日本で「夫婦別姓は他人事」と考える人の大問題

経団連

(写真:khadoma/PIXTA)

朝の連続テレビ小説『虎に翼』(NHK)は、放送ごとにSNSなどで語り合う人たちが多い人気ドラマである。それは、一見正しいが違和感のある言葉に対し、「はて?」と首を傾げ、現代の女性たちも胸がすくような反論を述べる猪爪寅子(結婚後は佐田寅子、伊藤沙莉)という主役の力も大きい。

日本における30年来の「課題」

このドラマは、寅子の人生を通して、いかに法律が私たちの暮らしを規定しているかを教えてくれる。本作を見るまで、戦前の女性が結婚すると法的に無能力者となり、仕事をするかどうかも夫の許可が必要で、稼いだお金も夫の所有になっていたことを、知らなかった人は多いのではないだろうか。

戦後はイエ制度がなくなり、女性も人権を保障され、民主的で世界に誇るべき日本国憲法ができた。しかし、今も裁判でしばしば、他の法律が、憲法違反かどうかが争われる。日本人は政治に無関心と言われがちだが、私たちが法律や法律を定める政治に関心が低いために奪われている暮らしや権利はないのだろうか。

『虎に翼』を通じてこの問題を考えたいのは、長年の政治課題である選択的夫婦別姓制度について、経団連が1月と3月、政府に導入を要望し、6月10日に改めて「一刻も早く」と国会での審議を求める提言を公表したことが、大きな注目を集めているからである。

選択的夫婦別姓制度は、1996年に法制審議会が民法改正案を法相に答申したにも関わらず、30年間も、国会での議論が棚上げされてきた。2015年と2021年に最高裁まで争われた裁判でも、「現行の夫婦同姓強制制度は違憲ではない」とされている。

2010年代後半から続く第4次フェミニズム・ムーブメントの後押しもあり、別姓論議が盛り上がっている。しかし、その議論が自分とは関係ない、と見過ごしている人や、注目すらしない人も多いのではないか。

日本は、政治家や企業のトップが少なすぎるなど、先進国でまれに見る女性の地位が低い国だ。世界経済フォーラム(WEF)によると、日本の2023年のジェンダーギャップ指数は146カ国中125位と、改善どころか前年から9ランクもダウンしている。差別の解消が進まないのは、政府と経済界が保守的だからと言われてきた。

しかし、その一方を代表する経団連すら選択的夫婦別姓制度を切実に求め始めたのは、既婚者が通称として旧姓を使用し働くことが、仕事の障害になるからだ。

国を超えた商業活動が活発になった結果、旧態依然とした制度が邪魔になっているのだ。提案を却下してきた政府も、いよいよ重過ぎる腰を上げるかどうか。

法律を理解するのにドラマが果たす役割

その成り行きを、他人事のように見ていてよいのだろうか? この制度は何より、私たちの人生に関わる。別姓を選びたい男女が尊厳を脅かされ、不便を強いられているだけではない。

また、ほとんどの家族が夫の名字を名乗るよう強制される制度は、夫を戸主のごとく一家の代表と見なし、男性優位を当たり前とする価値観を温存する。

法律は難解で膨大な数がある。専門家でないと理解しづらいものは多い。そんなときに手助けになるのが、法律に関わるドラマである。何しろ面白くて具体的な事例が次々に紹介されるからだ。

その中でも、時間とコストをかけて半年間じっくり見せる朝ドラの『虎に翼』は、法律が庶民にも身近な存在と明快に伝える。折よく先週の放送が、第2次世界大戦後の民法改正審議を取り上げていた。

日本国憲法に合わせるため、民法を改正するべく設置された司法省民事局民法調査室で働く寅子。戦時下に同情の形を採ったマタハラを受け、生涯の仕事と決めた弁護士を妊娠時に辞めて以降、彼女は「はて?」を言わない。

上司の久藤頼安(沢村一樹)には、食い足りなさから「謙虚だね」と言われてしまう。守旧派の帝大教授の神保衛彦(木場勝己)が、民法改正でイエ制度をなくせば日本の美風が消え大変な混乱に陥る、と同意を求めた際の返事も煮え切らない。

法律は庶民の暮らしに直結する存在

しかし、その後大切な人たちの言葉と日本国憲法の条文に背中を押され、自分らしさを取り戻していく。民法改正審議会で神保に対し、旧民法と旧憲法が規定した、個人の尊厳を犠牲にするイエ制度の保護は「大きなお世話」だとはっきり言う。その後審議はまとまり、結婚後は、夫婦のどちらの名字を名乗ってもよいことになった。

寅子の母の猪爪はる(石田ゆり子)と兄の妻で元同級生の花江(森田望智)は、自分たちの旧姓が家族の姓となった場合を連想し、子どもたちと共に笑って語り合う。このシーンは、法律が庶民の暮らしに直結する存在だと明確に示している。

興味深いのは、民法改正審議会の「大きなお世話」に続く寅子の発言だ。

「もし、神保先生の息子さんが結婚して妻の氏を名乗ることにされたら、息子さんの先生への愛情は消えるのですか? 私はもし娘が結婚したとして、夫の名字を名乗ろうと佐田の名字を名乗ろうと、私や家族への愛が消えるとは思いません。名字1つで何もかもが変わるだなんて、悲しすぎます」

この発言は、夫婦同姓の改正民法下で、結婚した2人が妻の姓を選ぶ可能性がある、という内容だ。嫁入り・婿入りした先の名字を名乗るほかなかった戦前と比べ、名字を選べる戦後は一歩前進だ。しかし、このセリフはそのまま、選択的夫婦別姓制度の議論が活発な現代にもスライドできる。

選択的夫婦別姓制度が導入されたら、神保の息子は夫婦同姓として妻の氏を選択し、寅子の娘とその夫は、別姓もしくは妻の氏を選択するかもしれない、とも読めるのだ。

法律は一部の人だけのものではない

選択的夫婦別姓制度は、家族を解体するわけでも、同姓を名乗りたい夫婦に別姓を強いるわけでもない。フルネームを自分の一部と思ってきた人たちが、結婚しようが離婚しようがアイデンティティを脅かされないため、その人が働く世界で支障をきたさないために必要な制度である。選択制なのだから、どちらの道を選ぶかは当事者が決めることができる。

『虎に翼』は、そうした法律についてわかりやすく教えてくれる。法律は、旧仮名遣いの民法改正案を読んだ寅子の母親がつぶやいたように、「自分たちが、頭がいいって自慢したい」法律家や政治家、あるいは運動家だけのものではない。

私たちを守ってくれるはずの法律が、私たちの人生を歪める場合がある。しかし、法律は時代に合わせて変えることもできる。自分の権利が何によって保障され、何によって侵されるのか。

自分の人生を、暮らしを守るために、他人の人生を損なわないために、私たちはもっと法を巡る議論に敏感になる必要があるのではないか。まずは、経団連の提言がどのような波紋を起こすのか、見守りたい。

(阿古 真理 : 作家・生活史研究家)

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