日本銀行の独立性を殺したのはいったい誰なのか

8月7日に函館の金融経済懇談会で株価暴落後の火消しに走った日銀の内田真一副総裁(左)。筆者は「日銀史に禍根を残した」と主張する(写真:ブルームバーグ)

日本銀行は、今回の利上げをめぐって起きた一連の大騒動で、1998年に獲得した悲願の「中央銀行の独立性」を自ら失ってしまった。

これは誰のせいなのか。誰によって、日銀の独立性は殺されてしまったのか。それは「世間」である。

株価大暴落後、火消しに走った日銀・内田副総裁

7月30~31日の金融政策決定会合後の記者会見(31日)で、植田和男総裁はこれまでの説明を一変させた。

「為替変動はリスクであり、それに対応するために利上げする」「今後は、物価見通しが見込みどおり順調なら、利上げを継続する」「少なく見積もっても1%までは利上げしても、中立金利にまで届かない」などなど、これまで慎重すぎるほど慎重、あまりにハト派だったのが、雰囲気一変となった。

これに驚いたトレーダーたちは、積み上がった円の投機売りポジションを解消し、円キャリートレードは一気に巻き戻され、それは世界のリスク資産市場全体を暴落させた。ビットコインなどの暗号資産まで暴落したのである。

8月2日のアメリカ7月雇用統計がたまたま予想よりも弱いほうに振れたなどの要因も重なって、円安の巻き戻しがさらに加速。急激な円高、日本株の大暴落となった。

これに慌てた日銀は8月7日、函館で行われた内田真一副総裁の金融経済懇談会を利用して、火消しの記者会見を行った。「株価と為替が混乱している間は、利上げはしない。円安による物価上昇リスクは、円安の急激な解消によってなくなった」などと説明した。

まさに豹変である。念押しのように、これは個人的な見解でなく、日銀の見解であり、植田総裁も共有しているという趣旨の発言を行った。これを受けて、為替は円安へ反転、株価も急上昇した。

決定会合終了後の植田総裁の記者会見どころか、決定文そのものに書き込んである金融政策の決定を、副総裁の講演の記者会見で否定してしまい、それは総裁も共有していると、断言してしまったのだ。決定文には、以下のように書いてある。

「先行きの経済・物価・金融情勢次第であるが、現在の実質金利がきわめて低い水準にあることを踏まえると、今回の『展望レポート』で示した経済・物価の見通しが実現していくとすれば、それに応じて、引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していくことになると考えている」

「株価と為替で金融政策は左右される」と述べた日銀

このような批判を想定してか、内田副総裁は以下のようなコメントもした。「『先行きの情勢次第』と書いてあり、情勢が変わったのだから、金利引き上げの見通しも変わって当然だ」。

しかし、それはまったくの間違いだ。今まで日銀は、経済・物価・金融情勢に株価はもちろん関係ないし、為替でさえ直接は入らない、と繰り返し主張してきた。物価次第であり、物価がほぼすべて、それと景気情勢、と言ってきた。それがいきなり、株式市場が不安定な間は利上げしない、と宣言してしまったのである。

今回の株式市場は確かに大混乱であった。しかし、株価は乱高下はしているが、大暴落のあと回復したし、銀行システムに不安はない。金融情勢とは、本来は金融システム不安のことであるのだが、今回の金融市場の混乱とは株価だけの話であるのに、これに対応して利上げはしないとしたのである。

円安修正もペースはものすごかったが、水準で見れば依然円安であり、年初よりはなお円安水準にある。しかも、これで7月31日の利上げは為替によるものだったと告白してしまった。そして、今後の利上げの必要性も、円安が進まなくなったから遠のいたと言い、今後の利上げも円安次第と言ってしまったのである。

しかも、利上げ決定から1週間以内に。次の政策決定会合も経ずに、決定文に書き込んだことも否定してしまったのである。個人的見解として述べつつも、しかし、情勢が変わったのは植田総裁とも共有しているから、同じ判断だと言ってしまった。これでは、決定会合は意味がない。内田副総裁発言だけを見ていればいいことになる。

今は、株価は戻った。8月7日の記者会見での(内田副総裁の)発言はすべてまた変わり、7月31日に戻るのだろうか。

日銀は、いつから株価を支えるために金融政策を行うようになったのか。2008年のリーマンショックのように世界金融システムが崩壊危機にあるわけでもなく、2011年の東日本大震災のように経済・社会が困難に直面しているわけでもない。株価が乱高下しただけなのだ。日銀史上初、少なくとも1999年に独立性を得てからは、初の出来事である。

世間に怒られ、変わった日銀

いったい、日銀に何があったのか。「世間」に「怒られた」からである。

もともと、その気配はあった。7月31日の植田総裁記者会見のときも、ハト派から急にタカ派に変わったように見えた。政策の中身というよりも、説明の仕方だ。

メディアでは「自民党の有力者や大臣あるいは首相までもが、円安に関して苦言を呈したからではないか。それが理由で利上げしたのではないか」と言われた。市場の催促もあった。

利上げ期待が海外で7月初めに高まった。しかし、国内勢は当初、メディアからの事前の記事が出ないことから、「今回の利上げはないのでは」とみていた。

はたして、31日当日の朝、詳細な利上げの決定の可能性の記事が複数のメディアから出た。その内容は、利上げ決定の内容、説明文と合わせても、事後的にもあまりに事前の報道は正確な「可能性」の「憶測」記事であった。この毎度のリークも政治が関係しているのか。日銀は、これに抗議しないのか。

政治、市場に迫られて、日銀はこれに屈したのか。私は、そうではなく、政治でも市場でもない「第三の力」「世間」に非難されたからだとみている。

メディアだけでなく、円安がどんな過程で起きているのかもよくわかっていないごく普通の国民から「日銀の政策のせいで、円安で物価高になって本当に困っている」「生活が苦しいのは日銀のせい」とレッテルを貼られ、それに耐えられなかったのである。

元来、日銀という組織には優等生的な風土があり、非常にまじめで誠実な集団だ。信頼できる。その一方で、いやだからこそ、政治のドロドロや市場の「きったはった」には弱い。弱いと言うよりも、毛嫌いしている。

できるだけ、そのような汚らわしいものにはかかわりたくない。経済理論の、金融理論のきれいな世界で、理論的な論理の世界で生きていきたい。そういう人たちである。

一方で、その結果として、屈辱もあった。1985年のプラザ合意以降の急激な円高に対して利下げを迫られ、円高不況の名のもとに、経済自体は不況ではなく、むしろバブルが猛烈に膨らんでいったのに、政治の圧力が大蔵省経由で伝わり、利上げができなかった。土地バブルを早めに潰せなかった。その悔恨がある。「われわれの理論が政治、大蔵省に潰された」と。

だから、1998年に独立性を獲得して以降、このような汚れた政治的判断が入らないように、頑なに「中央銀行は物価の安定に専念する」という理屈を盾として、株式市場はもちろん、為替にもかかわらない、政治的な意向による金融政策への圧力を避けようとしてきた。

「異常な金融緩和をした張本人」にされた日銀

しかし、独立性を得た一方で、ある種の汚れ役を負っていた「大蔵省」という目の上のたんこぶだが、ある種の防御壁を失った。彼らは、マクロ経済理論も金融政策のアカデミックな議論もわからないくせに、「日本経済のために」と言って、以前は政策に圧力をかけてきた。

鼻持ちならなかったが、しかし、日本経済のことを思う気持ちは一緒だったし(手にする理論と視点が違うだけだった)、汚れていても、論理で、理屈で話し合える相手だった。

ところが、独立後、対峙するのは、それらを意に介さない政治家になった。デフレ脱却というかけ声、キャッチコピーに、すべての理論どころか理屈でさえかき消され、異常な金融緩和を迫られた。

それに従うしかなかった結果、株価が上がったことで、世間は「向こうの味方」についた。しかも、日銀が組織的に従ったために、日銀が異常な金融緩和の主体、主役、張本人だと思ってしまった。

今回、今までの政策の反動、ツケが円安や物価高として国民生活を襲ってきたときに、非難はすべて日銀に押し寄せてきた。

日銀は、政治の圧力には忸怩たる思いがあっただろうが、「世間」の圧力にはなすすべがなかった。

これが、財務省ならば「自分たちは未来の国家のために、政治のポピュリズム(大衆迎合的な姿勢)と戦っている。その影響を受けた国民がポピュリズムに染まっていれば、国民がポピュリズム政策を求めれば求めるほど、それは国家の道を誤らせる」と燃えに燃え、世間に批判されればされるほど自分たちの使命が重要だと信じ、アンチポピュリズムに邁進する。

「レッテルの除去」を願った「8月7日会見」

一方、日銀はそれとはまったく違った組織風土で、「理論上正しいことをピュアにやる。ピュアにやるためには、そういう圧力、批判からは無縁でいたい。だから、政治はともかく、世間に怒られることで、自分たちのピュアなよりどころを失うことはできない」。だから、とにかく怒られることは避けるのだ。

これを象徴するのが、7月31日の決定会合の結果発表直前にメディアで流された元日銀の有力者のコメントだ。「今度は、世間に怒られずに利上げができる」。政治にも世間の圧力にもかかわらないために真空地帯を求めて、真空が成立したときだけ政策を動かす。

だからこそ、日銀の利上げだけが理由ではなかったにもかかわらず、株価の大混乱が「日銀の利上げのせいだ」というレッテルを貼られることになった。しかも、それが政治ではなく、世間の認識となってしまったために、そのレッテルを外すべく、8月7日に内田副総裁は7月31日のタカ派的な記者会見を否定し、レッテルの除去を願ったのである。

しかし、これは大いに禍根を残した。レッテルは除去されるはずもなく、間違った歴史認識「日銀の利上げが株を暴落させた」ということは、もはや世間の記憶に永遠に記録されてしまった。

その一方で、したたかな政治家と市場の投機家たちは「日銀は圧力をかければ動く。株価変動、為替変動で金融政策の見通しをころころ変える」という弱みを握ったのだ。

実際に、日銀は「そんなことはない」と否定しようが、今後は市場と政治の圧力に屈しないと心に誓おうが、いったんそういう認識で絡まれるようになったら、もう正直で健全な側は圧力と絡みに歯向かうことはできない。

「現在と未来の日銀」で重い負債を返済するのは困難

今後、日銀が利上げできなくなり、大きく金融政策の修正が遅れるか、あるいは、勇気をもって利上げした場合には「話が違う」と市場の投機家に徹底的に攻め込まれる。市場を混乱させたのは投機家なのに、それを観察した政治家、メディア、そして「世間」は「また日銀がやらかした」と責め立てるだろう。

そして、この根本的な要因を作ったのは、デフレ脱却をキャッチコピーにしたアベノミクス、つまり政治であり、それを実行してしまった異次元緩和にあるのであり、現在の日銀執行部でないのだ。しかし、すべての尻ぬぐい、責任を負わされるのは現在の日銀であり、今後将来にわたって未来の日銀がこの負債を返済していくのである。

しかし、この返済は難しい。今後、財政の問題があるうえに、中央銀行もこれで身動きが取れないとなれば、政府も日銀も死んでしまうかもしれない。

少なくとも、独立性は死んだ。殺したのは、過去の日銀か、今回の記者会見か。いずれにせよ、日銀による独立性の自殺なのである。

(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)

(小幡 績 : 慶応義塾大学大学院教授)

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