「成功した親」の子の将来が"むしろ危ない"のワケ
「変化に負けない仕事」の落とし穴
私が経営している塾の子どもたちを見ていると、幼いなりに彼らは「変わりゆく世界」にしっかりついていっています。特別な説明を受けるまでもなく、彼らにとって世の中はどんどん変化するのが当たり前であって、確実なものなどありません。
現に、今の時代についてVUCA(ブーカ)という言葉で語られるのを聞いたことのある人も多いでしょう。
VUCAは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字。変化が目まぐるしく、未来の予測が困難で、「正解」の見えない時代であることを、一言で表しています。
問題は、親世代です。
世の中は変化することを理解しつつも、「だからこそ、変化に負けない確実な職業を」などと考えている人が多いのです。
とくに50歳近くともなると、弁護士だったり、公認会計士だったり、大企業の役員クラスに上り詰めているような人だったりは、同窓会に行けば「確実な仕事に就いている成功者」として扱われているはずです。つまり、遠からずAIに淘汰されてしまう職業にもかかわらず、いまだに「価値のある仕事」と思っているし、思われているわけです。
しかし、確実な道を歩もうとすることは、これからの時代、崩れゆく崖を歩くのと同じで、リスク以外のなにものでもありません。
にもかかわらず、まだ30代であっても、そうした発想転換ができていない人がたくさん見受けられます。
彼らは、子どもたちが鋭い肌感覚で進もうとしているのに、その道を理解できず、自分の価値観の古さに気づかず、よかれと思って我が子をミスリードしてしまいます。
私の塾では、親子揃っての面談をよく行います。加えて、子ども本人とだけ話すこともあるし、親からの相談を受けることもあります。要するに、子どもたちの傾向と親たちの傾向の両方がわかっています。
そうした経験を通して強く感じるのは、「一部の“わかっている親”だけが、相当先を走っている」ということです。
大半の親は、わが子の将来どころか、今はそこそこ稼げている自分の数年後がとんでもないことになっている可能性についてさえも、大甘な認識しか持っていません。
一方で、かなり鋭い親はすでに動き始めており、結果的に、子どもたちに大きな格差がついてしまうだろうと思えるのです。
スコア化で見失っているもの
もともと私たちは、なにかの根拠として数値を欲しがりました。偏差値も会社の人事査定もその1つであり、デジタル化が進めば、スコア化はさらに進みます。
スコア化は、コストパフォーマンス・タイムパフォーマンス(以下、コスパ・タイパ)の面で非常に優れていますが、一方で、案外大事なものを見落とします。
新型コロナが流行り始めた当時は、盛んに「体温37.5度」が用いられました。美術館もイベント会場も飲食店も……あちこちに体温計が用意され、「37.5度以上の人はお断りします」という姿勢が貫かれました。
では、37.4度なら感染の疑いはないのかといったら、医師ですら確かな返事はできなかったはずです。ただ、なにか判断の拠りどころが必要だったために、みんなでそのスコアを基準に動いていたわけです。
スポーツのチームが新たに選手を選ぶときにも、たびたびスコアによる選別が行われます。たとえば、身長175センチ以上という数値基準を設ければ、174.5センチの人ははじかれます。どれほど優れていても、はじかれるのです。
それでも、こうした事例においては、多くの人が「合理化のためには仕方ないのだろうけれど、本当はもっとていねいに個別に見たほうがいいのに」と感じるはずです。
問題なのは、自らのコスパ・タイパを追求するために、よかれと思ってやっていることが、スコア化に操られているだけの結果になっているケースです。
今、飲食店を選ぶときに、多くの人が「食べログ」などのサイトを活用しますね。あれも、こちらは使いこなしているようで、実は操られている側面が多々あります。
評価スコアが高ければ、「おいしいはずだ」と思い込み、思考停止したまま迷わずに予約してしまう。「おいしいはずだ」と思い込んでいるから、バイアスがかかって実際の味の評価も甘くなる。
逆に、評価が低ければ、自分が「よさそう」と思っていてもためらってしまう。それによって、本来だったら自分にとってはすごくよかったかもしれない店との出会いの機会を喪失する。
誰かを接待するときなど、「ここにしよう」と決めていた店の評価が低いと、予約する勇気がなくなる。誰かに接待されたときに、その店の評価が低いと複雑な気持ちになる。
しかし、隠れた名店というのも間違いなくあります。
このように、スコア化のマイナス要素はいくらでも出てきます。
とはいえ、私はこうしたサイトを否定するつもりは毛頭ありません。これからの時代、AIと組んだスコア化がどんどん進むのは止めようがありません。そうしたものは、大いに利用したらいいでしょう。利用できなければ、落ちこぼれてしまいます。
ただ、そのときに「利用しているか、利用されているか」という検証は必要です。
すでにAIは、人々が考えている以上に深く、私たちの生活に入り込んできています。AIとはうまく付き合わないといけません。抵抗している時間があったら、いち早くAIの使い方をマスターしましょう。大事なのは、AIに淘汰される側ではなく、AIを使える側に入ることです。
1%の人が99%を支配する時代
データ処理能力では、人間はAIにはかないません。だから、AIが得意な分野にしがみついていれば、潰される人間が次々と出てきます。
逆に、人間を遥かに超えた処理能力を持つAIを徹底的に使いこなせる立場になれば、その人はこれまでの何百倍もの成果を出せます。しかしもちろん、そういう人はほんの一握りです。
ということは、これからのビジネス界では、1%の人が99%の人を支配するようになるわけです。しかも、1%の人が扱う額が莫大になるので、その格差はどこまでも拡大します。
そういう時代が、「やがて」来るのではなく、「すぐ」来ます。
新しい時代には、なにか才能のある人間はどんどん稼げるし、なにも才能がなければどんどん落ちていきます。そして、新しい時代に求められる「才能」は、親世代であるみなさんが共有していたものとは違い、実に多様化しています。
だから、「今、成功している親」ほど危険だともいえるのです。
特性を伸ばすことで強みに
一方で、多様化しているがゆえに、希望もあります。
以前のように、いろいろな科目で優秀な成績を収め、東大や医学部に進学できる人間だけに才能が見いだせるわけではありません。理科だけが得意だったり、絵が上手だったり、討論に強かったり、あるいは性格がいいというのも才能になりえます。
そうした特性のうち、明らかに突出したものがあるなら、それをとことん伸ばしてあげれば1%のすごくできる人になるでしょう。
それが見当たらない場合は、いくつか伸ばせそうなところを掛け合わせていくことで、その子だけの強みにしていくことが可能です。99%の中にあっても、豊かに暮らしていくことができるでしょう。
これからの親は、わが子に対して、それを絶対にやらなければなりません。凡庸な子どもを凡庸なままにしておかず、その凡庸さの中からマネタイズできる要素を探し出し、掛け合わせて、生き残れる道を創出してあげましょう。上司と部下も同様です。
(富永 雄輔 : 進学塾VAMOS(バモス)代表)
09/11 17:00
東洋経済オンライン