任天堂を「ゲームの覇者」と捉える人に欠けた視点

任天堂

なぜ、日本の電機メーカーは失墜し、2000年代初頭低迷をきわめていた任天堂は復活し成功したのでしょうか(撮影:田所千代美)
日本が「ものづくり大国」であり「テクノロジー立国」してきたのはもはや遠い昔のこと。現在、プラットフォームビジネスで世界的に成功している日本企業は、ゲーム分野の任天堂とソニーくらいでしょう。そう語るのはジャーナリストの佐々木俊尚氏だ。
なぜ、日本の電機メーカーは失墜し、2000年代初頭低迷をきわめていた任天堂は復活し成功したのか。ゲーム業界にとどまらず、日本企業全体が学ぶべきことが詰まっているという『崖っぷちだったアメリカ任天堂を復活させた男』について、佐々木氏に話を聞いた。

任天堂は「何がうまかった」のか

製造業をはじめ、あらゆる産業は「つくる人」と「売り方を考え、展開する人」の両輪で成立しています。任天堂の成功というと、ゲームクリエイターにスポットライトが当たる場合が多いのですが、優れたゲームコンテンツさえあれば、ゲーム会社が成功できるわけではありません。

『崖っぷちだったアメリカ任天堂を復活させた男』書影

ゲームは今や「プラットフォームビジネス」であり、いかにユーザーのニーズに応えるプラットフォームを整備するか、あるいはプラットフォームを通じて新しい価値を提供するかというのが、非常に重要かつ難しいテーマなのです。

本書は、ゲーム会社の成功ドキュメント本には珍しく、その点に光を当てた良書です。P&G、ペプシコなどのアメリカ企業でマーケターとして実績を積み、アメリカ任天堂の社長兼COO、任天堂本社の執行役員を務めた著者だからこそ書けた本でしょう。

任天堂は、まさしくプラットフォーム構築において苦心してきた企業です。しかも単にアプリのプラットフォームであるだけでなく、ハードウェアが一体化している。となると当然、ハードウェアの形状も、そのつど慎重に検討しなくてはいけません。

テレビに接続するのか、それとも単独で動作するスタンドアローンなのか。あるいは画面の大きさはどうするのか、画面はいくつ設けるのか。

たとえば、2007年発売のWiiは、それまでテレビの個室化が進んでいたところに大画面の薄型テレビが登場したことで、ふたたび家族がリビングに集うようになるという時代背景に見事にマッチしました。

さらに2017年に発売されたNintendo Switchは、手で本体をもって遊ぶ携帯ゲーム機としても、ゲームをテレビ画面に表示させる据え置き型ゲーム機としても使えます。こういうハードウェアは今までありませんでした。

任天堂は、その時々に求められているプラットフォームは何なのかということを的確に捉え、テクノロジーを駆使して応えてきました。「スーパーマリオ」「ゼルダ」など名だたる名作ゲームもさることながら、「プラットフォームとハードウェアの融合」という非常に難しいテーマに挑み、ものすごい機動力をもって新しいものを世に送り出してきたことこそ、任天堂の成功の鍵と言っていいでしょう

よく言われる「優秀なゲームクリエイターが優れたゲームを生み出してきた」というのは、任天堂の一面に過ぎません。「優れたプラットフォームの上で、優秀なゲームクリエイターが優れたゲームを作ってきた」のが任天堂という企業なのです。本書を読むと、そのことがよくわかります。

また、高画質化に走ったりゲームの難易度を極端に高めたりと、コアなゲームファンに追随したことでかえって失速してしまうというのは、ゲーム会社が直面するジレンマの1つです。

しかし任天堂はその道を歩まず、あえて一般ユーザーのレベルに合わせ続けるという方針を貫いてきました。定期的に新しいプラットフォームをリリースし、またゼロから一般ユーザーにもわかりやすく遊びやすいものを生み出してきたという点でも、優れた経営判断を下してきました

医学博士の川島隆太氏監修の「脳トレ」ゲームなど、コアなゲームファンに目が向いていたら絶対に出てこない発想でしょう。ちなみに本書では、この「脳トレ」のアメリカでの販売戦略にも言及されており、ローカライズの難しさが垣間見られたのも興味深い点でした。

「原点に立ち返る」という先見の明

2000年代、日本の電機メーカーが軒並み失墜した一大要因は、テレビなどの家電のコモディティ化が進む中で新製品の方向性を見失った挙げ句、極端な高性能化、多機能化という「差別化のための差別化」に走ってしまったことでした(コモディティ化=消費者にとって、メーカーごとの性能や品質などに大差なくなっている状態)。誰も使わない、どうでもいいような機能を付与したことが使いづらさにつながり、それが消費者の日本メーカー離れを招き、よりシンプルな中国製や韓国製へと向かわせてしまったわけです。

イノベーションはどこかの時点で必ず壁にぶち当たります。最初は差別化が機能して「勝つ」ことができていた企業でも、新規参入が増えるごとに過当競争に巻き込まれるのが常です。そんな中で、いかにビジネスを展開するかという点で、2000年代に刊行されたうち最も優れたビジネス本が、『イノベーションのジレンマ』と『ブルー・オーシャン戦略』の2冊でした。

本書には、当時、任天堂本社の社長だった岩田聡氏と著者のレジー・フィサメィ氏が、この2冊を教科書として任天堂が次に打つべき手を検討した様が記されています

当時、任天堂の最大の競合相手だったPlayStationとXboxは、従来の方向性のまま高画質、高性能化する道を歩んでいました。同じく高性能化の道を選べば、以前よりもいっそう激しく、従来のゲームファンを競合2社と奪い合うことになるのは必至です。

そこで任天堂は、あえて「使い勝手のよさ」に照準を合わせ、ゲーム分野のブルー・オーシャン、すなわち今までゲームなど触ったこともないような若い女性や中年女性にアピールできるゲームを作る道を探りました。それが功を奏したことは、言うまでもないでしょう。

任天堂は、2冊の教科書に記されている教訓を地で行くことで、見事にイノベーションのジレンマを乗り越え、ブルー・オーシャンの開拓に成功しました。かのソニーを含めた日本企業のなかで、これができたのは任天堂だけでしょう。「ゲームの本分は高性能や高画質ではない、おもしろければいいのだ」という発想に立ち返ったところに、任天堂の先見の明がありました。

「ゲームだけは独り勝ち」の日本の課題

現在、プラットフォームビジネスで世界的に成功している日本企業は、ゲーム分野の任天堂とソニーくらいでしょう。それぞれの成功への道のりは方々で語られています。しかし、なぜ、ゲームを主力商品とする2社だけがうまくいき、その他の日本企業はうまくいっていないのかについて深く掘り下げた分析は、いまだに見かけたことがありません。

1つ、ゲーム自体にユニバーサルな魅力があるから世界展開できたというのは挙げられますが、それだけではないでしょう。特に任天堂の場合は、「ゲームの魅力+プラットフォームとしての魅力」という相乗効果が大きいと思います

ではなぜ、ゲームの分野だけで日本はプラットフォームビジネスに成功しているのか。逆に言えば、なぜゲーム分野以外のところのすべてにおいて、日本はプラットフォームビジネスで失敗しているのか。

たとえば、日本製SNSのmixiは、Facebookが登場するとあっという間に取って代わられてしまいました。また、モバイルゲーム、ソーシャルゲームのプラットフォームとして一気に台頭したGREEも、Appleのスマートフォンの登場とともに大失速しました。

このように、日本発のプラットフォームビジネスも、一応はあった。しかし、すんでのところでお株を奪われるということが続いてきたのです。

それには様々な理由が考えられますが、中でも大きな要因となっているのは、今の日本では「テクノロジーに対して後ろ向きの人」が多いことではないでしょうか。すでに最新テクノロジーは身のまわりに溢れているというのに、少しでもテクノロジーの話をしようものなら、「怖い」「大事な何かが失われる」とネガティブな反応を示す。そういう人たちをたくさん見てきました。

しかし時を少し遡れば、戦後の日本は、ずっとテクノロジー立国で生き延びてきたのです。大正生まれの人たちがトランジスタラジオを作り、世界に売って経済発展してきたのが日本という国です。ところが、その子孫である現代日本人は、なぜか「テクノロジー怖い」教に染まっている。それが不思議でなりません。

任天堂を、単なる「ゲーム業界の覇者」として捉えるのは視野が狭すぎます。日本企業として唯一、プラットフォームビジネスで成功していると言える任天堂には、業界や分野を問わず、学ぶところは大きいでしょう

後編(6月18日配信予定)に続く

(構成:福島結実子)

(佐々木 俊尚 : 作家・ジャーナリスト)

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