富士急が買収「西武の遊覧船」小田急にどう対抗?

箱根遊船 箱根海賊船

箱根遊船の「SORAKAZE(そらかぜ)」と箱根海賊船(記者撮影)

箱根の芦ノ湖は船上から箱根の名所や富士山などの眺望が楽しめるとあって、2つの遊覧船が運航している。1つは双胴船タイプの「箱根遊船」、もう1つは「箱根海賊船」である。両者は乗客の獲得でライバル関係にあるが、その構図に変化が生じている。

箱根遊船はかつて西武グループが「芦ノ湖遊覧船」として運航を行っていた。1961年には優れた安定性と船体2隻分の広さを持つ双胴船を日本で初めて就航。視界360度の展望甲板に加え、大きな窓からは客室に座ったまま外の眺望を楽しむことができた。繁忙期には定員700人の客室が満員になったという。

これに対抗したのが、小田急電鉄グループが運営する海賊船。大航海時代の帆船を思わせる遊び心がたっぷりとデザインされた遊覧船が1964年に就航すると、あっという間に子供たちの心を鷲掴みにした。船内の至るところにクラシカルな装飾が施され歩き回るのも楽しい。

人気の高い「海賊船」

両者の周遊ルートはやや異なり、箱根遊船は箱根関所跡港→元箱根港→箱根園港→箱根関所跡港をめぐり所要時間は約40分。海賊船は桃源台港→箱根町港→元箱根港→桃源台港を約70分かけ周遊する。

コロナ禍前における両船の利用者数を比べると、箱根遊船は約41万人(2017年度)。海賊船の利用者数は非公表だが、箱根登山電車→ケーブルカー→ロープウェー→海賊船→登山バスを乗り継いで箱根の観光スポットを周遊できる「箱根フリーパス」は2018年度に95万枚発行されている。

フリーパス利用者の大半が海賊船に乗船しているとみられ、さらにフリーパスを必要としないマイカー利用者や団体客が乗船していることを考えれば、海賊船の利用者数はフリーパス発行枚数よりも多いと推測される。

【写真】甲板に広がる天然芝、船尾に蔦、客室にはハンギングチェアーも。箱根遊船「SORAKAZE」のユニークなデザイン(16枚)

海賊船はその人気の高さから数年おきに新造船を投入しており、2019年には鉄道デザインで名高い水戸岡鋭治氏がデザインした新たな海賊船「クイーン芦ノ湖」が就航した。水戸岡氏は豪華観光列車「ななつ星in九州」のデザインで知られ、同船にもななつ星を思わせるデザインが随所に施されている。内装は「女王陛下の宮殿のような感じ」(水戸岡氏)といい、海賊船というよりも豪華客船という表現がぴったりくる。

クイーン芦ノ湖 外観

箱根海賊船の「クイーン芦ノ湖」。水戸岡鋭治氏がデザインした(撮影:尾形文繁)

クイーン芦ノ湖 船内

「クイーン芦ノ湖」の船内(撮影:尾形文繁)

船内だけではなく、外に出ても「見張り台」が8カ所もあり、「映画『タイタニック』で、船首で腕を広げて風を感じるシーンを再現できます」(水戸岡氏)。インスタ映えする場所をたくさん作ろうという狙いがある。建造費は12億5000万円。従来の海賊船の建造費をおよそ2億円上回った。

富士急の買収で「遊船」テコ入れ

これに対して、西武グループは2004年の有価証券報告書虚偽記載問題に端を発した上場廃止もあり資金調達がままならず、設備投資を抑えてきた。そのため1980年代に製造した船舶がほぼそのまま使われていた。窓は大きいとはいえ、客室には国鉄時代を思わせる座席が無機質に並んでいた。

状況が変わったのは2023年3月。富士急行が西武グループの遊覧船事業を買収し、箱根遊船として運営を始めたのだ。富士急は河口湖をはじめとした富士山の周辺で事業展開を行っており、富士山の眺望が売り物となっている箱根への進出は悲願ともいえた。その箱根進出をアピールするためにインパクトのあるものを創りたい。そして実行に移したのが、船舶のリニューアルであった。

富士急が新たな遊覧船「SORAKAZE(そらかぜ)」のデザイナーに指名したのは建築家の川西康之氏。「WEST EXPRESS(ウエストエクスプレス)銀河」「やくも」「雪月花」など鉄道車両のデザインで知られるが、瀬戸内海を走る観光型クルーザー「SEA SPICA(シースピカ)」や世界初の次世代内航電気推進タンカー「あさひ」など船舶デザインの実績も豊富である。

川西康之氏

箱根遊船の「SORAKAZE(そらかぜ)」をデザインした川西康之氏(記者撮影)

そらかぜの製造のベースとなった船舶は1985年竣工の「はこね丸」。これをどのように改造するか。「富士急らしい船を造ろう。では、海賊船とは違う富士急らしさとは何か」。川西氏のデザインはこの問いかけから始まった。

富士急は鉄道事業を営むが、事業の主力は富士急ハイランドを中核とするレジャー・サービス業だ。そこで思い至ったのが、富士急ハイランドは森を切り開いて造ったのではなく、溶岩の台地に土を入れ、木を植え、緑豊かな遊園地にしたという事実。「そうだ。自然、緑をテーマにしよう」。

そしてできあがったコンセプトが「芦ノ湖に浮かぶ緑の公園」である。船の甲板を緑あふれる公園にするという大胆なアイデア。これなら海賊船との差別化も図ることができる。

箱根遊船はるかぜ 船尾

船尾に蔦を生やしたそらかぜ(記者撮影)

甲板には天然の芝生が

甲板には芝生を育成し、船尾には蔦を生やした。普通の人が思い浮かべる遊覧船のイメージとは明らかに異なる驚きのコンセプトだ。それだけに、実現までには紆余曲折があった。芝生については天然芝と人工芝のどちらを採用するか。天然芝は手入れの手間がかかるし、人工芝は紫外線による劣化でダメージを受けると、繊維が雨で流れたり風で飛ばされたりして湖に流れ出てしまう。

そらかぜ 船尾の蔦

内部から見た船尾の蔦(記者撮影)

箱根遊船そらかぜ 甲板

甲板には芝生が広がる(記者撮影)

富士急側と議論を重ねたが結論がなかなか出なかったある日、川西氏が堀内光一郎社長と食事する機会があった。「そらかぜのプロジェクトは進んでいますか」と尋ねる堀内社長に、川西氏は「大丈夫です」と太鼓判を押した後、「1点だけ」と続けた。

「人工芝の繊維が湖に流れてしまうのは避けるべきです。地域のみなさんは、富士急さんを見ていますよ」

堀内社長もこの考えに賛同した。そらかぜを通じて富士急は自然を大切にする会社だというメッセージを発信できる。

早朝には、乗務員たちが芝や蔦に水を撒いている様子を見ることができる。通常の船ではありえない光景。これが乗客をわくわくさせる。「富士急には遊園地の精神がある。それは客の感動なしに会社の成長はないということ。手間がかかることはやらないという会社ではない」と川西氏は話す。

こうして完成したそらかぜが今年2月に就航した。客室内は、靴を脱いで大きな窓越しに操舵室を見ることができるキッズスペースや畳を敷いた小上がりスペース、ハンギングチェア、赤富士をイメージしたソファーなどさまざまな席を配置した。間取りをゆったりと取った分、定員は700人から550人へと変更された。

そらかぜ船内 ソファー

赤富士をイメージしたソファー(写真:富士急行)

そらかぜ 船内 畳敷き

畳敷きの小上がりスペース(写真:富士急行)

そらかぜ 船内 ハンギングチェアー

ハンギングチェアもある(写真:富士急行)

船外は3階デッキには天然芝を敷き詰めたエリアだけでなく、ブランコがあり、4階デッキには玉砂利デザインの飛び石などが配置されている。まさに「湖に浮かぶ緑の公園」である。

そらかぜ 4階デッキ 飛び石

4階デッキには「飛び石」が。デザイナーの川西氏が”けんけん”を楽しむ(記者撮影)

箱根エリアへさらなる投資は?

外観は赤い水引風のラインが入っている程度で、あまり手を加えていない。「芦ノ湖には船のペンキ1滴もこぼすことは許されない」と川西氏。せっかくのリニューアルなのだから外観を大胆に変えてもよかったのだろうが、川西氏と富士急は自然保護を優先した。

箱根遊船 そらかぜ 外観

外観は「はこね丸」時代からあまり手を加えていない(記者撮影)

「改造にかかった総費用は2億円」と川西氏が明かす。海賊船の建造費と比べると数分の1だが、それは船舶を新造したか、既存船を改造したかの違いである。実は富士急はほかにも箱根エリアに対する投資を行っている。遊覧船事業の買収に先立つ2022年2月、箱根と熱海の中間に位置する十国峠のケーブルカーとレストハウスを西武グループから取得した。

富士急はグループ内のアウトドア運営会社と連携し、十国峠の山頂にグランピング施設を2023年4月にオープンさせた。山頂だけあって目の前には富士山から駿河湾まで360度の大自然パノラマが広がる。山頂を視察した堀内社長が「この景色をもっと活用すべきだ」として、グランピング施設の設置が決まったという。宿泊施設は建設したのではなく、下部に車輪が付いたトレーラーハウスを置いているだけなので、自然への配慮がなされている。

十国峠ケーブル

富士急が2022年2月に西武グループから取得した十国峠のケーブルカー(記者撮影)

箱根エリアへのさらなる投資は「いまのところ計画はない」(富士急)というが、否定しているわけでもない。たとえば、芦ノ湖の湖尻ターミナルではレストハウスも取得しているだけに、今後は改装して機能を強化し、そらかぜが湖尻ターミナルに延長運航する可能性は高い。

また、元箱根港と箱根関所跡港の飲食店・物品販売事業は西武グループが今も運営しているが、これらも富士急が取得して運営すれば、そらかぜとの相乗効果が図られるはずだ。さらにいえば、西武グループが箱根エリアでホテルや水族館などの事業も展開しており、これらが将来、富士急に移管されると考えてもあながち夢物語ではないだろう。

富士急と小田急、手を取り合い活性化を

かつて西武と小田急が箱根エリアで顧客争奪戦を繰り広げた様子が「箱根山戦争」と言われたのはあまりにも有名だ。現在もそらかぜと海賊船は同じ芦ノ湖を運航するライバル同士だが、両者をよく知る地元関係者は「同じ場所で運航するという点では確かにライバルだが、客を奪い合っていることはなく、むしろ棲み分けている印象だ」と話す。富士急サイドも「新参者として、箱根の流儀を学ばせていただく立場」としており、小田急に真っ向から挑戦する考えはなさそうだ。

箱根遊船 箱根海賊船

芦ノ湖上で「競演」するそらかぜ(手前)と海賊船(記者撮影)

現代は観光・レジャーが多様化し、黙っていても箱根に観光客がやってくる時代ではない。富士急と小田急が手を取り合って箱根エリアを活性化していくことが必要だ。

(大坂 直樹 : 東洋経済 記者)

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