思って経過観察をしていましたが、そのうち吐血や下痢をするようになりました。もしかしたら胃がんなのではないかと疑いましたが、結局、原因がよくわからないまま、彼女は1カ月後に27歳で亡くなりました」

これは、ぼくのところに遺体とともに送られてきた「依頼書」にあったコメントです。

がんは最も身近にある病気

1981年以降、日本人の死因の第1位は「がん」です。日本人の2人に1人は、一生のうちになんらかのがんに罹るとされていますから、今やがんは私たちの最も身近にある病気です。がんに罹る人・がんで亡くなる日本人は年々増加しており、その大きな理由の1つに高齢化があります。

さて、実をいいますと、冒頭の「依頼書」は人間に関するものではありません。水族館で飼われていたフンボルトペンギンの経過観察の記録です。

ぼくのところには、毎年10羽前後の病気で亡くなったフンボルトペンギンが持ち込まれています。それらの病気を調べるなかで、日本の水族館や動物園で飼われているフンボルトペンギンの死因に、がん、特に胃がんと皮膚にできるがんが目立つという印象を持っています。

フンボルトペンギンは、体長60~70センチメートルほどのペンギンです。くちばしから眼にかけて比較的広い範囲にピンク色の皮膚が露出しており、胸元に太い一本の黒いラインがあるのが特徴です。

フンボルト海流が流れているペルーからチリまでの太平洋沿岸に生息しており、繁殖のために集団で生活し、岩の隙間や海鳥類のふんが堆積した地層に穴を掘って巣をつくります。

ペンギンががんに罹ったら?

一般的に、飼育下にあるフンボルトペンギンの寿命は、25~30年とされています。このとき持ち込まれた遺体は27歳とのことでしたから、それなりに高齢です。多くの生き物で「高齢化」はがんに罹る大きなリスクであることがわかっていますから、このフンボルトペンギンも高齢化の影響で胃がんに罹患した可能性があります。

人間の胃がんでは、吐血を引き起こすくらいに進行しても、外科手術で胃そのものや患部を取り除いたり、抗がん剤を投与したりして、治療の可能性を探ります。

しかし、フンボルトペンギンでは人間の患者さんに行われているようながん治療は確立されていませんので、27歳で亡くなった彼女についても、水族館では痛みを和らげたり、脱水を補ったりなど、薬や処置で症状を緩和することしかできなかったといいます。

持ち込まれた遺体を解剖したところ、胃に大きなクレーター状の潰瘍を認めました。がんというと、塊状のしこりをつくるというイメージがあるかもしれません。ですが、がんは必ずしもしこりをつくるというわけではないのです。

人間でもスキルス胃がんと呼ばれるタイプの胃がんは、しこりをつくらずにがん細胞が胃壁の中にしみこむように増殖して、胃が厚くなり、硬くなります。この子の場合も潰瘍ができて硬くなった胃に触れることで、すでに進行したがんであることがわかりました。

胃がんの肉眼写真(左 ※モノクロにしています)と顕微鏡写真(右)。右下の図はがん細胞の模式図。特徴的な細胞形態から印環細胞がんといわれている(画像:筆者提供)

そして、全身をくまなく調べると、胃のほかに肺、肝臓、腎臓、卵巣など全身臓器への転移も確認できました。それぞれの部位にあるがんの大きさや数などから、胃で発生したがんが全身に転移して複数の臓器の働きを妨げ、全身状態が悪化して亡くなったのでしょう。

最初に症状が出た時点で手遅れだったかどうかはわかりません。ただ、飼育下のフンボルトペンギンの胃がんについて根治手術が行われることはまずないですから、いずれは亡くなっていたと思います。

症状を和らげる薬で彼女の苦しみがいくらかでも取りのけていれば……と願うばかりです。

飼育上手な日本の水族館・動物園

意外と知られていませんが、日本の水族館や動物園で多くのフンボルトペンギンが飼育されているのは、日本国内の飼育施設が「ペンギンを飼うのがうまい」からでもあります。

日本の飼育施設が持つペンギンの飼育や繁殖のノウハウは世界トップクラスで、ペンギンが非常に長生きするのです。

ペンギンが長生きしているのは、飼育方法の改善で試行錯誤を重ねてきた、日本の水族館や動物園の方々の、長きにわたる努力の結果でもあるのです。そして、それが高齢化に伴うがんの罹患率や死亡率の上昇につながってしまっているのかもしれないのです。

おたる水族館のフンボルトペンギン(写真:momohana/PIXTA)

水族館や動物園で飼われているのはペンギンだけではありませんから、多くの動物で飼育技術の向上に伴う高齢化問題が発生しています。

例えば、トラやライオンも非常に長生きするようになりましたが、それに伴ってイエネコと同様に腎疾患が増加しています。多くの飼育施設において、人間社会と同様に高齢化をおもな原因とする病気の増加が目立つようになってきています。

ところで、多数のフンボルトペンギンの病理解剖を続けてきたぼくは、何となくですが「フンボルトペンギンの胃がんには高齢化とは別の発生因子があるかもしれない」と密かに予想しています。

胃がん、高齢化以外の要因も?

今のところ、その要因は2つ。1つは、彼らのエサに添加される「塩分」です。

本来、野生のフンボルトペンギンは、海水のある環境で生きています。しかし、日本の水族館や動物園ではフンボルトペンギンを淡水で飼っていることも少なくありません。また、餌の魚は冷凍されたものを解凍して与えています。

淡水飼育をはじめとするこのような飼育方法ではフンボルトペンギンの血液中のナトリウムが不足しますから、多くの場合、エサとして与えている魚に塩をまぶして食べさせているのですね。

実際、塩分が不足すると低ナトリウム血症になるペンギンもいますから、塩分の補給は重要です。反対に、誤って塩分を与えすぎてしまって高ナトリウム血症になってしまったペンギンを病理解剖したこともあります。

人間において、過剰な塩分摂取が胃がんを引き起こす要因になることは、多くの研究で明らかになっています。みなさんも、健康診断でお医者さんなどから「塩からいものは控えてください。血圧が上がるだけでなく胃がんになりやすくなりますよ」と聞いたことがあるかもしれません。

高濃度の塩分を含む食物を頻繁に摂取していると、胃の粘膜がダメージを受けて胃炎になり、発がん物質の影響を受けやすくなるとされています。

「それって、フンボルトペンギンでも同じじゃないのか?」

ぼくは密かにそのような仮説を立てています。

もちろんほ乳類である人間と鳥類であるペンギンでは生物として体にさまざまな差がありますし、ペンギンの塩分摂取量と胃がんの発生率の関係を調べた研究も見当たりません。しかし、ペンギンの体でも人間と同じような反応が起こっているのかもしれません。

また、たいていの飼育施設はエサの魚を解凍して丸のまま与えていますから、魚のヒレなどで胃の粘膜が傷つきやすくなっていて、塩分摂取も相まって胃がんの発生率を上げている可能性も考えられます。

もう1つが、遺伝的要因です。

今も水族館や動物園でたくさん飼われているので意外に思われるかもしれませんが、野生のフンボルトペンギンは絶滅が危ぶまれており、ワシントン条約(正式名称は「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」)では「付属書Ⅰ」に掲載されています。

これは、「絶滅のおそれが高いため、商業目的のための国際取引は原則禁止。学術目的の取引は可能だけれど、輸出国・輸入国双方の政府が発行する許可証が必要」という、ジャイアントパンダやゴリラと同じ最高のランクです。

したがって、学術研究目的以外では輸入ができず、国内にいる多くのフンボルトペンギンは日本で繁殖した個体なのです。そのため、現在、日本国内で飼育されているフンボルトペンギンには、遺伝的な偏りがあると思うんですよね。

がんの発生にかかわる遺伝子には親から子に遺伝するものもありますから、それが、日本国内のフンボルトペンギンに胃がんが目立つ理由の1つかもしれません。

現在、ぼくは遺体の病理解剖と並行して全国の水族館や動物園の獣医師といっしょにペンギンの病気を調べています。その結果が出たら、高齢化とはまた別に、フンボルトペンギンにおける胃がんの発生と飼育方法や遺伝子の変異に何らかの因果関係があることがわかるかもしれません。実際、フンボルトペンギン以外のペンギンに胃がんは極めてまれということがわかってきました。

動物園や水族館の「社会的役割」

一般の方々の目線では、水族館や動物園には「娯楽」のイメージが強いのではないでしょうか。しかし、これらの施設は人々に娯楽を提供する以外に、「動物に関する調査と研究」「絶滅危惧種の保護や繁殖」「教育」などの社会的役割も担っています。

世界有数のペンギン飼育数を誇り、飼育や繁殖のノウハウに長ける日本の水族館や動物園だからこそ、世界に率先してペンギンの病気の研究に取り組めるともいえます。

ペンギンをどのように飼えばがんの罹患率を下げられるのか。ペンギンのどのような振る舞いに注意すれば病気を早期発見できるのか。病気を見つけたときどのような治療を行うべきなのか……。

そのようにして得られた新しい知識のなかには、ペンギンに対する獣医療の向上だけでなく、私たち人間の医療にフィードバックできるものもきっとあるはずです。

(中村 進一 : 獣医師、獣医病理学専門家)
(大谷 智通 : サイエンスライター、書籍編集者)

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