"新宿野戦病院"が「コロナ後生きる私達」に響く訳

新宿野戦病院 宮藤官九郎

『新宿野戦病院』(写真:ドラマ公式サイトより引用)

宮藤官九郎がオリジナル脚本を手がけた7月期ドラマ『新宿野戦病院』(フジテレビ系)の最終話が放送された。

先週から今回のラスト2話で描かれたのは、世界中が再びウイルス感染症の脅威にさらされるなかの日本社会。コロナ禍を経てようやく訪れたはずの平時にすっかり慣れたいま、医療従事者の視点から当時を改めて振り返りつつ、次なる危機への警鐘を鳴らす社会性の高い内容だった。

※以下、最終回までのネタバレがあります。ご注意ください。

歌舞伎町で起きている社会問題を取り上げる

本作は、アジア最大の歓楽街・新宿歌舞伎町のとある病院を舞台にしたコメディ要素満載の人間ドラマ。

脚本を宮藤官九郎が手がけ、主演は小池栄子と仲野太賀。周囲を固めるのは、濱田岳、生瀬勝久、柄本明、岡部たかし、塚地武雅、余貴美子、橋本愛、平岩紙、高畑淳子らと、おもしろくないはずがない芸達者揃いの強力布陣だ。

これまでの回では、トー横キッズや大久保公園に立つ未成年の家出少女たち、ホストに貢ぐために風俗で働く女性、オーバードーズした少女、家庭内で性的虐待を受ける未成年、銃で撃たれた不良外国人、ビルから転落したホストなどが登場。混沌とした街で実際に起きているような出来事を、クドカン節の利いた会話劇で、ときにライトにおもしろおかしく、ときに生々しく辛辣に取り上げてきた。

新宿野戦病院 宮藤官九郎

『新宿野戦病院』(写真:ドラマ公式サイトより引用)

ただ、その描かれ方(演出)が、ひと昔前のテレビドラマのような外連味あふれるコテコテのベタだったり、さまざまな事件や事故の社会的背景を掘り下げるのかと思ったら、唐突に懸命の救急活動が行われる医療シーンに入ってしまい人間ドラマの部分が薄かったり……と、ちぐはぐかつ、とりとめなく感じられる部分も多かった。

そうしたなか、ラスト2話ではそれまでとは一転して緊迫するストーリー展開になった。

致死率の高い未知のウイルスによる危険な感染症が世界中で再び流行する。その日本人の最初の感染者が、アメリカ帰りの歌舞伎町ホストと報道されると、ウイルスはいつのまにか歌舞伎町ウイルスという俗称で呼ばれるようになり、歌舞伎町は苛烈な風評被害を受ける。同時に、感染症は国内に広がっていった。

新宿野戦病院 宮藤官九郎

『新宿野戦病院』(写真:ドラマ公式サイトより引用)

先週の第10話では、歌舞伎町の聖まごころ病院の医師たちを中心にした医療従事者の視点から、数々の行きすぎたウイルス感染防止対策のほか、医療機関への国の補助金の実効性などにも踏み込み、アメリカとの比較も含めて、コロナ禍における日本社会のさまざまな動きのおかしな点を指摘した。

同時に、ヨウコ・ニシ・フリーマン(小池栄子)の立ち居振る舞いや精神性のすべては、次なる感染症による緊急事態が起きた際に、われわれがとるべき言動のひとつの見本を示した。

コロナ禍の教訓を得ていない社会へのメッセージ

そして、最終話では、ウイルスを克服して緊急事態宣言が解け、社会が再び平時に戻る過程が描かれた。

そこで映されたのは、コロナ禍のあとをそのままなぞっているかのようなギスギスした社会だ。

ネット空間では、自粛警察をはじめ、緊急事態宣言で時間を持て余す人が他人の粗探しをして攻撃する。攻撃された人は、またほかの誰かをターゲットにする。その繰り返しだ。緊急事態宣言が明けても、感染防止対策疲れなどで人々の心は荒み、マスクをしていないだけで人を責める。リアルの場でも人々の心はささくれだっている。

そこには、いまを生きるわれわれが、コロナ禍を経た教訓を何も得ていないというクドカンのメッセージがあるのではないだろうか。

新宿野戦病院 宮藤官九郎

『新宿野戦病院』(写真:ドラマ公式サイトより引用)

毎年のように自然災害が発生するたびにSNSではデマが拡散され、それによる風評被害が起こる。ネットの炎上騒動は以前にもまして増えており、些細なことで謝罪に追い込まれる人が後を絶たない。誰もが正論を振りかざし、そこへの同調圧力が働く窮屈な社会は、よりひどくなっているとも感じられる。

それでいいのか。人間性が退化しているのではないか。そんな社会に対するクドカンの声が聞こえてくるようだった。

ウイルスがようやく収まり、人々が街にあふれて社会が通常化するのを喜ぶなか、歌舞伎町の雑居ビルのクラブで床崩落事故が発生し、多数のケガ人が聖まごころ病院に運ばれてくる。

第8話のコンセプトカフェ爆破事件のときと同じく、聖まごころ病院は大災害時の野戦病院と化した。そこで医師たちは、ウイルス感染防止対策も必要になるなか、トリアージを含めた緊急医療対応を完璧にこなす。

そこには、コロナ禍を経て次なる感染症が世の中を襲った場合を想定して備えをしていた医療従事者たちの冷静かつ適切な行動があった。コロナ禍のあとは、それ以前と変わらないことばかりではない。われわれの命や安全を支えてくれていた医療現場は、過去のすべてを糧にして前へ進んでいる。

それをわれわれはどう見て、何を感じるのかが問われている。

地域社会への前向きなメッセージ

新たなウイルスが再び世界中に蔓延したとき、本作で描かれたような差別や偏見による攻撃や風評被害もまた起こるかもしれない。

それをドラマで描いて、世間に客観的に見せたことの意義は大きいだろう。心ある多くの人にとって、そこからの気づきや得ることがあるに違いない。

劇中でヨウコは、ウイルスが収まりつつあり、平時に向かう社会において「いま怖いのはウイルスより人の心」と、同調圧力と疑心暗鬼で世知辛くなった世の中に対して言い放つ。

一方、感染者であふれ窮する病院へ、病床を提供するとサポートを名乗り出る地域の事業者も現れた。

人が人を攻撃する世の中であっても、地域社会でお互いに助け合おうとする、心ある人は存在する。そういう人たちによって、救われる人がいて、社会が少しでも明るくなる。そうした前向きなメッセージでドラマは締めくくられた。

ドラマ全体を振り返ると、NPO法人『Not Alone』の新宿エリア代表・南舞(橋本愛)のキャラクターがブレている。医師たちそれぞれのキャラクターの個性が濃いばかりであまりストーリーに活きていない。意味不明な投げっぱなしの出来事がある。ラストのヨウコと高峰啓介(柄本明)の逮捕に対して周囲の「ありがとう」は話として浅いのではないか。……など喜劇として笑いながら見られてはいたものの、物語としてのまとまりに欠けている感は否めなかった。

気づきと学びが多いドラマだった

しかし、世界が再び未知のウイルスの脅威にさらされる事態をドラマで描くことには意義があった。ウイルスとの闘いに命をかけ、感染者に献身的に尽くした医療従事者と、彼らとともに必死に感染症に立ち向かった患者やその家族たちの姿からは、改めて感じることと考えることがある。

コロナ禍とその後に起こったことを検証し、そこからの気づきや学びを伝えた社会性の高いドラマだった。

(武井 保之 : ライター)

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