東武日光線「ギリギリ埼玉県内」の3駅に何がある?

東武日光線 JR宇都宮線 直通列車

左が東武日光線の栗橋駅。ちょうど鬼怒川温泉行きの特急がJR線から転線するところだ(撮影:鼠入昌史)

都心から地下鉄直通の列車もやってくる北端の駅、南栗橋。いささか時間はかかっても、少なくともこの駅までは東京都内から乗り換えナシでたどり着く。東武スカイツリーラインから日光線に入って、3つ目の駅だ。

そして、さらに東武日光線を北へ北へと旅しようと思うなら、10両のロング編成列車から4両編成に乗り継ぐことになる。いよいよ、都心直結ではないエリア。駅を預かる管区も、「東武栃木駅管区」だ。そろそろ本格的に北関東の香りが漂ってくる……。

埼玉にある栃木駅管区の駅

と、言いたいところだが、南栗橋駅を出てからの3駅は、まだまだ埼玉県の駅である。

最初の駅は栗橋駅。よくよく考えれば、南栗橋があるのだから栗橋があって当たり前。というより、本来的には栗橋駅のほうが地域にとっては中心的な位置づけのはずだ。

実際、栗橋駅ではJR線と接続しているし、駅の東側、少し離れた所には旧日光街道栗橋宿の町並みも残っている。源義経の側室で、鶴岡八幡宮での白拍子の舞で有名な静御前の墓もある。南栗橋駅のほうがどうにも知名度が高い印象なのは、都心から通勤電車の終着駅、その一点によるものといっていい。

【写真】かつて日光への観光客輸送でライバル関係だった東武とJRもいまは直通特急を走らせる仲。両社の線路がつながる東武日光線の栗橋から、柳生までの区間にはいったい何がある?(23枚)

ともあれ、栗橋駅である。この駅を預かる駅長の椎名秀樹さんは、新古河駅、柳生駅というギリギリ埼玉県内の3駅を管理する。このあたりは北関東への助走区間、といったところなのだろうか。

東武鉄道 栗橋駅長

東武栃木駅管区東武栗橋駅長の椎名秀樹さん(撮影:鼠入昌史)

「栗橋駅を出るといよいよ田園風景の趣が濃くなってきます。あとは、この区間のイメージは水辺、ですね。利根川を渡ると渡良瀬川の土手沿いに。すぐ脇に堤防が見えて、柳生駅は近くに渡良瀬遊水地もあります。なので、川魚を食べさせる店もあったりする。そういう特徴がある地域を走っています」(椎名駅長)

利根川をまたぐ通勤通学路線

水辺の町ということは、水害との戦いの町という一面もある。車窓からも見える利根川沿いの公園は、1947年のカスリーン台風で堤防が決壊した地点を後世に伝えるための役割を担う。また、柳生駅周辺は2019年の台風19号では避難エリアに含まれ、駅の職員も避難したという。

水辺の町という点を除くと基本的には椎名駅長が預かる3駅は、通学の学生が中心でそこに通勤客が加わるという、典型的な首都圏近郊路線の特徴を持つ。

栗橋駅の近くには埼玉県立栗橋北彩高校が、また柳生駅の近くには開智未来中学・高校がある。開智未来中高には栗橋駅からバスも出ていて、実質的な玄関口は栗橋駅といってもいい。つまり、朝の通学時間帯、栗橋駅はたくさんの学生でにぎわう駅なのだ。

東武鉄道 栗橋駅

東武日光線栗橋駅は埼玉県久喜市にある。JR宇都宮線との乗換駅としての役割も大きい(写真:鼠入昌史)

「あとは、工場の送迎バスも栗橋駅の西口から出ているので、朝は行列ができています。そして何より、栗橋駅はJR線との連絡線があって、直通の特急が東武日光線に入ってくる駅でもあります」(椎名駅長)

JR連絡線がある駅ならではの特徴はほかにもある。

最近で言えばスペーシア Xなど、新造の車両の引き渡しもこの駅でやっているんです。JR貨物さんの機関車で入ってきて、ウチの機関車が引っ張って南栗橋の車両基地まで持っていく。引き渡しは終電後ですが、鉄道ファンの姿もちらほらとありますよ」(椎名駅長)

JR線から東武日光線に直通する特急は、いったんJR構内の連絡線に停車して乗務員が交代。その後、デッドセクションを通過して東武の線路へと転線してゆく。かつて、日光への観光客輸送を巡って激しくぶつかり合った好敵手が、いまはタッグを組んで日光・鬼怒川へ観光客を運んでいるのである。

栗橋駅 JR・東武直通列車

JR・東武直通特急はいったんJR構内に停車して乗務員が交代する(撮影:鼠入昌史)

要衝の駅の1つ隣は?

そんなちょっとした要衝の駅である栗橋駅のお隣は、新古河駅だ。駅名は新古河でも、所在地は古河市ではなく埼玉県は加須市内。駅東口の土手を登って渡良瀬川を渡ると、埼玉県から茨城県に入って古河市の市街地が見えてくる。

「新古河駅周辺は向古河という地名で、歴史的にも渡良瀬川を挟んだ古河の町との結び付きは強かったのだと思います。古河の市街地への玄関口という意味合いもあったのかもしれません」(椎名駅長)

いまは西口には東武系列の住宅地があって、そちらが正面のようになっているが、本来は土手に面する東口が正面だったように思える。東口の駅前では昔ながらの風情ある食堂が営業している。

新古河駅

土手から見下ろす新古河駅の東口(撮影:鼠入昌史)

訪れたときには田舎町の駅のようでとくに人が盛んに行き交うような風景も見られなかったが、そんな新古河駅は8月にビッグイベントを控えている。渡良瀬川の河川敷に設けられたゴルフ場を舞台に行われる、花火大会だ。

新古河駅 花火

新古河駅のトイレは花火をあしらったデザイン。古河の花火大会では玄関口になる(撮影:鼠入昌史)

「コロナ禍で開催できない時期があったので、今年は5年ぶりになるんです。打ち上げのゴルフ場はJR古河駅よりも新古河駅のほうが近く、見物に来られるお客さまの多くも新古河駅を使うと思われます。ですので、臨時列車の運転も予定していますし、当日は管区を挙げて態勢を整えてお客さまをお迎えする準備を進めています」(椎名駅長)

椎名駅長が預かる3駅はいずれも埼玉県の駅だが、古河の花火大会に関する打ちあわせでは県境を越えて茨城県に出向くこともあるし、管区の拠点は栃木県の栃木駅。さらに日中の無人になる時間帯の利用者対応をしている板倉東洋大前駅は群馬県内の駅だ。つまり、椎名駅長は実に4県を股に掛けて仕事をしている、ということになる。

古くからの交通の要衝

利根川に渡良瀬川が合流するこの一帯は、鉄道以前の時代から交通の要衝だった。栗橋の宿場は河川舟運の一大拠点。明治に入り鉄道が開業するまでは、東京・深川との間を汽船が行き来していたという。

鉄道が通ってからも物資の集積地としての機能は衰えず、明治から昭和の初めまでは紡績工場も置かれていた。物流の要の存在感の大きさがうかがえる。いま、栗橋駅を預かる椎名駅長が、4県を股に掛けているというのも、そうした要地であることの名残の1つといっていいのかもしれない。

利根川を渡る東武日光線

利根川を渡る。利根川は埼玉県と群馬県の県境であることが多いが、ここではまだ県境は跨がない(撮影:鼠入昌史)

そしてもう1つ、この地域が県境の入り組んだところであるということを教えてくれるのが、柳生駅である。柳生駅から歩いて10分ほどの田園地帯の真ん中に、埼玉・群馬・栃木の三県境があるのだ。

東武日光線 柳生駅

柳生駅の駅舎。駅の周囲には田園地帯と小さな町(撮影:鼠入昌史)

三県境

田んぼの真ん中にある三県境。山の奥でなく平地にあるのは珍しいという(撮影:鼠入昌史)

「小さくマークされていまして、ちょっとした観光スポットになっていますよ。三県境が平地にあるというのはなかなか珍しいらしくて。昔は川が合流する場所だったようですが、渡良瀬遊水地ができたことで平地の三県境になったとか」(椎名駅長)

柳生駅の一帯は、もともと「北川辺」と呼ばれていた。肥沃な土地で、「北川辺米」と呼ばれるコシヒカリがたいそう美味いそうだ。

「三県境」と渡良瀬遊水地

駅から三県境まで10分ほど歩き、さらに10分ほど足を延ばして土手を越えれば渡良瀬遊水地。渡良瀬川上流、足尾銅山の鉱毒を沈殿させる公害対策を目的の1つに昭和初期に完成した。そのとき、旧谷中村をはじめとするいくつかの集落が水底に沈んだという。

そんな渡良瀬遊水地、2012年にはラムサール条約の登録湿地になった。外国人観光客の姿もちらほらと。いまでは水害から町を守る役割も果たしている。

都心直結の最北・南栗橋駅から少しはみ出した、東武日光線の北関東への助走区間。椎名駅長が預かるこの3駅は、ただ水辺を走っているというだけではない、歴史的にも風景的にも実に大きな意味を持っているのである。

(鼠入 昌史 : ライター)

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