日本の「金融所得課税」議論で圧倒的に欠けた視点

(写真:上、Bloomberg、右下、つのだよしお/アフロ、左下、尾形文繁)

自由民主党総裁選の争点として株式の売却益などへの金融所得課税が浮上している。金融所得課税の話題は必ずと言っていいほど注目が集まるものの、これに政治生命を賭けたい政治家はほぼいないといっていい。つまり、金融所得課税の議論は国民の関心をかき乱す「政争の具」として扱われかねない。本稿では金融所得課税の論点と焦点をまとめたうえで、安易な議論が国民への不信感につながる可能性を指摘したい。

「金融所得課税」推進派と反対派の言い分

金融所得課税とは、投資信託、株式、預金などの金融商品から得た所得にかかる税金で、税率は所得に関わらず、原則として一律で20.3%となっている。もともと、金融所得課税の見直しは、2021年総裁選で岸田文雄首相が打ち出したが、その後、株価の大幅下落によって見送りを余儀なくされている。

そして今回、金融所得課税の強化をめぐっては、石破茂元幹事長が「実行したい」と語り、小泉進次郎元環境相、茂木敏充幹事長、小林鷹之前経済安全保障担当相、や河野太郎デジタル相、否定的な考えを表明。林芳正官房長官は状況を注視する姿勢を示している。

岸田首相や、石破茂元幹事長が金融所得課税を強化で狙うのは、総所得が1億円を超えると所得税の負担率が下がる「1億円の壁」の打破だ。富裕層は所得だけでなく、金融所得も多く保有してるため、20.3%の課税は税制上有利になっているという考えがもととなっている。経済成長の恩恵の分配によって格差是正を図りたいという思惑がある。

国は格差是正のために社会保障を通じた再分配を行っている。しかし、現在の社会保障給付での再配分は、受給者が「高齢者」であり、財源である保険料は「現役世代」が負担している。構造的に日本では現役世代から高齢者への再配分となっている。このため、「高所得者」から「低所得者」への再配分を行うには、金融所得課税が適しているというのが推進派の考えだ。

これに対して、反対派は、そもそも富裕層の定義自体が曖昧なうえ、自民党として新NISA(少額投資非課税制度)の拡充などを進めてきたこととも逆行すると主張している。

一部の富裕層ではなく、多くの中間層が金融所得による所得増の恩恵を得られるよう取り組みを進めてきた流れで、金融所得課税を強化するというメッセージは誤解を持たれかねないほか、物価高に苦労する中間層に対する増税となりかねないとの意見が上がっている。

海外の金融所得税はどうなっている?

こうした議論の中で、参考になるのが海外の事例だ。財務省によれば、アメリカは7.1~34.8%、イギリスは10%または20%と、所得ごとに金融所得に対する適⽤税率が決定されている。ドイツは26.4%で一律。日本と同じ運用になっている。また、シンガポールの場合、株式、金融商品の売却益が課税対象にはならない。

金融所得課税は現時点で「再分配」という視点のみで議論されているが、税を優遇することによる「経済成長」の側面と両輪で議論されることが望ましい。日本が金融立国を目指すのであれば、アメリカ型なのか、シンガポール型なのか、日本独自の型で進むのか、こうしたグランドデザインの議論になれば総裁選の争点に値する。

では、日本はアメリカを参考にするべきなのだろうか。この議論をする上で必要なのは、日本が諸外国と同じように富裕層における「富の集中」が進んでいるかだろう。日本の富裕層の人口や保有資産から見てみたい。

フランスの経済学者トマ・ピケティは世界のトップ1%の超富裕層に富が集まっており、世界的に格差が拡大していると指摘しているが、日本国内ではどうだろうか。参考になるデータがある。2022年2月に日本証券業協会がまとめた「格差の国際比較と資産形成の課題について」と題して発表されたレポートだ。

それによると、日本における所得1億円超えの人口は約2万人で、労働力人口に占める割合は約0.04%である。アメリカで、所得100万ドル以上は53万件存在し、全体の0.4%と、日本の10倍の開きがある。

富裕層への富の集中度合について調査したOECDのデータでは、富の集中度合1位のアメリカでは上位1%の層に40%の富が偏っている。日本は、上位1%の層が保有する富の割合は11%で、これは、OECDが統計を公表している27カ国のうち2番目に低い。日本では、富裕層への富の集中度合いは相対的に低い水準となっているわけだ。

日本と世界では富の集中構造が異なる

アメリカや世界で問題となっている富の集中構造は、一部の富裕層に圧倒的な資産が集中する構図だ。富を持つ数少ない人口が、より富を生み出し資産を拡大させている。

しかし、日本はどうやら構造が異なる。日本における資産が5億円以上の世帯は全体の0.2%で、その資産は97兆円(全体の6.2%)である。1億円以上の世帯は124万世帯で(全体の2.3%)、その資産は236兆円(全体の15.2%)だ。

一方で、3000万未満の世帯は4215万世帯で(全体の78%)、その資産は656兆円(42.2%)である。日本では、富裕層と呼ばれる層がそこまで資産が集まっているわけではない。中間層がいまだに多い国である。であれば、低所得者層から中間層に対して、金融教育を整えることで、国民全体の金融所得自体の底上げも可能ではないか。

では、日本のどこで格差が拡大しているのかというと、所得格差の度合いを測るために国際的に使われているジニ係数では、格差が広がっているのは高齢者世帯で、現役世帯の所得格差は比較的小さいことが確認できる。むしろ、日本の課題は高齢世代の低所得層にあると言える。

近年の傾向は、もともと存在していた一部の富裕層の資産が増えたのではなく、新たな富裕層が加わったことで富裕層の総資産が拡大している。株などの投資が普及したことで、これまで富裕層でなかった層が資産を形成しつつあるのだ。富める者だけがさらに富んだ、というわけではないのが日本の現状だ。

つまり、日本はアメリカなどとは富の集中構造が大きく異なり、海外における議論をそのまま当てはめることはできない。海外に比べると少ない富裕層の資産から出た運用益に5%や10%を割増課税したとしても、再分配に寄与する金額は限られたものになる。

日本で足りていないのは丁寧な議論と説明

金融所得課税の実現について語る際には、金融所得課税の対象を明確にし、課税によってどれくらい税収が見込めるのか、国民がきちんと理解できる形で丁寧に説明すべきだろう。むしろ、富裕層が国内で消費や投資をしやすい環境を作るほうが、経済を回し、消費税や法人税などの財源を増やす流れにつながる可能性もある。

もともと、金融所得課税の見直しは、2021年総裁選で岸田文雄首相が打ち出したが、その後、株価の大幅下落によって見送られた。しかし、岸田首相が退陣を決めた今でも、金融所得課税のネガティブな印象は深く一部の国民や個人投資家の心に突き刺さっている。岸田首相は「所得減税」という「減税」を断行したにもかかわらずだ。

未来に向けてどんなに前向きな議論や政策を論じようとしても、一度ついた印象を拭うのは容易ではない。デフレから脱却し、日本経済を前に進ませる時期に最も重要な視点は何か。それは、政治と国民との信頼関係を構築することであり、政治家には国民と同じ目線でコミュニケーションを図ることが求められる。

(馬渕 磨理子 : 経済アナリスト、認定テクニカルアナリスト)

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