「今忙しい」即答する30代日本人を救う教えとは
なぜみんなイライラしているのか
(ティムから)デレク・シヴァーズは、プロのミュージシャンで起業家だ。大成功した彼のオンラインショップ、CDベイビーについては、前回取り上げた。
今回の記事では、「忙しい」という言葉に対するデレクの反応を紹介しよう。
ティム:30歳の自分になんてアドバイスしますか?
デレク:ロバにはなるな、かな。
ティム:それはどういう意味?
デレク:これまでたくさんの30歳に会ってきた。みんな1度にたくさんのことをやろうとしているんだけど、手を広げすぎて、1つとして成果を上げられてない。
それで彼らは、「世の中は自分にどれか1つの道を選ばせようとしてる、やりたいことを全部やりたいのに」って、イライラしてるんだ。
「どうして選ばないといけないんだ? 何を選んでいいか分からないのに!」
こんな具合さ。目先のことしか見ていないから自然とそういう行動を取ってしまってる、ってことが分からないんだよ。
1週間でやりたいこと全部なんてできっこないだろう? だから期待どおりに進まないんだ。
長い目で見なくちゃいけない。やりたいことのうち1つを、この先数年でやり遂げられるって実感するんだ。
それから次にやりたいことを、その先数年でやってみよう、ってそういう風にずっと繰り返していけばいいんだ。
『ビュリダンのロバ』っていう寓話を耳にしたことがあると思う。干し草の山と、バケツ1杯の水に挟まれて立ち尽くしてるロバの話だよ。
ロバは左の干し草を見て、右のバケツを見て、どちらを選ぼうか決めようとしてるんだ。干し草、それとも水? って具合にね。
デレク:ロバは最後まで、どちらを選ぶか決めかねて、飢えと喉の渇きで死んでしまった。
ロバには未来をよむことができない。もしそれができていれば、まずは確実に水を飲んで、それから干し草を食べただろうね。
だから、30歳の僕に、ロバにはなるなって言いたい。やりたいことは時間をかければ全部やれる。先を見通す目と忍耐力、これを身につけるだけでいいんだってね。
「忙しい」=コントロール不能
デレク:みんな、僕に連絡してきては、必ずこう言うんだよね。「ものすごくお忙しいとは思いますが……」。
そのたびにこう思うんだ。「いいえ、忙しくありません」って。
だってちゃんと時間管理ができているからね。この点に関しちゃ、自信があるんだ。「忙しい」というのは、僕にとっては「コントロールできていない」っていう意味なんだ。
こんな感じかな?「チクショウ、忙しすぎる。これをする時間が見つからないじゃないか」
僕に言わせれば、こういう人間は、人生をコントロールできていないんだよ。
(ティムから)時間が足りていないのは、優先順位をつけていないからだ。仮に僕が「忙しい」としたら、それは自分でそうなるように仕向けたからだ。
だから僕は「調子はどう?」と聞かれたら「忙しい」と答えないようにしている。不満を言う権利なんてないんだから。
代わりに、もし僕が忙しすぎるとすれば、自分のやり方やルールを見直す良いきっかけになる。
デレク:僕はずっと、いわゆるタイプA(競争的で攻撃的で過剰に活動的な性格)の人間だった。
ロスに住んでた頃、友人からサイクリングに誘われたんだ。サンタ・モニカの海のすぐそばに住んでたんだけど、40キロくらい続いてる、広いバイクレーンがあってね。
僕はいつでも重心を低くして、こぎ始める。息を切らして、真っ赤な顔で、できるだけめいっぱい、こいでこいで、こぎまくるんだ。
レーンの端まで行って、また戻ってくる。それから家に帰るんだけど、毎回小さなタイマーで時間を計ってた。
いつも43分かかることに気づいたんだ。どれだけ速くこいでも、43分かかる。
そして続けるうちに、自転車に乗ることを少し億劫に感じている自分に気づいてしまったんだ。
自転車に乗ることを考えると、いやな気持ちになって、つらい仕事に取りかかるときのようになってるな、って。
それでこんな風に気持ちを切り替えたんだ。
デレク:「ちょっと待て。自転車に乗ることをネガティブなことに紐づけるなんてもったいないじゃないか。少し落ち着けよ、ってね。今日は、同じ道を、カタツムリみたいにゆったりと進む必要はないけど、いつもの半分のペースでこいでみよう」
そんな感じで出かけていったら、純粋に楽しめたんだ。
たった2分の違いしかなかった
自転車は変わってないのに、上体を起こす余裕がでてきたり、周りを見渡す回数だって、いつもよりずっと多いことに気づいた。
海に目をやると、海中からイルカがジャンプする姿が見えたりしてね。
それからいつもの折り返し地点、マリナ・デル・レイ(世界最大のマリーナの1つ)まで下っていったところで、真上を旋回するペリカンの姿が目に入った。
僕はこんな気分で見上げたんだ。「やあ、ペリカンじゃないか!」。
そいつは、僕の口の中に糞を落としやがった。
つまり、僕が言いたいことはこうなんだ。とても素敵な時間だったし、心から楽しめた。真っ赤な顔も、荒い息遣いもそこにはなかった。
それから終点について時計を見ると、45分しか経っていなかったんだよ。
「これはどういうことだ? いつもの43分は何だったんだ。そんなはずはない」
だけど、間違いじゃなかった。かかった時間は45分だった。
このことは、それ以来、物事に取り組む僕の姿勢を変えるきっかけになった、とても奥の深い学びとなったんだ……。
考えれば分かることなんだけどさ。それが何であれ、僕が顔を真っ赤にしながら、息を切らしてハァハァ言っても、それを、ものすごくストレスに感じていても、そのストレスが生んだものはたった2分の差でしかなかったんだ……。
それってほとんど意味がないと思わない? そして思った。
人生のあらゆる場面で最大限の力を出すこと――たとえば、あらゆるものから最大限のお金を引き出そうとか、毎分毎秒全力を出し尽くすとか――こんなことにストレスを感じる必要なんて、まったくないと。
それ以来、正真正銘、僕はこのスタイルを、生活に取り入れるようになった。何かに取り組むとしても、ストレスを感じる前にやめてしまうんだ。
心の中で、「あぁ」とうめいている自分に気づくことがあると思う。
それが僕にとってのサインなんだ。それを、身体に感じる痛みのように扱ってあげるんだよ。
今僕は何してる? 自分を傷つけるようなことはやめる必要があるんだ。それって何だろう?たいていの場合、何かにシャカリキになりすぎていたり、本当はやりたくないことを、イヤイヤやっているときなんだよね。
(ティム・フェリス : 起業家、作家)
06/30 15:00
東洋経済オンライン