巨象インドと「20年前の中国」共通点と大きな違い

2004年の北京と2024年のデリーの街の様子

[写真左、2004年の北京]地下鉄は整備途上でバスへの依存度が高かった[写真右、2024年のデリー]オート3輪は庶民の足として健在(記者撮影)
世界一の人口を抱え、GDPで世界3位になることが確実視されるインド。日本企業はこの国とどう向き合えばよいのか。『週刊東洋経済』9月7日号の特集は「インドが熱い」。インドの実情とビジネスのヒントを徹底リポートする。

デリーの空港に降り立つと、すぐに感じるのは大気汚染の深刻さだ。到着後の数日はのどに違和感が残り、20年前の北京でも同様だったのを思い出す。

週刊東洋経済 2024年9/7号(インドが熱い)[雑誌]

20年のタイムラグは、経済面のデータとも整合する。中国にも駐在経験がある野村総合研究所インド法人の郷裕氏は「デリー、ムンバイ、ベンガルールの1人当たりGDPはすでに5000ドルを超え、これは2005〜07年の北京や上海に相当する」と指摘する。

08年の北京五輪、10年の上海万博を控え、中国の中間層増加や都市化がスポットライトを浴びていた時期だ。中国経済は01年のWTO(世界貿易機関)加盟を起爆剤として、2桁ペースの高成長を続けていた。その原動力となったのは農村から供給される安価な労働力を武器とした製造業だ。

グローバル企業の輸出拠点として「世界の工場」といわれる強力な生産基盤が形成され、その稼ぎで国民が豊かになるにつれて中国は「世界の市場」へと転換していった。インドも同じ道をたどるのか。

内需狙いが多数派

まず押さえておくべきは、インドへの直接投資の中で製造業が占める比率は半分もないということだ。世界的にはITやサービス業の有望投資先であり、ものづくりを主な関心事とする日本はむしろ例外的な存在だ。製造業はまだインド経済の主役ではない。

デリー市内のユニクロ。店舗前を野犬が歩いていた(記者撮影)

今インド進出を考える日本企業の中では、インドの内需開拓を狙う向きが多数派だ。最初は輸出拠点にするために進出した中国とは、そこが大きく違う。

03年から合計15年もの中国駐在経験を持ち、現在はデリーを拠点とする中村伸吾・みずほ銀行執行役員インド営業部長は「20年前の中国には、日本企業のライバルになるような現地企業はそこまで多くなかった」と指摘する。

一方で現在のインドには、タタやマヒンドラ&マヒンドラなど、古くから自動車を製造しているメーカーが複数存在する。ほかの分野もしかりで、「日本ブランド」が圧倒的に強いとはいえない。

裾野産業も同じだ。今やスズキのインドでの現地調達率は9割を超えている。20年前の中国ではここまで地元企業は育ってはいなかった。だからこそ日系企業のチャンスは大きかったともいえる。

中国企業の新規投資は事実上締め出されているが、自動車でも家電でも、インドでは韓国やドイツなどのライバル企業との競争が厳しい。「3年で単年度黒字、5年で累損解消」といった、2000年代の中国では普通にありえた成功は期待しにくい。中小企業は慎重にならざるをえないだろう。

長期戦で臨む姿勢が必要

「03年当時の上海では、みずほ銀行でも新規口座を年数百件規模で開いていた。対照的に今のインドで勢いがあるのは、すでに進出している企業の再投資だ」(みずほの中村氏)。

インドの厳しい競争環境に耐え抜いた企業はそれなりに報われているようだ。ジェトロの調査ではインドに進出した日本企業の7割が23年度の営業利益を黒字と見込んでおり、この比率は中国の6割を上回る。

野村総研の郷氏は「デリーなど大都市圏の市場はインド市場の一部だが、それでも十分大きい。中国勢の参入障壁が高まっている今のうちに進出するのが得策だ」と話す。

選挙があるインドは共産党独裁の中国に比べてすべてがスローだ。かつての中国の高度成長が再演されるとは考えにくい。すべてに時間がかかることを覚悟したうえで、長期戦で臨む姿勢が必要だろう。

(西村 豪太 : 東洋経済 コラムニスト)

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