福岡発の「草刈機まさお」が売れに売れる背景

草刈り機まさお 筑水キャニコム

草刈機まさおシリーズ「フルーティまさお」に楽しそうに乗る、筑水キャニコム3代目社長の包行良光さん(筆者撮影)

「草刈機まさお」「安全湿地帯」「芝耕作」「アラフォー傾子」。遊び心たっぷりの耳に残る印象的な名前は、なんと産業機械につけられたもの。

これらを手がける会社は、福岡県の南部、豊かな緑が広がる人口約2万7000人のうきは市にある。創業76年を迎える「筑水キャニコム」だ。

「義理と人情」を経営方針に掲げる産業機械メーカーで、農業と林業、土木建設用の運搬車や作業車などの企画から製造販売まで一貫して行う。ニッチな分野で躍進し、農業用運搬車と乗用草刈機四輪駆動では国内トップシェアを誇る。2023年の取引国は54カ国、売り上げは100億円を突破した。

売り上げの4割を占める「草刈機まさお」

なぜ産業機械に、きわどい名前をつけているのか。34歳の若さで3代目社長に就任した包行(かねゆき)良光さんによると、先代社長で現会長の均さんはダジャレと演歌が大好き。「自分たちが作った機械に愛着を持ってもらえるようにと、親父がユニークなネーミングを付け続けています」(良光さん)。日刊工業新聞社主催のネーミング大賞で、18年連続受賞という記録を更新中だ。

【写真】斬新なデザインで2001年にグッドデザイン賞を受賞。赤色の草刈機を作ったのは筑水キャニコムが世界で初めてという。生産拠点の名前は「演歌の森うきは」

なかでも草刈機まさおシリーズは、売り上げの4割を占める同社の主力製品。ただ産業機械は同社の祖業ではない。

包行家はもともと刀鍛冶だったが、戦後に軍刀の需要がなくなったため、良光さんの祖父が1948年「包行農具製作所」を立ち上げ、鎌や鋤などの製造販売を始めた。

草刈り機まさお 筑水キャニコム

「草刈機まさお」は斬新なデザインで、2001年にグッドデザイン賞を受賞。赤の草刈機を作ったのは、同社が世界で初めてという(写真:筑水キャニコム提供)

農業の機械化に伴い、父の均さんは草刈機や運搬車の事業にピボット。そして2001年に発売した業界初の乗用四輪駆動「草刈機まさお」がヒットして、同社は一躍有名に。

「会長が子どもの頃、家のまわりの草刈りをしていて、ゴーカートで草刈りできればいいなと思った構想をカタチにしたんです」(良光さん)。

草刈り機まさお 筑水キャニコム

「もっと速く、もっと楽しく」を叶えるために開発された、草刈機まさお(写真:筑水キャニコム提供)

競合もひしめく中で、同社製品が選ばれるのは、もちろん特徴的な名前だけではない。「お客様のためのものづくり」を徹底し、顧客のニーズに合っているからこそ。顧客に潜む心の声を拾うために、同社では「ボヤキズム」と呼ぶ独特な戦略を掲げる。

「営業担当はもちろん経営陣や開発チームもみんな、顧客がうちの製品を使っている現場に出かけて、リアルな声に耳を傾けてきました。使い心地を聞いてみると、お客さんが最後にボソッとつぶやくんです。『もう1回切り返さなきゃいけないんだよね』とか『あとちょっとここが大きかったらいいのに』とか。そのボヤキこそ真のニーズであり、その言葉を逃さずキャッチして、次の製品開発のヒントにしてきました」

人に合わせて細やかにカスタマイズ

現場や人に合わせて、細やかにカスタマイズするのもキャニコムならではのスタイルだ。

例えば、背が高い欧米ユーザー向けにハンドルを10cm高くしたり、農園が広大なアメリカでは膝を痛めやすいと聞けば、ペダルを踏まずに手で操作できるシフトレバーにしたり。

「お客さんごとの要望に応えるうちに、同じ製品でもちょっと違う種類がどんどん増えました。例を挙げると、しいたけ原木の運搬車、静岡の三ヶ日みかん専用の運搬車もある。公道で走れる運搬車を、離島で使う消防車にカスタムしたこともあります。たとえ数台でも頼まれるのはありがたくて、うれしいですから」

草刈り機まさお 筑水キャニコム

2021年、東京ドーム1.1倍を超える敷地に生産拠点「演歌の森うきは」が完成した。「夏の工場は暑いので、今年7・8月は週休3日にしました。もちろん給料はそのままです」と良光さん(筆者撮影)

たった1人のお客さんのために、心から喜ばれる製品をお届けする。これぞまさに「義理と人情」のものづくりといえる。

そして、技術力の高さも支持される理由の1つ。例えば、世界でいちばん遅く走る運搬車はキャニコム製だ。

「エンストせずに時速0.25kmで進むためには、高度な技術が必要です。社内に開発チームがあり、高専を卒業したばかりの若手から60代の社員まで集まって、ワイワイガヤガヤと知恵を絞り技術を磨いています。どんなニーズでも面白がって、真摯に応えてくれる社員がいるからこそ、こだわったものづくりを続けられるのです」

現社長の良光さんは、3代目。もともと会社の後を継ぐ気はなかったという。

「親父は赤いジャケットがトレードマークで、地元の田舎では知られた会社。僕が子どもの頃にコンビニで買い食いしただけで、誰かが厳格なうちの親に言いつけて、こっぴどく叱られたり……何かと肩身の狭い思いをしました」と打ち明ける。

逃げるように東京の大学に進学し、卒業後はしばらくフラフラしていたが、縁のあったホームセンターで働き始めた。「肥料を農家に配達すると、キャニコムの製品が現場で愛用されていて、ちょっとだけ誇らしくなりました」

2年後のある日、父親から良光さんにかかってきた電話が転機となる。「『今の給料より月3万円高く払うから、うちに帰ってこんか』と。つい、お金につられて帰ることにしました」。

2004年、24歳でキャニコムに入社。しかし、突然やってきた後継ぎ候補は社内に居場所を見つけられず、つらくてひとり泣いた日も……。

海外売り上げは50%を超えた

数カ月後、良光さんは「アメリカで本格展開」というミッションを受け、単身渡米した。「とにかく現場に飛び込み、アメリカの現場を見て話を聞いて、ニーズをつかもうと毎日必死でした」。

アメリカでもキャニコム流を貫き、ボヤキをもとに製品を改良すると、少しずつ売れるように。北米事業を軌道に乗せ、2010年に帰国した。ボヤキズムは海外でも通用したのだ。

草刈り機まさお 筑水キャニコム

若かりし頃の良光さん(左から2番目)とアメリカのスタッフ。「アメリカで苦労して最初の1台が売れた瞬間を思い出すと、今でもジーンときます」(写真:筑水キャニコム提供)

良光さんは2015年に社長に就任すると、「高付加価値化」と「グローバル」を打ち出した。

「前体制では、大量生産で安い製品を出していく戦略を描いていましたが、それでは本来のキャニコムらしさが失われて疲弊してしまう……。自分たちの力を信じて従来の高付加価値路線に戻し、グローバルにも改めて力を入れることにしました」

結果として、社長就任時に49億円まで落ち込んでいた売上高は右肩上がりで、2023年に100億円を突破。良光さんが入社時は全体の5%ほどだった海外の売り上げは50%を超えた。

アメリカを皮切りに韓国と中国、カナダ、タイに子会社を置き、近年は特にアメリカとオセアニア、アジアが好調だという。

社長になった今でも、自ら海外を飛び回り、お客さんのボヤキやニーズを敏感にキャッチする。わざわざ海外に行く目的は、ほかにもある。

「海外の取引先は同族経営が多く、祖父から代々の付き合いで、顔を見せに来て、と言われるんですよ。一緒にご飯を食べてお酒を飲んで、同族経営ならではの話をすることも多い。うちではこんなときに親が出てくるけど、そっちはどうかとか」。同族経営の仲間として、本音で話すことも楽しみとなっている。

もともと会社を継ぐ気はなかったものの、「今は会社が好きで、ここで働くことが楽しくてたまらない。動けば動くほど結果が出て、やりがいがある」と良光さん。

「社長になる前は、うちの会社はなんでこんなこともできないのかと心の中で毒づくこともあったけれど、今はそれがうちの会社だと受け止められる。環境や人のせいにせず、自分ができることをとことんやりたい。僕は歯車のひとつとして、会社がうまく回るように社員とコミュニケーションを取るように心がけています」

その言葉通り、300人近い社員への心遣いは細やかだ。全社員の顔と名前を覚えていて、社内で会えば声をかける。

アメリカ法人のスタッフには、全員に手書きでクリスマスカードを書き、スターバックスのチケットと共に送るのも毎年恒例だ。ミャンマーやカンボジアから来た技能実習生たちには「嫌がらせ」と照れを隠して、カップラーメンやビールを大量に差し入れしている。

福岡の中小企業でも、世界に通用する

目標としていた売り上げ100億円を達成した今、次にどんな目標を掲げるのか。

「親父は、次は200億円なんて豪語してますが、実はそれも夢じゃないと思えるんです。もっと1人ひとりが自分で考えて動ける組織になり、会社が強くなれば。福岡の地方で生まれた中小企業でも、世界で通用することを示して、夢を持ってチャレンジする人たちに勇気を与えられたらいいですね」

義理と人情、ユニークなネーミング、ボヤキズム……独自の戦略でわが道を突き進むキャニコムの快進撃は、まだまだ続きそうだ。

(佐々木 恵美 : フリーライター・エディター)

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