「60代以降に衰える人」が"無意識"にしていること

悲しい様子のシニア女性

脳は「ネクラ」になりやすいので、私たちも対策を考えなくてはいけません(写真:polkadot/PIXTA)
あの孔子によれば「六十にして耳順う」。そんな“精神的な安定期”に入る年代に、実はうつ病というかたちでメンタル不安になる人が少なくありません。厚生労働省の調査(2017年)によると、気分障害患者の31.7%は65歳以上です。
自身の役割や立場、環境に大きな変化が訪れる60代。人生後半への入り口で陥りやすい「負の思考」をどう乗り越えればよいのか。精神科医として多くのシニア世代と向き合ってきた保坂隆さんが「60歳からこれをやめたら一気に老け込むこと」を解説。今回は「中高年がやりがちな不健全思考」です。

脳は「ネクラな臓器」

脳というのは基本的にネクラな臓器です。これは人間に防衛本能がある以上、仕方のないことです。防衛本能とは、身体的危険や心理的脅威に対して自分を守るために働く本能です。人間が狩猟民だったころは、獣に襲われないように神経を張り詰めて狩りをしていたことでしょう。「どうにかなるさ」の楽天家では生き残れないという世界だったと思われます。

何万年もの進化のなかで文明も発達して、身体的防衛本能は衰退していきますが、心理的脅威に関しての防衛本能は、機能活発です。そのために脳は、油断するとすぐに次のような仕事をします。

①過去については、後悔のネタを探し続けます。

②未来については、心配や不安の種を探します。

①に関しては、本来は過去の失敗を繰り返さないようにという防衛本能です。あそこの山の崖には気をつけなくてはいけない、この間は狩りでしくじったが同じ失敗はしないぞというように、本来は生活を前向きにするための教訓的な防衛本能だったと思います。

現代では、後悔や失敗を思い浮かべるたびにネガティブ思考が深まっていくのが特徴です。ネガティブ思考が頭のなかでグルグルまわって、自分への教訓という考えにはいたりません。

②に関しても、未来も安全に平穏に暮らしていくための防衛本能です。台風への備え、寒さへの備え、食料の確保など安心して暮らしていくために必要な未来への準備です。未来への備えは、個人だけでなく家族や地域のためでもあります。

過剰に防衛的になっていないか

ただ、現代ではいろいろな事件のせいもあり、過剰に防衛的になっていく場合があります。情報があふれ、脳が危険信号を出す頻度が増えます。脳は基本、ネクラなので悪いほう悪いほうに考えようとします。脳はこのようにネクラになりやすいのですから、私たちも対策を考えなくてはいけません。

友人のFさんは、早期退職して悠々自適な生活をしています。日課は朝夕の散歩で、コースを変えて歩いています。小学生には「おはよう」「こんにちは」と笑って声をかけていましたが、挨拶を返してくれたのはそのうち半分ぐらいです。とくに女の子は挨拶を返してくれません。

あるとき、挨拶をしたら母親のような人が来ました。そして子どもの手をひいていくときにFさんを睨んだそうです。「自分は不審者と思われていたのか」とFさんはがっかりしました。顔がいけないのか、服装がいけないのか、と妻に相談すれば、「フツーのおじさんだけどね」と笑われます。

Fさんは、落ち込みました。あまり外に出ないようにしようと考えました。一時的に不安にも襲われ、薬も飲むようになりました。脳が防衛的に世間の人に嫌われないようにしようと考えるのは、当たり前のことです。

遠くに住む娘がその話を聞き、「そんなのはバカらしい。どんどん街を歩きなさい」と、ネクラの脳を吹き飛ばすアイデアを考えました。グレーっぽいおじさんファッションをやめ、明るい素敵な服を着るようにしました。

動物の絵がプリントされたTシャツを着て、明るい色のスニーカーを履きました。その姿で歩くと、小学生の挨拶返答率が少し高まったそうです。地域の人がどう思ったかはわかりませんが、家族の評判は上々です。

脳をネクラにしないためには、脳の環境を整え、脳の裏をかくようなアイデアが必要なのかもしれません。自分の気に入った服を着たり、自分へのご褒美に美味しいものを食べたり、マッサージへ行って気持ちよくなるのも、脳にやる気を出させる方法です。

ネガティブ思考とポジティブ思考の「違い」

ものごとをよくないほうばかりに考えることをネガティブ思考といいます。

医者に「血糖値が高くなっています。気をつけましょう」と注意されると、自分は糖尿病になるのかと、その病で苦しんでいる親族、知人を思い出します。食事は制限されるし、食事のたびにインスリンを打つ。あげくに目が見えなくなったり透析したりしている人もいるなあと、未来を暗く思い描きます。これは極端な例ですが、こういうふうに考えて落ち込むのがネガティブ思考です。

それではポジティブ思考とは、どういうものでしょう。「糖尿なんて、よくある病気じゃないか。たいていみんな糖尿だ。心配することなんかないさ」と明るく前向きに考えようとします。こういう方はけっこういらっしゃいます。明るく前向きなのですが、お酒を控えることも食事を見直すことも得意ではなく、自分流に突き進んで病気を悪化させるタイプです。

糖尿病の悪化を心配しすぎてお酒を飲まないようにしているネガティブ思考の人に、先のポジティブ思考の人が励ましを言うことがあります。「オレだって血糖値が高いぞ、心配するな、大丈夫だ。石を投げれば糖尿病の人にあたる時代だ」とお酒をすすめます。そうしてネガティブ思考の人もポジティブ思考になりました。めでたし、めでたし……。

これはいい話でしょうか。これらネガティブ思考もポジティブ思考も正しい根拠に基づいていませんし、論理的ではありません。こういう考え方を「不健全思考」といいます。

正しい根拠に基づく「健全思考」

不健全思考とは、①事実に基づいていない、②論理性がない、③人を幸福にしない、この3つの考え方です。では、どんな思考がいいのでしょうか。それが「健全思考」です。健全思考の考え方は、正しい根拠に基づいて論理的に考えることです。冷静に自分のなすべきことを考えるのです。

ネガティブ思考、ポジティブ思考というのは、感情思考だと私は考えます。悪いほうに考えて落ち込む、よいほうに考えて前向きになるのは、感情的な流れですね。でも、事実はどこにあるのか考えましょう。

健全思考とは、自分の「糖の数値が高い」という事実に、本格的な病気にならないための対策を感情ではなくエビデンス(裏付けのある客観的事実)のある方法で対応することです。

たとえば、禁酒ではなく適量を飲む、飲まない日もつくる、食事内容を見直す、なるべく階段を利用し歩くことを心がけるなど、自分でやれることはやっていきます。

こんな当たり前のことなのですが、ときどき私たちはネガティブ思考にとらわれたことをポジティブ思考で乗り切ろうとしてしまいます。これらの不健全思考を健全思考に変換する練習を「論理療法」といいます。臨床心理学者のアルバート・エリスが提唱した療法です。今ある認知療法より古くから用いられてきました。

たとえば、あなたが知り合いと街ですれ違い挨拶しようとしましたが、相手はあなたに目を向けないで通りすぎました。あなたは、無視されたようで心が悲しくなります。先に話したように脳はネクラですから、ネガティブ思考が発動して、「私は嫌われている」という結論を出します。

ポジティブ思考と健全思考の違いは?

一方、ポジティブ思考で考えると、「あんな人に挨拶してもらわなくても平気だわ」「もとから嫌なやつだと思っていた」と、自分を相手より高くもっていきがちになります。これを健全思考で眺めてみましょう。

『精神科医が教える60歳からの人生を楽しむ忘れる力』書影

相手は、あなたに気がつかなかっただけかもしれません。なにか心にとらわれていることがあったのかもしれません。ご家族が入院していて、症状が深刻だという診断で心が悲しみでいっぱいだったり、心配事で余裕がなかったのかもしれません。

街をゆく人がみんな他人に気を配って歩いているわけではありません。人はそれぞれ事情がある、そういうふうに考える癖をつけることが健全思考となります。今あげた例のように、挨拶を返してくれなかったという悪感情が残り、嫌な気持ちを忘れられない人もいます。そうではなく、さっと論理思考を働かせ、挨拶されなかったことなど「まっいいか」と忘れることが大事なのです。

他人が黙っているのを見て、怒っているのだろうと決めつけたり、そっけない態度をされたら嫌われていると思い込んでしまう。そんなふうに感情でものごとを決めつけないで、健全思考を起動させることがとても大切です。

(保坂 隆 : 聖路加国際病院診療教育アドバイザー)

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