今さら聞けない「ポピュリズムが台頭する」なぜ

(写真:Paulo Nunes dos Santos/Bloomberg)
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、収束が見えないガザ情勢、ポピュリズムの台頭、忘れられた危機を生きる難民……テレビや新聞、インターネットのニュースでよく見聞きする、緊迫した世界情勢。
「論点」をちゃんと答えられますか? 「受験世界史に荒巻あり!」といわれる東進世界史科トップオブトップ講師『紛争から読む世界史~あの国の大問題を日本人は知らない』の著者が、キナ臭さが漂う今だからこそ学ぶべき「世界の大問題」から、今回はポピュリズム台頭の背景について解説します。

2000年代に台頭してきたポピュリズム

アメリカだけではなく、ヨーロッパでも日本でも民主主義のバックスライディングを危惧する動きが2000年代に入ってから見られるようになりました。それがポピュリズムの台頭です。代表的なポピュリズムを列記していきます。

アメリカ合衆国で2016年の大統領選挙に立候補したトランプはメキシコからの移民を犯罪者呼ばわりするヘイトスピーチ、女性を蔑視した発言、他にも多くの放言を行ない、これを多くのメディアが報じながらも当選します。

ブラジルは2019年から大統領を務めていたボルソナロがポピュリストとして知られています。LGBTQの人々の権利を認める法律を議会が認めても反対し、先住民や黒人、移民についても差別的発言を連発しています。

ヨーロッパのポピュリストとして筆頭に挙げられるのは、「フィデス」という政党を率いるハンガリーのオルバーンでしょう。イタリアで初の女性首相となったジョルジャ・メローニは「イタリアの同胞」という極右政党を率いています。また、ドイツでは反移民・難民を訴える「AfD(ドイツのための選択肢)」が議会第三党にまで成長しています。

(画像:大和書房)

ポピュリズムが初めて「登場」したのは?

では、ポピュリズム概念について最低限のことを確認しましょう。

まずポピュリズムの語が世界で初めて登場したのは、19世紀末のアメリカ合衆国でした。アメリカ西部の農民が起こした政治運動でポピュリストを名乗る人々が現れます。彼らの主張は東部エスタブリッシュメントへの批判でした。

当時のアメリカは産業革命の進展で工業化が進んでいましたが、西部で生産される小麦は都市への食糧供給として重要さを増していました。しかし、農産物を都市へ運ぶための鉄道運賃を高く設定され、農民の手取りが少なくなることへの不満が政治運動につながったわけです。

民主党と共和党という現在まで続く2大政党は、こうした農民の窮乏に耳を傾けなかったのです。そして1892年の大統領選挙に出馬したポピュリスト党は10%弱の得票率と善戦しました。結局はポピュリスト党の主張を民主党が取り入れたことで、この運動は短命に終わります。

次にポピュリズムを名乗る運動が広まったのはラテンアメリカでした。ラテンアメリカは広大ですが、産業構造や人口構成にほとんど違いがないために、多くの国々で同時多発的な政治運動が展開されます。

19世紀前半に独立して以来、経済的には一次産品の輸出が主な産業となっています。政治的にはプランテーション地主が権力を独占する寡頭支配体制が続いていました。1930年代に世界恐慌がラテンアメリカにまで広がると、農産物価格の下落から農民の生活が苦しくなります。これを背景としてポピュリスト政権が各地に成立します。

このアメリカ合衆国及びラテンアメリカのポピュリズムは教科書的にいえば、必ず掲載されているものなのですが、悪いものであるといったイメージはさほど浮かんできません。むしろ弱者の味方という良いイメージさえあります。

ただし、ポピュリズムには民主主義の持つ相反する2つの要素が兼ね備わっていることは踏まえておかなければなりません。この相反する2つの要素については『ポピュリズムとは何か』に書かれてあることをぼくがまとめたものです。

2つの「民主主義」

民主主義には、ただの民主主義と自由民主主義の2種類があって、前者は直接民主主義的な志向を持ち、民衆による権力の集中といった側面があり、後者は間接民主制、法の支配、権力の抑制といった側面があります。

自由民主主義の観点から見るとポピュリズムは非常に危険な運動です。権威主義へ道を開くものに見えます。それは、

(1)問題解決のために手続きを無視する
(2)多数派原則を重視して少数派の主張が無視される
(3)司法や官僚制といった非民主的な制度や権限を制約してその時々の気分に流される政治になる
(4)人々を動員するために敵味方の二分法をとるあまり、社会に亀裂が生まれる

ポピュリズムが民主主義を否定していないからこそ、民主主義を脅威にさらすことにつながる恐れがあるということです。ところがただの民主主義の観点から見ると、ポピュリズムは民主主義を活性化させるのではないかともいえます。

(1)政治から排除された人々の政治参加を促す
(2)既存の枠組みにとらわれない新たな政治・社会的なまとまりをつくり出し政治の革新が可能になる
(3)問題を個人で解決するのではなく、政治の場に引き出すことで「政治」そのものの復権を促す

20世紀から21世紀にかけて農業社会から工業化社会へ、さらにはポスト工業化社会へと産業構造が変化する中で、農業組合や労働組合に組織されない人々が急増していきました。特定の支持政党を持たない無党派層も増えています。こうした人々へアプローチするのがポピュリズムであるとすれば、確かにポピュリズムは民主主義を活性化することにつながる気もします。

このポピュリズムが急速に広がった背景には移民をめぐる状況があるといわれています。そのことについて見ていきましょう。

何が排外主義を生むのか

21世紀のポピュリズムは多くの民主主義国で力を持ってきていますが、ヨーロッパのポピュリズムの背景にあるものは、移民の増加といわれています。ヨーロッパでは17世紀以降、国によっては多くの移民を受け入れてきました。特にオランダやイギリスのようにアジア、アフリカへ力を伸ばした国はそうでした。

第二次世界大戦後はドイツのように労働力不足から多くのトルコ人が移住するなど、移民自体は徐々に増えてきたといっていいでしょう。その過程で移民が自分たちの仕事を奪っていったとか、移民が低賃金で働くから自分たちの給料も減った、といった経済的要因で排外主義が広がったというふうに説明されます。

アメリカ合衆国でも中西部、特にイリノイ、インディアナ、ミシガン、オハイオ、ウィスコンシンといった州はラストベルト(錆びついた工業地帯)と呼ばれ、産業構造の変化に伴って雇用が失われた労働者が、ポピュリストであるトランプを支持したといわれます。

(画像:大和書房提供)

確かにポピュリズムは「下」からの運動ですから、この説明はしっくりきます。ところが、こうした低所得層が外国人労働者を憎む排外主義につながるという説明は、政治学的に見るとかなり怪しいようです。

『欧州の排外主義とナショナリズム』(中井遼/新泉社)は、経済的な要因が排外主義を生み出すという一見して俗耳に入りやすい理論に対して、多くの統計を分析しながら、排外主義の広がりは経済的な要因よりも文化的態度といった非経済的な要因のほうが大きいことを示しています。排外主義的な傾向を持つ人は所得の高低、失業中かそうでないか、年齢の違い、男女の差といったものにあまり左右されていないのです。

非経済的側面から排外主義になるケースを、ポーランドを例に見てみましょう。2015年にイスラーム系難民がギリシアとイタリアに押し寄せたのですが、対応策としてEU理事会がEU加盟各国で難民を分担して受け入れることを決定します。

ちょうどこの決定がなされる頃、ポーランドでは総選挙が行なわれ、「法と正義」という政党は争点にこの難民問題を持ち出して、難民が病気を持ち込む、移民はポーランドの文化を尊重しない、移民が女性を襲うといった恐怖心を煽るようなキャンペーンを張ります。経済的な理由は掲げていないのです。

ヨーロッパにおける「反EU=反移民」の構図

この過程からわかるように、反EUというものが反移民に付随して強調されます。ヨーロッパの排外主義(反移民)の運動が反EUとなることは、イギリスのブレグジットを見ても明らかです。

紛争から読む世界史~あの国の大問題を日本人は知らない (だいわ文庫)

ヨーロッパでは主権国家の上位にEUがあって、移民を押し付けているのはEUなので反EU=反移民になるのですが、EUのようなものがないアメリカや日本は反移民と何が結びつくのでしょうか。それが日本やアメリカで使われるようになった反グローバリズムという言葉です。グローバリズムが移民を増大させたり、LGBTQ問題を引き起こしたと、すべての悪の元凶であると批判するのです。

では、このグローバリズムとは何なのかといえば、正体のない幽霊なので、ユダヤ人だ、国際金融資本だ、ディープステートだと、いいたい放題の陰謀論と接続されていくのです。

EUに主権を一部譲渡しているヨーロッパ各国では、EUをなぜつくったのかという原点から、ヨーロッパに住む人々の共通の記憶としてヨーロッパの歴史と自国の歴史を接続させようとする試みが続けられていました。しかし反EUの声が高まると、自国中心的な歴史修正主義が出てきます。アメリカや日本でも、陰謀論と結ぶ歴史修正主義が排外主義と手を携えながら忍びよるようにこの20年で広まりを見せています。

(荒巻 豊志 : 東進ハイスクール講師)

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