キリン「ファンケル買収」の紆余曲折が残した教訓

ようやくTOBを乗り切ったキリンHDとファンケル、シナジーの本番はこれからだ(記者撮影)

当初、今年7月末には完了する予定だったTOB(株式公開買い付け)は、3回の期限延長を経て、ようやく幕を下ろした――。

9月11日、化粧品メーカーのファンケルに対し、酒類大手のキリンホールディングスが仕掛けたTOBが成立した。

6月14日に発表したTOB価格は、6月13日の終値から43%のプレミアムを付した2690円。キリンは2019年にファンケルの創業家から30%の株式を取得している。今回のTOBは残りの約7割の株式を買い取り、完全子会社化するというものだ。ファンケルにはいわゆる「物言う株主」は浮上しておらず、すんなり成立するかと思われていた。

ところが、TOB初日の6月17日にファンケル株の終値は2744円まで上昇。TOB価格を2%上回った。その翌日にはさらに上昇し、一時は2837円まで値上がりした。

「TOB価格を上回る株価で買っているのは誰だ」――。市場関係者の間では有名アクティビストの名前がいくつも挙がり、臆測が駆け巡った。

香港系ファンドが大量保有連発

TOB開始から1カ月、7月17日になって事態の一端が明らかになった。ファンケル株を買い続けていたファンドの名前は「エムワイアルファマネジメント」。同社が提出した大量保有報告書で香港が拠点ということはわかったものの、株主提案など物言う株主としての活動実績はないようだ。

エムワイアルファはさらに7月19日に7.94%の保有を報告、急速に保有比率を高めることで、キリンHD側にプレッシャーをかけた。ファンド側は表立って主張することはなかったものの、高値で株を買い続けることは「TOB価格が安すぎる」というメッセージになる。

TOB期限が迫る中、ファンケル株の株価はTOB価格の2690円を上回って推移し続けた。キリン側は7月29日に8月13日まで期限を延長すると発表し、8月6日には価格も引き上げると決断。このタイミングでTOB価格を2800円に変更し、期限も8月28日までさらに延長した。

それだけではなかった。「これ以上価格を引き上げない」「再延長はしない」と異例とも言える取締役会決議を公表し、応募数が少ないままではTOBを中止するとほのめかした。

関係者によると、ファンド側はキリン側がTOB価格を引き上げた後も「2019年に創業家から株式を買い取った際の1株3270円より安い価格ではTOBに応じない」と強硬姿勢を崩さなかったようだ。

8月13日には保有比率が8.94%に到達したと報告。延長後の期限ギリギリとなる8月22日には9.94%まで保有比率を引き上げた。この間、2903円という高値でもファンケル株を買いあさっていた。

結局、議決権ベースでの保有比率が10%以上に達したことで、キリン側はTOB期間を延長する必要に迫られた。10日間期間を延長し、9月11日にようやく決着。ファンド側の度重なる買い増しにもかかわらず、キリンHDは最終的に42.72%の株式を取得した。

関係者によると、エムワイアルファ側には最終盤まで勝算があったようだ。TOBを実施する際には多くのケースで、下限となる株式数が設定される。一定の株式数を下回る応募しかなかった場合、TOB自体をキャンセルするというものだ。今回もキリン側が設定しており、比率にして31%が下限だった。

これはMoM(マジョリティーオブマイノリティー)を考慮して設定された比率だった。MoMとは少数株主の過半という意味で、大株主がいる場合などに、大株主以外の株主の意向を問う場合に使われる。

ファンケルの場合、キリンの保有比率30%と、自己株式7%を除いた63%の半分という計算で31%(いずれも発行済みの総株式数に占める比率)の下限が設定された。裏を返せば、ファンド側がTOBを阻止したいと考えるなら、31%以上の株主に応募させなければよいことになる。

対抗TOBを仕掛けるべきだった?

そこでファンド側が目をつけたのはインデックスファンドが保有する株式の比率だ。日経平均株価指数や東証TOPIXなどの指数に連動する運用を目指すインデックスファンドは、買収提案に対する賛否にかかわらずTOBには応じないことが多い。

今回のケースでは、インデックスファンドの保有分を考慮すれば、自らの保有分などと合わせて応募しない株式数が31%近くになり、成立の可能性は低いとエムワイアルファ側は考えていたようだ。

しかし、結果的に多くの株主がTOBに応じた。これはファンド側にとっても大きな誤算だったとみられる。

別の国内系ファンドの関係者は「株主総会でも株主提案に賛成しないようにファンドが説得されてしまうケースは多い。一部のパッシブファンドが会社側の説得に応じてTOBに応募したのではないか」と分析する。

そのうえで「本当にTOB価格が低いと言うなら、ファンド側が資金を確保して、2800円よりも高い価格で対抗TOBを仕掛けるべきだった。そうすればもっとほかの株主から支持を集められただろう」と指摘する。

今回の騒動は企業側にとって2つの教訓を残した。1つはTOBの価格設定だ。2800円のTOB価格では少数株主の過半が提案に応じたものの、2690円では十分な応募がなかったとみられる。

伊藤忠商事によるファミリーマートの完全子会社化や、大正製薬ホールディングスのMBOなど、価格を巡って大株主と少数株主が対立するケースは増えている。

こうした場合、TOBに応じなかった株主が裁判所に対して適正な価格を決定するように申し立てる場合があり、最終的な決着まで年単位の時間を要する。既存の大株主がTOBを発動する場合の価格設定は、従来以上に慎重な判断が求められている。

また、下限となる株式数の設定にも気を配る必要がある。パッシブファンドの株式数を考慮しないで設定すれば、場合によってはファンド側が数%程度株式を買い集めるだけで、TOBの成立を阻止できてしまう可能性がある。実際、9月4日にはアメリカのプライベート・エクイティファンド、KKRが富士ソフトに対して実施するTOBで、KKR側が下限の株式数を引き下げた。

「パッシブ・インデックス運用ファンド等が少なくとも、当社(富士ソフト)株主の8.2%程度所有している可能性がある」ため(会社側のプレスリリース)だという。

紆余曲折だった買収劇、成果が問われる

ファンケルを手中にしたキリンは今後、ヘルスサイエンス(健康関連)事業の成長加速を狙う。ファンケルの強みは、通販と直営店舗の販売で7割を占め、豊富な顧客データをもとに顧客へアプローチできること。キリンは今回の買収でファンケルの販路を活用した自社商品の拡販や購買リピート率の向上を狙っている。

また、海外事業でもシナジーを狙う。キリンは昨年8月にオーストラリアの健康食品最大手・ブラックモアズを買収。同社はオセアニアや東南アジアでシェアが高く、各国の食品規制対応に詳しい人材も擁する。海外売上比率が現状1割程度のファンケルにとって、サプリメントなどの海外売り上げ増に向けた好機にもなりうる。

紆余曲折を経て、最終的に約2300億円を投じたファンケルの買収劇。投じた資金と労力に見合うだけの統合効果を引き出せるか、これからがキリンHD経営陣にとって本当の正念場となる。

(梅垣 勇人 : 東洋経済 記者)
(田口 遥 : 東洋経済 記者)

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