紫式部が目撃「宮中で女性の悲鳴」とまさかの光景

光る君へ 大河ドラマ 紫式部

平安神宮(写真: farmer / PIXTA)
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は大晦日の宮中で起きた恐ろしい出来事について解説します。
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大晦日の宮中では鬼や疫病払いが行われた

一条天皇の中宮・彰子の敦成親王出産など、喜ばしいことがあった寛弘5年(1008年)もいよいよ年の瀬。宮中では、追儺(ついな)が行われていました。

追儺(鬼やらいとも言う)とは、悪い鬼を追い払い、疫病を払う、といった新年を迎えるための儀式の1つです。もともとは中国の宮中で行われていたものが、日本に伝来してきたのでした(7~8世紀の文武天皇の頃に伝来との説も)。現在、日本各地で行われている節分の豆まきの前身だと言われています。

1008年の大晦日の夜に行われた、追儺はとても早く終わってしまいました。

中宮に仕える紫式部もこの行事を見物していたようですが、早く終幕してしまったので、局(女房の私室)に戻り、お歯黒を付けたり、みだしなみを整えたりして、くつろいでいました。そこに紫式部の上司のような存在であった弁の内侍がやってきます。紫式部に一言二言話しかけると、弁の内侍は横になりました。静かな大晦日の夜。このままこうして新年を迎えるものと、誰もが考えていたことでしょう。

するとそこに、静寂を破る大声や叫び声が突然響いてくるのです。それも中宮の部屋のほうからでした。

紫式部は驚き、すでに横になっている弁の内侍を起こそうとしますが、眠りについているようで、すぐに起きてくれません。

そうこうしている間に、中宮の部屋のほうからは、人が泣き叫ぶ声がまた聞こえてきました。(いったい、何が起こっているの……)紫式部は不安でいっぱいだったことでしょう。(火事では?)と最初は思ったようですが、どうやらそうではないようです。

紫式部は、局にいた内匠の蔵人(中宮に仕える女蔵人)に「内匠の君、さぁ、さぁ」と声をかけます。内匠の蔵人を先頭に立てて、事件の現場に向かおうとしたのです。

「中宮様がお部屋にいらっしゃいます。まず、御前に参上し、ご様子を確認いたしましょう」ということにして、まだぐっすり寝ている弁の内侍を乱暴に叩き起こしました。

中宮の部屋に向かう3人の女性。おそらく、先頭は内匠の蔵人、次が紫式部、最後尾が弁の内侍だったのでしょうか(もしかしたら、怖がってしまった紫式部が最後尾だったかもしれませんが)。

紫式部たちは、何が待ち構えているのかと考えると不安になり、ブルブル震えながら現場に向かいます。

紫式部が見たまさかの光景

そうして中宮の部屋のほうに向かうと、裸の女性が2人、うずくまっているのを発見しました。靭負と小兵部という女性でした。

実は盗賊が彼女たちの衣服を奪っていったのです。いったいなぜそのようなことが起きてしまったのでしょうか。

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京都御所(写真: hanadekapapa / PIXTA)

実は宮中の台所係の男性たちも、中宮の警備の者も、追儺が終わるとすぐに自宅に帰ってしまいました。つまり誰も守ってくれる者がいない状態だったのです。

紫式部をはじめとする女房たちは手を叩いたり、声を上げで、人を呼ぼうとしますが、誰もやってきません。

紫式部は業を煮やし、配膳室の刀自(下級の女官)を呼び出して、次のように命じました。

「殿上の間に、兵部の丞という蔵人がおります。その人を呼んで。早く呼んで」と。

この兵部の丞というのは、紫式部の弟・藤原惟規のことです。紫式部は刀自に命じたことを「恥を忘れて……」と日記に記していますが、この当時階級の離れた身分の低い刀自に直接口を聞くのは、はしたないとの認識があったからです。

刀自は一生懸命、惟規を探したようですが、見当たりません。どうやら、先に退出したようです。「つらきこと限りなし」(恨めしいことこの上ない)。紫式部はこの時の気持ちをそう日記に記しています。(惟規、何でいないんだよ、肝心なときに。役立たず……)といった気持ちだったのでしょうか。

そうこうするうちに、やっと、式部の丞の藤原資業が駆けつけてきます。そして、あちこちの灯火をたった1人で点けて回りました。

明かりがつくと、女房たちのなかには、呆然として、ただただ、顔を見合わせている者もいます。

そこに、天皇から中宮へのお見舞いの使者がやってきました。死人は出ていませんが、紫式部たちにとっては、本当に恐ろしい大晦日の夜だったことでしょう。

中宮は、衣服を剥ぎ取られた2人の女性のために、蔵の中から装束を取り寄せてくださいました。正月用の装束は盗難被害に遭わなかったため、被害に遭った2人は翌日、何もなかったような顔で装束を身にまとい出仕しました。

平安時代には他にも盗賊の話がある

さて『宇治拾遺物語』の中にも、平安時代の盗賊に関する話が収録されているので、ご紹介したいと思います。

昔、袴垂という盗賊の首領がいました。ある年の10月、袴垂は衣服が入用になり、人から衣服を盗もうと、あちらこちらを物色していました。それは夜中になってからも続きます。

もう人が寝静まったとき、着物を着た人が、笛を吹きながら1人、袴垂のほうにやってきました。

(この人こそ、わしに着物をくれようとして、現れた人だ)。袴垂は勝手な解釈をして、その男に近づき、衣服を剥ぎ取ろうとしますが、何となくその男に恐怖を感じて、まずは後ろからついて歩くだけにとどめました。

しかし、その男はそのようなことは露知らずといった様子で、ひたすら、堂々と歩きます。

笛を吹きながら悠然と歩くその男の迫力に押される袴垂。しかし、(このままではいられようか)と意を決して、袴垂は刀を抜いて、男に襲いかかろうとしました。

すると男は笛を吹くのをやめて「何者か」とついに口を開きます。袴垂はなぜかそれだけで、呆然となってしまい、何もできません。

「いかなる者ぞ」と男はまた質問します。「追い剥ぎです」。そう袴垂は答えますが、男はさらに「何者か」と問い続けます。

「袴垂」と言うと、男は「そういう者がいると聞いたことはある。物騒な奴だ。ついて参れ」と声をかけました。そうしてまた、先ほどのように笛を吹き始めます。

そうこうするうちに、男の家に着きました。

辿り着いたのはまさかの人物の家

何とそこは、摂津前司・藤原保昌の家だったのです。保昌は袴垂を家に入れると、綿の厚い衣服を与えます。

そして「これから着物が必要なときは私に言え。他人の器量もわからず襲いかかろうとして、失敗するでない」と言うのです。その言葉を聞いて、袴垂は不気味で恐ろしく感じたとのこと。

「とても立派な人でした」。後に、袴垂は捕えられてから、そう語ったとのことです。

(主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

(濱田 浩一郎 : 歴史学者、作家、評論家)

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