JR東海リニア「名古屋―新大阪」着工時期の矛盾
岸田首相は7月31日、三重県亀山市にあるリニア中央新幹線の駅の候補地を訪れてボーリング調査の現場を視察し、「最速2037年の全線開業という想定時期のもと、駅周辺を含めた町づくりについても国として沿線自治体と連携して支援をしていきたい」と述べた。
6月21日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2024」(骨太の方針)にも、「全線開業に係る現行の想定時期の下、適切に整備が進むよう、環境・水資源の状況や建設主体の財務状況を厳格にモニタリングし、必要な指導及び技術的支援を行う」との記載がある。
2037年の開業にこだわる三重、奈良、大阪の沿線3府県をはじめ、沿線の都府県で構成するリニア中央新幹線建設促進期成同盟会の要望を受けてのことだが、これが関係者の間で波紋を呼んでいる。
「2027年開業」断念後のスケジュールは?
当初、JR東海が策定したリニア中央新幹線のスケジュールは2027年に品川―名古屋間を先行開業し、その後あらためて名古屋―新大阪間の工事に着手し2045年に全線開業させるというものだった。
2段階に分けて工事を行う理由は健全経営を維持するためである。建設費用は内部留保と金融機関からの借り入れで賄うため、一気に全線で工事を行うと費用が膨らみ、負債が増える。財務面で悪影響が出るかもしれないとJR東海は考えたのだ。
そこで、収支シミュレーションの結果、まず品川―名古屋間を先行して建設することにした。開業後はその運賃・料金収入で負債を返済し、経営体力がある程度回復してから名古屋―新大阪間の工事に移る。これなら長期債務残高を過去の経験値である5兆円以内に抑えることができるし、安定配当も継続できる。
その後、JR東海は2016年から2017年にかけて総額3兆円におよぶ財政投融資による借り入れを行った。民間からの借り入れよりも低金利で返済期間も長期にわたるため、経営リスクが軽減される。
品川―名古屋間の開業後に経営体力の回復にあてる期間を取る必要がなくなり、JR東海は「品川―名古屋間の開業後、速やかに名古屋―新大阪間の工事に着手することにより、最大8年の前倒しを目指す」と計画を修正した。8年の前倒しとは、2037年の全線開業を意味する。
しかし、静岡工区が着工できないことから、JR東海は品川―名古屋間の2027年開業を断念した。新たな開業時期をJR東海は明示していないが、静岡工区は2017年11月に工事契約を締結しており、工事着手から開業まで10年というスケジュールを当てはめると、仮に今すぐ静岡工区の工事を始めれば、開業は10年後の2034年9月ということになる。
あくまで「今すぐ始めれば」である。実際には静岡工区の着工時期について見通しは立っていない。
政府主張「2037年全線開業」が抱える問題
2027年開業断念を発表した後、JR東海は発注予定において山梨県駅の工期を2031年12月までと発表した。ほかに8月時点で公表されている発注予定を見ると第二大井トンネル、座光寺高架橋、道志川橋梁の工期はそれぞれ2030年3月、2031年3月、2030年3月となっている。これらをもって「2027年まで完成しない工区は静岡以外にもある」と主張する声も聞く。
が、リニアを担当する宇野護副会長は次のように話す。
「静岡以外でもスケジュールがタイトな工区があるのは事実。人手不足、資材高騰など工事をめぐる環境が厳しい中、お金をかければ2027年に間に合う可能性がある工区もあるが、いま無理をして2027年に間に合わせるのは合理的ではない」
経営判断としては自然だ。JR東海は今後の各工区の進め方について検討を進めており、これから発注する工事についても「工期は合理的に設定する」としている。
そこで気になるのは、政府が2037年の全線開業を主張していることだ。名古屋―新大阪間の工事についての詳細は決定していないが、まだ2027年で予定されていた品川―名古屋間の開業後、速やかに工事を始めて2037年に全線開業するという前提に立てば、名古屋―新大阪間の工期は10年ということになる。だとすると、2027年には着工する必要がある。
しかし、2027年はまだ品川―名古屋間の工事を行っている時期だ。となると、経営リスクを減らすために工事を2段階に分けるというJR東海の方針に反する。
2段階での工事が必要な理由は財務面だけではない。JR東海の人繰りの理由もある。2段階スキームにおいては、品川―名古屋間の工事を担当したスタッフが、同区間の開業後に名古屋―新大阪間の工事に移行する。そうすることで人員を効率的に活用することができる。しかし、両区間の工事が重複すると、人員を増やす必要が生じかねない。この人員増はJR東海の長期的な人事戦略に直結する。
さらに、建設現場の人手不足が顕在化する中で、十分な作業員を確保できるかどうか。人手不足が解消できないのに工事をしたら安全面に支障が出かねない。こちらのほうが重要な問題だ。
名古屋から先「2027年着工」へ動き出した?
工事を行う前には環境影響評価を行う必要がある。
その流れを説明すると、まず、事業主体が環境保全のために配慮すべき事項について検討を行い、その結果をまとめた「計画段階環境配慮書」を作成し、環境大臣などの意見を踏まえ、どのような方法で調査・予測・評価をするのかを示す「方法書」を作成、さらに、自治体の首長や住民らの意見を聞きながら調査を実施し、調査・予測・評価・環境保全対策の検討結果を示す「準備書」、準備書に対する環境大臣などの意見を踏まえ、必要に応じて準備書の内容を見直して「評価書」を作成する。
品川―名古屋間の環境影響評価を例に取れば、2011年に配慮書が公表され、方法書、準備書の作成を経て2014年8月に環境影響評価書を作成し、同年10月に工事実施計画が認可された。このスケジュールを踏まえれば、2027年に着工するためには遅くとも年内には配慮書を作成する必要がある。
こんなスケジュール感のもと、2023年6月にリニア中央新幹線建設促進期成同盟会は「2023年から環境影響評価に着手する」ことを決議し、政府も骨太の方針で追認した。
配慮書を作成する前にルートや駅の位置の詳細を詰めておく必要がある。品川―名古屋間では2008年には南アルプスの山中でボーリング調査を行っていた。名古屋―新大阪間については地元自治体の協力を得ながら文献調査などの準備作業を進めていたが、2023年12月7日、JR東海は三重、奈良両県の駅候補地周辺においてボーリング調査を始めたことを公表した。
これをもって国土交通省は「環境影響評価に着手した」と説明した。事態は2027年着工に向けて動き出しているように見える。
では、JR東海は2037年の全線開業という国の要望をどう捉えているのだろうか。この点についてJR東海に問い合わせたところ、以下のような回答が得られた。
新内閣は「2037年開業方針」どうするか
JR東海の担当者は「歯切れが悪い回答で申し訳ない」と恐縮していたが、趣旨はわかる。要するに2037年開業は難しいという意味だ。JR東海の置かれた状況を考えればそれが妥当だ。拙速な工事は禁物だ。「民間企業として経営の自由と投資の自主性」という部分からは、スケジュールについては自主的に決めたいと主張しているように読める。
また、三重、奈良両県でのボーリング調査をもって環境影響評価に着手したのかという点も聞いてみた。これについては、「環境影響評価の調査には動植物をはじめとする自然環境のように時間とともに変化する項目があることから、名古屋開業時期を見据えて進める必要がある」という回答があった。配慮書の作成、公表といった本来の環境影響評価の手続き開始については名古屋開業時期が決まってからという意味にとれる。
その意味で、ボーリング調査開始をもって「環境影響評価に着手」したといっても、ここからその後のスケジュールについて予測するのは難しい。
岸田首相は退陣を表明しており、9月27日には自民党総裁選挙が実施され、次の首相が決まる。新内閣も2037年全線開業という方針を堅持するのか。それとも、より現実的な解を探るのか。少なくとも、リニア中央新幹線が政治に翻弄されるという事態があってはならない。
(大坂 直樹 : 東洋経済 記者)
09/09 07:30
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