任天堂、「脳トレ」をヒットさせた驚きの海外戦略

任天堂DS

2005年の春に発売された「ブレーンエイジ」はこれまでと違い、日本のDSの売上に永続的な影響をもたらしていた(写真:しん/PIXTA)
2005年に発売され大ヒットとなった「脳を鍛える大人のDSトレーニング」。日本でのブームに胸を踊らせた任天堂の岩田聡氏とレジー・フィサメィ氏はこのゲームの西洋マーケットでのローカライズに取り組む。
アメリカ任天堂社長となり、ゲーム業界の歴史において最も強力な人物の1人となったレジー・フィサメィ氏。5月22日、彼の35年間の人生とビジネス哲学をまとめた『崖っぷちだったアメリカ任天堂を復活させた男』が発売された。言語や文化の壁を乗り越えようとする挑戦について、本書より一部抜粋のうえ、再構成してお届けする。

「脳を鍛える大人のDSトレーニング」の大ヒット

任天堂にいた頃の私にとって、新たなフェーズへの入り口となったのが、「ブレーンエイジ」(脳を鍛える大人のDSトレーニング)の開発と発売だ。私がより積極的に構想をプッシュしたことで、西洋のすべてのマーケットに結果をもたらすことになる。

『崖っぷちだったアメリカ任天堂を復活させた男』書影

2005年の春に発売された「ブレーンエイジ」はこれまでと違い、日本のDSの売上に永続的な影響をもたらしていた。このゲームではタッチスクリーンとマイクを使ってパズルを解く。日替わりのパズルを解きながら自己チェックして自分の「脳年齢」を知り、ゲームをしながらこの年齢を下げていくのだ。

「ブレーンエイジ」は、川島隆太教授の研究が基になっている。川島教授は脳科学者で、日本の東北大学の教壇に立ち、研究を行っている。彼の研究は書籍化され、脳年齢の理論や様々なパズルを売りにして、日本でベストセラーになった。

任天堂のゲーム「ブレーンエイジ」は、岩田氏と川島教授が教授の理論をゲームにどう活用するか、アイディアをブレーンストーミングした結果生まれたものだ。このゲームは5カ月足らずで開発され、2005年5月19日に日本で発売された。

ビデオゲームでパズル、算数、音読など、本来なら楽しくないはずのエクササイズを楽しく変えた以外にも、「ブレーンエイジ」とそれがもたらす結果は、様々な面でこれまでと違っていた。

このゲームのターゲットは、これまでビデオゲームをやったことのない人たちだ。こうした人たちはニンテンドーDSを持っていないため、ゲームをするには子どもや孫から借りるしかない。その後も引き続きこのゲームソフトを楽しむために、自分用のハードウェアを購入する。これは大きな買い物になるはずだが、日本のマーケットで実際にこうした現象が起きていた。

程なくして、親がDSをずっと使っていて困るという子どもたちの苦情が出始めた。「ブレーンエイジ」をずっと楽しみたいのなら、自分でDSを買ってほしいと子どもたちが親に訴え、それが功を奏したというわけだ。

ゲームのローカライズの難しさ

この結果に胸を躍らせた岩田氏と私は、「ブレーンエイジ」を西洋マーケット向けにどうローカライズするか話し合ったが、多くの課題が浮き彫りとなった。そもそも、西洋では手書き文字を認識できる既存のモデルがない。日本は文化的に同質化しているため、手書きを認識するマーケット向けのツールセットはすぐに作ることができるが、西洋では数字1つにしても手書きのパターンが様々なのだ。

NOAでテストプレイしたところ、様々な書き方があった。スピードがブレーンテストの重要な要素なだけに、ソフトウェアが様々な手書き文字を直ちに認識する、プロプライエタリ(システムの仕様や技術を独占的に保持し、情報を公開しないこと)・ツールを作る必要がある。

しかも音声認識にも同様のことが必要で、プレイヤーが声に出して読む日本発オリジナルの「ブレーンエイジ」と同等のモジュールを付けなければならない。つまり西洋マーケットのもう1つの困難は、言語の数だ。私の管轄地域だけでも、英語、スペイン語、ケベック系フランス語、ブラジル系ポルトガル語のバージョンが必要で、ヨーロッパのビジネスにはさらに多くの言語が必要になる。ソフトウェアをこれらすべての言語にローカライズするには、時間がかかる。

最大の問題は、「ブレーンエイジ」の価値を消費者にどう伝えるかだ。日本では、川島教授と彼の掲げる理論は非常によく知られていた。任天堂は販促グッズに彼の名前を入れて、ゲームの中ではプレイヤーに指導したり交流したりするキャラクターとして、ずんぐりした彼の顔を使った。だが日本以外の国では、これに関連する商品などまったく紹介されていなかった。

私たちのマーケットで人気が出ていたのは、数独という数字を入れ替えるパズルだ。数独パズルは大手の新聞でもクロスワードパズルと並んで掲載されつつあり、数独専門の本がベストセラーになっていた。多くの人が数独のパズルを解くことが記憶力の改善につながると考え、西洋では特に年配の消費者に大きな人気となっていた。

私は岩田氏に、「ブレーンエイジ」の西洋バージョンに数独を加えることを提案した。「ミスター・イワタ、うちのマーケットで『ブレーンエイジ』の魅力が伝わるか不安です」と私は切り出した。「川島教授は西洋では名を知られていません。日本では教授のこれまでの研究を使って、『ブレーンエイジ』というソフトウェアを認知させることに大成功しました。

ですが、こちらではそこまでの成功は見込めません。しかも日本の文化的な事情がこちらとは違います。日本では50歳以上の人口比率が、こちらを断然上回っています。アメリカやカナダとか、特にラテンアメリカで私が管轄するマーケットでは、購買層は大きく違い、若い人口がはるかに多いのです。うちのマーケットではこのゲームソフトについて、違った観点から考える必要があります」

「そこで、ゲームソフトを西洋向けにローカライズする際、数独を加えたいと考えています。こちらでは数独が大流行していて、数字のパズルが年配に人気ですから、ターゲットオーディエンスとして見込めます。しかも若い世代もパズルを楽しんでいますから、彼らにも届くはずです」

すぐに岩田氏はこう答えた。「レジー、『ブレーンエイジ』は川島教授の研究に基づくものだ。教授の本をヒントにアクティビティをデザインして、これを本人に納得してもらうまでかなり時間をかけて粘ったんだ。教授が数独を研究に使ったことがあるかもわからない。君の提案は実現が難しいだろう」

岩田氏は個人的に難しいアイディアだと考えているようだった。「ブレーンエイジ」を手掛ける際、彼はまず川島教授と会って、アイディアについて話をすることから始めていた。きっと任天堂が「ブレーンエイジ」のコンセプトをどう表現するかを、細かく説明したことだろう。岩田氏と仕事をするようになって数年後に知ったのだが、彼が笑顔をやめて、長めに間を置いてアイディアに反応するのは、それを気に入っていないからだ。それでも私はこう続けた。

「ミスター・イワタ、数独についての研究素材は、川島教授の理論と合致しています。頭のエクササイズを短時間集中して行うことは、記憶力の改善につながるようです。教授にそれを伝えて、これが西洋にとって意義がある理由を説明すれば、わかってくれるのではないでしょうか」

今の私の説得を聞いて、岩田氏の中でこのアイディアを川島教授に持っていって、どうやって支持を取り付けようかと考えているのが見て取れた。

アイディアを紹介して、いきなりその場で決断を迫るのは馬鹿げている。このアイディアについて、岩田氏に時間をかけてじっくり考えてもらうことにした。それでもいつも通り、メールやビデオ会議でのコミュニケーションになると、私は数独や川島教授との話がどう進んでいるか常に尋ねるのだった。

数週間足らずで私は岩田氏から回答を得た。川島教授が数独を追加することに積極的に同意してくれたとのことだ。NCLのデベロッパーも、西洋で「ブレーンエイジ」をできる限り魅力あるものにするにはどうすればいいか考えていただけに、これを聞いて胸を躍らせた。

大切なのは仲間を作ること

新しく刺激的なアイディアを売り込む際は、仲間を作ることが必要だ。様々な角度からアイディアをプッシュすることによって、最終的な意思決定者が構想を支援してくれる可能性が高まっていく。

逆にあなたが最終的な意思決定者で、多くの部下がアイディアを提唱している際は、彼らが議論を重ねて団結しているかどうか、確認しておくことをすすめたい。

(レジー・フィサメィ : アメリカ任天堂元社長兼COO)

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