世界で「民主主義」が危機を迎えている根本理由

(写真:Emily Elconin/Bloomberg)
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、収束が見えないガザ情勢、ポピュリズムの台頭、忘れられた危機を生きる難民……テレビや新聞、インターネットのニュースでよく見聞きする、緊迫した世界情勢。
「論点」をちゃんと答えられますか? 「受験世界史に荒巻あり!」といわれる東進世界史科トップオブトップ講師『紛争から読む世界史~あの国の大問題を日本人は知らない』の著者が、キナ臭さが漂う今だからこそ学ぶべき「世界の大問題」を厳選して解説します。今回は、民主主義がいま、危機を迎えていることについてです。

国を二分する「価値の分配」

2020年のアメリカ合衆国の大統領選挙、バイデンvs.トランプの戦いで、「アメリカは内戦状態になるのではないか」という見立てを述べる論者がいました。さすがに内戦にはならなかったものの、両者の主張は違っても選挙が終わればノーサイドということにならなかったのは、2021年1月6日にトランプを支持する市民が起こした合衆国議会議事堂襲撃事件を見れば明らかでしょう。

今、アメリカだけでなく多くの国で同じような分断が生まれています。アメリカでいえば妊娠中絶の是非はまさに国論を二分する議論になっています。世界各国を見ても、同性婚やLGBTQをめぐってさかんに議論されていることは共通しています。こうした議論を「価値の分配」といいます。

従来の政治は「富の分配」をめぐるものでしたが、これは妥協がつけやすいのに対して「価値の分配」は1か0かで妥協がしにくいものになっているため分断が起きやすいのです。

20世紀後半は世界規模で経済成長が続き、ある程度の豊かな社会が世界すべてではありませんが、いわゆる先進国で生じました。アメリカの政治学者ロナルド・イングルハートは「『脱物質主義的価値観』が政治の次元で重みを増す」と、すでに1977年の時点で主張していました。

『歴史の終わり』で有名なアメリカの政治学者フランシス・フクヤマも『IDENTITY』の中で、トランプ現象や、イギリスのブレグジット(EUからの離脱)の背景にあるものを分析して、経済合理性よりも敵と味方の単純な二分法で「敵だから倒す」といった感情が政治に持ちこまれることを示唆しています。

歴史認識をめぐる紛争も「価値の分配」の文脈で理解できます。現在を、そして未来をめぐって争うのではなく、過ぎ去ってしまった過去をめぐって争う、一見不毛な議論がどこの国でも展開されています。

妥協が困難な価値をめぐる争い

21世紀における国民創造のために不可欠な物語をどうやって再構築すればいいのかということだけではなく、国民創造のために歴史が動員されることを拒否することも含めて妥協が困難な価値をめぐる争いになっているのです。

奴隷制度は19世紀に廃止されました。20世紀前半には女性参政権も実現しました。ところがこれらは人間を奴隷とそれ以外に分けること、男と女に分けることといった、人種主義的な発想に対する反省から起きたものではなく、単に経済的な利益や戦争遂行能力を高めるための要求から行なわれただけであり、「ブラック・ライヴズ・マター運動」の高揚やフェミニズムの運動が続いていることは、19世紀以来の国民国家建設の課題がまだ残されていることをあらわしています。

当然ながら「富の分配」をめぐる問題が解決したわけではありませんが、「価値の分配」が政治の大きな焦点になる中で国民国家としての同質性を保つことが難しくなっているのが現在といえるでしょう。

1950年代以降はソ連側の社会主義に対抗して、「民主主義のほうが素晴らしいよ」(内実はどうあれ)というメッセージが世界中に広がり、民主主義が拡大していきました。ところが、我々の社会は大きく変化しました。

その背景には1990年代から進んだ第3次産業革命、そして現在進行中の第4次産業革命があります。加えて経済のグローバル化が進展して一国の経済活動が世界の経済状況に連動するようになり、生活が苦しくなったと感じている人たちにしてみれば、民主主義にはさほど意味を感じないかもしれません。こうした変化に対応することと民主主義はあまり関係ないと考えられるからです。

民主主義に代わって台頭する「権威主義」

代わって台頭してきているのが、権威主義国家の典型例ともいえる、選挙独裁ですらない中国です。21世紀に入って一番経済成長を遂げたのが中国ですから、その影響は大きいものがあります。人権問題を理由に欧米からの援助が得られない国に中国が手を差しのべれば、自然と中国的な政治手法や政治的価値観が広がりを見せていくでしょう。

もう1つが選挙独裁の典型例であるロシアの存在です。イギリスのブレグジットや、2016年のアメリカ大統領選でのトランプ当選をめぐって、ロシアがインターネットを使ってフェイクニュースを流し恐怖を煽り、結果にそれなりの影響を与えたことが問題になりました。まさに政治体制の違いで対立を見せていた冷戦時代に戻っているかのようです。

(画像:大和書房提供)

他にもアイデンティティ政治(価値の分配の政治)によって国内の分断が広がっていることや、グローバル化による移民の急増によって社会が不安定になってきていることも民主主義を危ういものにしているのでしょう。

民主主義は政権交代を通じて諸問題を解決していく仕組みですが、現代社会は環境問題をはじめとして長期的課題を抱えています。こうした問題は数年ごとに選挙が行なわれるサイクルでは解決できません。その苛立ちが、極端な思想や政策を主張する勢力が伸びることにつながるのでしょう。

スティーブン・レビツキーとダニエル・ジブラットは『民主主義の死に方』の中で「柔らかいガードレール」といって相互的寛容と組織的自制心という2つの規範が民主主義を支える根底にあるといっています。

トランプが勝利することが「民主主義」?

この2つの精神がなければ、対立が罵り合いになり、話し合うこと自体が不可能な状況になります。法律に反していないのだから何をやったっていいだろうとか、民主主義は多数決なんだから選挙で勝った者は何をしてもいい、といった単純な原則に有効な反論がなかなか見当たらないところが大問題なのです。つまり、民主主義を殺すのはクーデターをはじめとする暴力ではなく民主主義の原則なのかもしれないということです。

紛争から読む世界史~あの国の大問題を日本人は知らない (だいわ文庫)

『民主主義の死に方』は、2016年のアメリカ大統領選挙でトランプが当選した衝撃を受けて書かれたものです。それほどまでにトランプなる存在が民主主義を瓦解させる危険性があるというのに、2024年のアメリカ大統領選挙でのトランプの再選をアメリカ本国のみならず日本でも待ち望んでいる人がいることがネット上で散見されます。しかも彼らにとってはトランプが勝利することが民主主義なのです。これが民主主義によって民主主義が殺されるということです。

(荒巻 豊志 : 東進ハイスクール講師)

ジャンルで探す